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2009年4月29日 (水)

オンリーワンとは言うけれど・・・

 SMAPの「世界に一つだけの花」がヒットしたのが、2003年から2004年にかけて。ナンバーワンでなくてよいオンリーワンでいいじゃないかという主張が社会に広がっていった。

 今年息子が高校を卒業したが、卒業式で校長先生がこの歌について話をされた。卒業生に贈る言葉を考えている時に、SMAPのこの歌を思い出したということで、一人ひとりによい面があるのだからそれぞれの個性を大事にして頑張ってほしいという内容だった。それに加えて、この歌が小泉政権の時代(2001年から2006年)にヒットしたことが大変意味のあることだと言われた。しかし、どういう意味があるのかについては言及しなかったと記憶している。

 私が思うに、校長先生は非常に大事なことに気がついたのだが、その本質にまで行きついていなかったのではないか。小泉政権は日本にグローバリゼーションの波を一気に持ち込もうとした。内橋克人氏がいうには、グローバル化の3つの性格は①規制緩和②資本行動の自由③税制のフラット化である。民間にできることは民間に任せようじゃないか。規制緩和を進めて古い社会を壊そう。自己責任でやっていこうじゃないか。そういうことが毎日のようにテレビで訴えられた。その是非はともかく、その政策によって競争による敗者がたくさん生まれることは計算できた。そういう状況でヒットしたのが、「世界に一つだけの花」だったのである。

 一人ひとりがその個性を発揮し、社会に貢献し、正当に評価され、お互いに尊重しあうことのできる社会が理想であると私は思う。一人ひとりがオンリーワンパーソンでありたい。だが、現実はそうではない。フリーターがたくさんいる。派遣労働者がたくさんいる。そしてそういう職からも追われている。家計の不足を補うためにパートに出る主婦と自分の収入だけに頼らざるをえない非正規雇用者とでは違う。自分から求めた境遇ではなく、もっと有利な職に就きたかったが、やむを得ず非正規労働者を選ばざるをえなかった人は非常に厳しい。それでもいいじゃないか。そういう生き方も悪くはない。自分らしく生きようよ。そういうふうに思わせるために、このオンリーワンの歌が流行ったのなら、問題じゃなかろうか。なにも流行歌ごときにそんな難しい問題を持ち込まなくてもいいではないか。歌は世につれるが、世は歌にはつれないのではないか。そういう主張もある。基本的には、世は歌にはつれないと私も思う。しかし、一定の影響力は持つ。文化政策は国家にとって低い位置づけのものではない。歌の流行は市民社会の出来事だけれども、それをいろんな形で国が利用することはできるのである。この歌が実際に、具体的にどう人々の意識に働きかけ、非正規雇用に対する抵抗感を無くしていったかの過程を私は分析し、説明することができない。私は、そういう風に感じるだけである。しかし、あながち間違いではないと思っていることも事実だ。

 今の変化がすべて悪だと思っているのではない。変化にはきわめて多様な要素を含んでる。変化の過程で、これまで悪習として残っていた要素を捨て去ることができるだろう。それは一つの進歩だ。しかし、変化の全体を見ると否定的要素が目立ってしまう。私は否定されるべき要素に対して、一つひとつ対案を示せるわけではない。だから、本当の意味での革新者ではないだろう。できることは、自分の基準に従って、今を積極的に解釈し、いくらかの意思表明を行うのみである。

 ちなみに、自分の基準とは、主権は国民にあること。働く者が社会の基礎を形作っていること。労働こそが富の源泉であること。これまで働いて社会を発展させてきた人たちは手厚く処遇されるべきこと。働きたくても働けない弱者は無条件に救済されなくてはならないこと。能力ある者は、その能力を出し惜しみせず、社会のために使うべきこと。企業は財の生産、サービスの供給の場として今後も必要であるが、社会的責任を果たせなければ市場から退出すべきであること。以上である。

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