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2009年3月21日 (土)

映画の見方について

 昨日、ある催しものでアニメ映画を見る機会を得た。その催しのメニューに映画上映はなかった。そのことをどうこういうつもりはない。しかし、自ら選択したものではないだけに、見る時の構えが必要である。

 映画は、ある進学塾の創立者が自ら企画制作した作品である。主題は、ふるき良き時代の文化を継承していくことと受け取った。小学生たちが合唱コンクールに参加するという設定で、「赤とんぼ」「月の砂漠」「ふるさと」などの童謡や唱歌が歌われる。そこに出てくる、美しい詞や曲、そして戦後の社会を誠実に生きる庶民の姿勢などは心打つものがあった。しかし、映画というものは映像も音響もかなり直接的に、強引に観客の感覚に飛び込んでくる。しかも、意識的な領域よりも、無意識の領域に入り込んでくる。ある意味、無防備であれば、何のフィルターもかからないのでお手上げだ。それが芸術なのだといえば、それも然りである。

 私の評価は、批評家的な見方かもしれない。私とて、見ている間は普通の観客であった。しかも、少し感受性の強い方だからそういうものの影響は受けやすい。見ながら何度も涙が流れた。素直に見ればそれでいいじゃないか・・・。いや、そうもいかない。心打たれるのは、見る側に呼応する要素があるからだ。この映画で言えば、それは、「ふるさと」の原風景ではないかと思う。それは写真に撮ったような具体的物理的なものではなく、心象風景であり、それが進化すればひとつの概念になってしまう。そこに映像が働きかけてくる。映像の作り手には明確な意図がある。善意から出発したことであっても、本人が考えた域を超えて影響を持ち出すことがままあって、気をつけなければならない。同時に、受け取る側にも見方が必要だということだ。映画のなかに、特攻隊員が任務の前に戦地の牧師さんから「荒城の月」を歌って聞かされ、日本にこのような美しい曲があるのを知り、これを未来に向かって守るためにも戦わなければならないという意味のセリフがあった。こういうのをどう理解するかである。童謡をどう聞くかという問題とこのセリフが意味するところの理解とでは全然次元が違う。すべてひっくるめて一つの作品だから、そこの区別は確かに難しいのである。

 

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