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2009年3月の投稿

2009年3月29日 (日)

公共の施設を利用しよう 水道記念館

 散歩がてら、柴島浄水場まで行ってきた。周辺はお花見スポットであるが、まだ咲き始めで、来週の土日が見ごろになりそうである。

 お花見はできなかったが、浄水場にある、水道記念館に寄ってきた。入場は無料である。大阪市の水道事業の歴史や現状が解説されており勉強になるし、それ以上に琵琶湖と淀川水系の淡水魚が多く展示されていて面白い。また、休憩所では無料でお茶とお菓子まで出してくれた。ここは市営の施設だから、税金で運営されているはずである。私も所得に応じた住民税を納めているのだから、こういう施設は、無駄遣いだと文句を言う前に、利用すべきではないかと思う。とはいえ、存在自体を今まで知らなかったので、こちらの不勉強もある。下水道博物館には行ったことがあるから、上水道にも博物館があって然るべきですな。

 何かにつけお金のかかる社会のなかで無料で楽しめる施設は少ない。公的な施設でも維持費を賄うために有料にしているところは多い。万博公園がそうだし、夏のプールも結構な料金をとる。いまどき、ただは希少である。高校野球で、甲子園の外野が入場無料なのは、いまや奇跡的なことである。お弁当でも持参して2試合でも観戦すれば本当に得した気分である。

東京03

 テレビはあまり見ないが、見るならお笑い番組かスポーツ中継である。最近おバカキャラのタレントを押し出したクイズ番組が大流行りだが、好きではない。アタック25のような真面目なクイズ番組は自分の知識量を計るうえでも参考になる。

 お笑い番組も多い。若手芸人はギャラが安いので、製作費が抑えられて利益が上がるのだそうだ。「レッドカーペット」「エンタの神様」を子どもと一緒に見ることが多い。ピン芸人から5人組までいて、芸風もまちまちである。レッドカーペットはひと組の持ち時間が短いので、じっくり見せたい芸人にとっては難しい。逆に、経験が短く、話術が未熟な芸人でも、ネタとキャラで受けることが可能だ。だから一瞬注目されるが、すぐに消えていく芸人(もどき)もいる。エンタは人によって持ち時間が異なる。アンジャッシュやタカアンドトシなどは5~6分のコントを演じる。逆に素人に毛の生えたような人が出てきて、1分で終わる場合もある。この番組を作っている読売テレビのプロデューサーであるMさんから聞いたのだが、面白いタレントを発掘するのが仕事で、ヒロシは彼が見つけてきたそうだ。短い期間だったが爆発的に売れて、月収が4万円から500万円に跳ね上がったそうだ。今は何をしているのだろうか。

 私が今好きなのは、東京03というトリオである。30代半ばの男性3人組で、芸歴は皆十数年ある。NHKの爆笑オンエアバトル育ちで、メンバーは別の2組のコンビとトリオのメンバーだったが解消して2003年に今の形になっている。ネタはたくさん持っていて、You Tubuで見ることができるが、私のベスト3を上げると、①サングラス ②バンドの方向性 ③熱血教師対熱血教師となる。設定は、友人同士、職場の仲間同士、上司と部下など日常どこでも見られるシチュエーションで、見方・考え方のズレや本音と建前とのギャップを、誇張して面白く見せている。日常では表面化しない行き違いや葛藤を表に出すことでお笑いにつなげていて、非常に巧妙だと感じる部分もあるが、少し生々しく感じられることもある。

 

2009年3月22日 (日)

選抜高校野球始まる

 選抜が始まった。選抜も夏も1試合は見に行くのが恒例の行事になっている。見に行くのは1、2回戦が多く、決勝、準決勝は見たことがない。

 開幕初戦はテレビ観戦して、第3試合を甲子園球場で見た。初戦は金光大阪対倉敷工業であった。開幕直後の緊張感で少し浮ついたプレーが目立ち、粗い試合内容になった。点の取り合いになり、延長戦にもつれこみ、最後は倉敷工業がサヨナラ勝ちした。しかし、試合は9回裏に倉敷工業のスクイズで決まったはずだった。本塁上のタッチプレーで捕手が落球しており、セーフの判定が出てしかるべきであったが、落とした球が見えにくい位置にあったため審判は捉えきれなかった。結果、タッチプレー成立後の落球と解釈された。このプレーの後、倉敷工業の勝利を祈った。これで負けたのでは悔いが残るからである。

 第3戦は末の息子とともに甲子園へ。内野の自由席券を購入して席に着くと、ちょうど選手が試合前のあいさつに向かう瞬間であった。今治西高対光星学院の試合。今回の大会については事前の情報はあまり持っていなかったが、光星学院の投手はよいと聞いていた。先発はエースではなく、左腕の投手。球速は130㌔を上回る程度だが、スライダーが打ちにくそうである。今治西は左バッターが多いので先発させたと考えられるが、それが的中して打ちあぐねた。左腕の場合、球速はなくても、いいスライダーがあれば打ちにくい。そうとう前の選手であるが、京都鳥羽高校の古田という投手を思い出す。球速は125㌔程度だが、コントロールがよく、低めに決まる。スライダーも低く決まるので各校とも苦戦していた。左腕ならではの投球だと思ったものだ。

