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2009年5月 6日 (水)

結婚について

 今さら新婚時代を思い出す年齢でもないが、角田光代さんの小説を読んでいて結婚を題材にしたものがたびたび出てくるので、結婚について少し考えてしまった。

 角田さんが描いている世界には、30代の女性で、交際している男性はいるのになかなか結婚に踏み切れないか、結婚しても長続きしない人たちが多い。女性は正社員の場合もあるし、フリーターの場合もある。何冊も読んでいないし、調査したわけでもないから断定しがたいが、フリーターの設定の方がメインなのではないか。生活が安定しなければ、結婚に踏み切れないのは客観的基礎があるから理解はできる。正社員で比較的お金がある場合でも、将来像がはっきり描けるほど未来への確信が持てないだろうことも想像できる。なにか確かなものがなくて、それでいて、現在が全く不幸というわけでもない。中途半端で、判断ができず、ぐずぐずしてしまうのである。そんなもどかしさ、やるせなさを描いているようである。これは私のような中年男には理解はできるが、共感できることではない。自分が結婚し、新婚生活を送った時代とは大きく変化しているからだ。

 今は、長く付き合って結婚するか、逆にできちゃった結婚で短期間の交際で籍を入れるかどちらかではないか。聞いているとそういう気がする。自分のことを言うのは恥ずかしいが、私と家内はつきあって2か月余りで結婚の約束をした。好きだから早急に夫婦としての関係を確立したい。それは生活の実態としても法的にもそうであったと思う。家内も異論はなかったはずだ。ある意味、衝動的な行為である。ゆっくり考えていたのでは思いきれない。現在は、生活の不安、将来への不安がそういう思い切った決断を妨げているのだ。逆に、結婚しても分かれるのはなぜかと考えてみたが、同様に生活の不安定さがあると思うし、もうひとつは無理に続けなければならない規範がなくなったからだろう。愛し続けようとする意思が弱くなった。人間は好きになろうとすればある程度はできるものである。(間違って家内が読むかもしれないから私は努力しなくても好きだと断わっておこう。)そういう意味では、男と女が引きあう力は格段に弱くなったのではないかと案じる。

 ところで、新婚旅行のことを思い出した。旅行は今から23年前の4月であった。贅沢だがハワイに行かせてもらった。これっきり定年までは海外に行くことはないと思っていたが、仕事で中国に行く機会ができた。中国に行っても楽しくはないが。結婚式の翌日、ジャンボ機に乗り込んでハワイに向かった。ここで書きたいのはその時の機内の状況なのである。大安の翌日で、新婚カップルで溢れかえっていた。前後左右皆新婚である。ご想像のごとく、熱気むんむん。息苦しいほどだ。そういう中にあって、私は少々恥ずかしい気持ちになったのを覚えている。私もそのうちの一人なのだから文句を言うわけにはいかない。しかし参った。今は結婚そのものが減っているから、さすがにそんな凄まじい光景は見られないだろうなあ。

 最後に、つまらん回顧が入ってしまった。結婚事情も社会の変化とともに様変わりしているのである。

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