« マネーゲームの終焉 | トップページ | 草なぎ剛 寛容でなくなった日本 »

2009年4月21日 (火)

死について

 人は死ぬために生きていると言った人がいたが、これは当然ながら間違いである。生の延長線上に必ず死が訪れるだけであって、死が目的で生があるのではない。一方、事実ではないけれども何か力を引き出すためのロジックになるかと言えば、それもありえない。生きていることに悲観的にさせられるだけである。

 しかし、死は生の手段だということはできる。死があること、すなわち生命の有限性が生の価値を高めている。動物も死期を感じ取ることができるのかもしれないが、人間だけが死を概念として持ち続けている。常に意識に上っているわけではないが、思い出せば一定の形をした死の概念が蘇える。死を意識して、残された時間の意味や自分にとって意義のある使い方について考えることは有益である。

 人生も半ばを過ぎると、焦りが生じる。無為に時間をすごすと、後悔も生まれる。できれば密度濃く生きたいが、それはままならない。がむしゃらに生きる体力が衰えつつあるからだ。いくつになっても目標をもって進むことが大切だが、無理はできない。着実に、地道に進むことだ。しかし、それもなかなかできるものではない。迷ってばかりもいられないが、迷いなしの人生は不可能だろう。あまり気にしない方がよさそうだ。

 これから次第に体力も知力も衰えていく。そのおかげで死への恐怖も和らいでいくだろう。これは人にとっての救いである。とすれば、考えてみれば、中年のおじさんが、一番死を意識し、生のありがたさを実感して、がんばれる年代だと言える。ああ、そう考えれば今が最高だ。

« マネーゲームの終焉 | トップページ | 草なぎ剛 寛容でなくなった日本 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« マネーゲームの終焉 | トップページ | 草なぎ剛 寛容でなくなった日本 »