 好投を続けて、5回を1点リードで迎えた光星学院だったが、得点圏に走者を許したところでエースをマウンドに上げた。光星も相手投手を打ちあぐんでいたので、点を許したくなかったし、エースへの信頼感も厚いようで、早めに思い切ったのだろう。しかし、結果はタイムリーを打たれて同点に。左腕の好投を見ていると続投もよかろうと思ったが、エースがしっかりしているので順当なところかもしれない。

 最後は、今治西がサヨナラ勝ち。光星学院に勝機はあったと思われるが、今治西の守りが冴えたということだろう。

2009年3月21日 (土)

映画の見方について

 昨日、ある催しものでアニメ映画を見る機会を得た。その催しのメニューに映画上映はなかった。そのことをどうこういうつもりはない。しかし、自ら選択したものではないだけに、見る時の構えが必要である。

 映画は、ある進学塾の創立者が自ら企画制作した作品である。主題は、ふるき良き時代の文化を継承していくことと受け取った。小学生たちが合唱コンクールに参加するという設定で、「赤とんぼ」「月の砂漠」「ふるさと」などの童謡や唱歌が歌われる。そこに出てくる、美しい詞や曲、そして戦後の社会を誠実に生きる庶民の姿勢などは心打つものがあった。しかし、映画というものは映像も音響もかなり直接的に、強引に観客の感覚に飛び込んでくる。しかも、意識的な領域よりも、無意識の領域に入り込んでくる。ある意味、無防備であれば、何のフィルターもかからないのでお手上げだ。それが芸術なのだといえば、それも然りである。

 私の評価は、批評家的な見方かもしれない。私とて、見ている間は普通の観客であった。しかも、少し感受性の強い方だからそういうものの影響は受けやすい。見ながら何度も涙が流れた。素直に見ればそれでいいじゃないか・・・。いや、そうもいかない。心打たれるのは、見る側に呼応する要素があるからだ。この映画で言えば、それは、「ふるさと」の原風景ではないかと思う。それは写真に撮ったような具体的物理的なものではなく、心象風景であり、それが進化すればひとつの概念になってしまう。そこに映像が働きかけてくる。映像の作り手には明確な意図がある。善意から出発したことであっても、本人が考えた域を超えて影響を持ち出すことがままあって、気をつけなければならない。同時に、受け取る側にも見方が必要だということだ。映画のなかに、特攻隊員が任務の前に戦地の牧師さんから「荒城の月」を歌って聞かされ、日本にこのような美しい曲があるのを知り、これを未来に向かって守るためにも戦わなければならないという意味のセリフがあった。こういうのをどう理解するかである。童謡をどう聞くかという問題とこのセリフが意味するところの理解とでは全然次元が違う。すべてひっくるめて一つの作品だから、そこの区別は確かに難しいのである。

 

2009年3月15日 (日)

定額給付金について思うこと

 補正予算案が可決されて、定額給付金の支給が決まった。私の住む大阪市では5月下旬の支給になるという。

 この給付には7割の国民が反対であった。そこには、もっと別のところに使い道があるのではないかという考えがあると思う。また、ただ単に今の政権の政策に与したくないという単純な思いも含まれているだろう。

 とはいえ、予算は可決した。まさか与党側は、多くの人が反対したというが、もらう段になると皆いつもらえるかという話題で盛り上がっているのはおかしいじゃないかという下品な批判はしまい。もらえると決まったからには自分の権利を放棄することはあるまい。元々は国民の税金が財源になる話であるのだから。

 私としては、給付は、現金ではなく、商品券がよかったと思う。現金であれば、貯蓄に回るかもしれないし、借金の返済に使うかもしれない。期限付きの商品券ならば、必ず消費されるだろう。できれば、食事券がよかったのではないか。

長谷川穂積 8度目の防衛

 長谷川が8度目の防衛戦に勝利した。テレビ中継は見られなかったが、後でYouTubeで内容を確認した。1ラウンドのTKO勝ちで、相手が実力を発揮する前に仕留めてしまった感じだ。見る方はちょっと拍子抜けしたのではないか。世界戦ともなればチケットは相当な高額である。

 長谷川は現在の日本チャンピオンのなかでは最も実力のある選手である。歴代でも3本の指に入ると思っている。バンタム級とフライ級は日本人の最も得意とするクラスで、いい選手はたくさんいるし、過去にもいたが、長谷川は抜きんでていると思う。よさは、スピードと集中力である。

