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2009年4月26日 (日)

日本人の国民性

 日本人は粘り強い国民かという問いがある。半藤一利氏らが戦前の日本軍の特性を論じる雑誌の記事の中で、日本人は非常に淡白な国民であると指摘していた。駆逐艦で敵の潜水艦を追い回す場合、日本海軍はせいぜい半日しか粘らなかった。もうこのぐらいでいいだろうとなるのだ。それに対し英国海軍はUボートを一週間追い回したという記録があるそうだ。これにはなるほどと思う反面、スポーツで考えると、マラソンなど持久力勝負になると強みを発揮するので、粘り強さがあるようにも思える。ある人にこの件を問うと、日本人は個人では粘り強いが、集団になるとそれが失われるのではないかという意見を述べていた。それも一理かなと思う。

 国民性とは長い時間をかけて歴史的に作られたものだ。そして、それは日本に住む人種に元から備わっていたものではなくて、多くは気候や地形などの客観的な条件をベースにして、周囲の民族との関係で文化的な影響を受けながら育ってきたのではないか。色彩感覚にすぐれているのは、四季が移ろう気候条件の中で実際に色彩に富んだ自然が存在するからであり、工芸などの細工に優れているのは、多種多様な樹木が生育していたり焼き物に適した粘土が存在して素材に事欠かないからであろう。感覚は対象に規定されるのである。

 マッカーサーは、日本を占領した時期に、日本は四等国であり、日本人の精神年齢は12歳だと言ったらしい。幼稚な国民だと言われているのだが、確かに無謀な戦争に突入したという意味では幼稚であったに違いない。判断に甘さがあった。軍部の暴走を止められなかったという意味では、政治や文化の未熟さを国民の至らなさとして受け止めよう。しかし、この「幼稚さ」のなかには未来に向けて肯定すべき要素もあるのではないか。日本は憲法において戦争を放棄した。それが現実的でないという見方もあるだろう。アメリカはそう言うに違いない。けれども、その理念を素朴に力強く守り続ける幼稚さは、歴史において一級品の輝きを放っている。平和ボケなのではなく、失敗から学んだ信念なのである。

 

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