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2009年6月13日 (土)

本末転倒

 最近、目的と手段の転倒について考えさせられることが多い。当然のことながら、目的が最初にあって、それを実現するために手段が選択され活用されるのである。論理的にその説明が正しいし、実際にもそうありたいのだが、目的が忘れ去られ、あるいは最初から曖昧なまま手段が幅を利かし、それを使うこと自体に意味があるかのような錯覚が多くの人に生まれている。

 村上龍は、その著書「無趣味のすすめ」のなかで、次のような趣旨の意見を述べている。毎年、何千万冊という手帳、スケジュール帳の類が書店に並ぶが、何のために買うのか。スケジュール管理は、やりたいことがたくさんあって、それに優先順位をつけることから始まる。やりたいことがはっきりしない人には、スケジュール管理の必要性自体生まれないのである、と。

 安田佳生は、近著「検索はするな」で訴えている。現代人は、仕事で何か分からないことがあるとすぐにインターネットで検索しようとする。仕事は、入試のように答えが用意されていない。落ちているものを探すように答えを探しても見つけることはできないのである。答えは自分で考えて作りださなければならない。インターネットの普及でますます考えることをしなくなった、と。

 野口悠紀雄は新聞紙上でこう意見を述べている。自分はパワーポイントを使わない。大事なことは、自分の言いたいことをいかにして人に伝えるかである。パワーポイントをプレゼンに使う事が多いが、そのことによって聴衆の目が画面に引き寄せられ、発言者から注意が逸れてしまう。自分は、自分の話を聴いてほしいのである。自分の伝えたいことを聴いてもらうのが目的なので、その目的に邪魔になるものは使わない、と。

 三人の意見はもっともである。とはいえ、このように広範囲に本末転倒が起こっていることには原因があるに違いない。ひとつは、先ほどから手段と呼んでいるものは、大量に商品として流通し、持っていないと時代遅れのように言われるということがある。すなわち、われわれは手段に支配されてしまっている。目的について深く考えない方が、却って商品は売れるのである。会社では、社員にインターネットが使える環境が用意される。それには、仕事に必要な情報を集めなさい、現状を知るためにニュースを見なさいという期待が込められているが、使う方は目的を自覚できないまま画面を開けてしまっている。そして、なにか画面を見ているだけで仕事をしている気になるのである。このように溢れる手段の塊から、自分に必要な物を選び出して使うには、基本に返り、目的をしっかり自覚することが必要だろう。皆、したいこと、伝えたいことがあるだろうか。結構、何も考えず、惰性で生きている人が多いのではないだろうか。いったん、パソコンのスイッチを切って、眼を閉じて考えてみようじゃありませんか。

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