 歴代で優秀な選手を私なりに上げてみると、相手にさほどの強敵がいなかったこともあるが、具志堅用高は攻撃が多彩できれいなボクシングをして、見事な戦績を残した。フライ級の大場政夫は事故でなくなったが、それまでの世界戦は劣勢を撥ねかえす展開で、気力の強さを見せつけた。パンチのスピードは抜群で、相手も強豪が多かったことを考えると高い評価を与えることができる。それに長谷川を加えると3人になる。別枠で一人入れたいのはガッツ石松である。石松の階級はライト級である。「スーパー」(昔で言えば、「ジュニア」)の付かないクラスが正規の階級として評価される。ライト級は世界的にも優秀な選手がたくさんいて、最もレベルの高い階級だ。そこでベルトをとった功績は大きい。石松は海外で、石の拳と言われたロベルト・デュランに挑戦し惜しくも10ラウンドTKO負けを喫した。当時、デュランは全盛期であり、敵地であることを考えるとそれでも評価できる。石松は一発で倒せる右を持つハードパンチャーだった。

 

KGセミナーという塾に注目

 その塾の塾長のブログで知ったのだが、和歌山市にKGセミナーという名の塾がある。現役高校生と浪人生を教える進学塾である。塾長と講師の先生二人で教えているらしく、生徒も近隣の公立高校が中心で人数も多くはない。駿台、河合塾、代ゼミなど大手が目立つ予備校の世界では、目立たないローカルな存在である。和歌山には智弁学園和歌山高校という屈指の進学校があるが、そこの卒業生はこのゼミにはやってこない。

 ホームページにはいろいろな情報が載っているが、一番面白いのは塾長の日記である。そこには一人ひとりの生徒への目配りと愛情が感じられて、大きな資本の予備校にはない人間関係を垣間見ることができる。また、ホームページの冒頭に掲載されている、体に障害を持つ生徒を励まし励まされた経験を綴った文章には感動させられる。

 ローカルな塾で、東大や京大を狙うような生徒はいないが、和歌山県立医科大学をはじめ、関西の国公立、私大に実績を残している。しっかり指導し、本人のやる気を引き出せば、1年間で実力を大きく伸ばすことができるという実例である。もともと出来る子は、大手予備校の講義でも伸びるだろうが、力のない子は放ったらかしにされると伸びにくいだろう。そういった点では本人の現状をよく踏まえた上で、進むべき予備校を検討し、選択すべきである。名前にごまかされてはいけないと思う。また、ローカルな塾は生徒同士の結びつきが強く、上手く運べば連帯感を生み、相乗効果を生むことができる。

 改めて考えると、この塾が一定の成功を収めているのは、塾長と講師の先生の考え方がしっかりしていることが大きい。また、二人の先生ですべての教科を賄っているので、その実力も基盤となっている。改めて教育における指導者の重要性を感じた次第である。

http://www.kg-seminar.school-info.jp/

2009年3月 8日 (日)

失業者をどうするのか

 働くことができるのに働けない人が多くいるというのは社会的にとって大きなロスである。これはあるべき社会を考える時の基本となる考え方だ

 ところが現実には失業者が多く発生している。社会が発展すれば、(というよりも、企業が経済活動を進めた結果として経済構造が変化していくと言った方が適切だが)必要とされる労働力の量も質も変わっていく。構造が調整される過程で労働力もそれに応じて配置に変動が起こる。計画経済ではないから、その調整は労働力市場を通じて行われる。成長業種では労働力不足が起こり、それは賃金が上昇することで他の分野から調達される。そういうメカニズムで徐々にバランスがとれていくのであるが、現実にはそうスムーズにいくわけではない。終身雇用が絶対的な条件ではなくなっているが、労働組合などの力が働いて、現状は維持されようとする。今の状態が安定的に続くことを期待する人が多ければ、なかなか労働力は流動化しない。元来人間は保守的なものであるから、タイムリーな調整は困難である。とは言ってもイノベーションの進行で、構造変化が生まれることは避けがたいことであり、できるだけ柔軟に労働力の移転が行われることが望ましいのである。

 そこでは行政が一定の役割を果たすべきである。企業からあぶれた労働者を他の企業に移転させることが仕事になるし、行政指導によって企業間での受け渡しをさせることもできるだろう。経済団体が自らそういう調整機関を設けることも可能だ。また、その移転を支援するためなら職業訓練の実施もよい施策である。と言うのは、変化の方向を読み切れずに役に立たない訓練を施してしまうリスクもあるからである。

 調整がスムーズに進み、労働者の痛みも最低限に納まることが求められる。職場が変われば待遇にも変化が起こる。まるっきり変わらないということはありえない。しかし、最低限の生活が確保できる水準の待遇は維持したい。調整はうまく進まず、残念ながら失業せざるをえなかった人々はセーフティーネットで救済すべきであろう。

 自由主義経済とは言っても、なにもかもが企業の思い通りにすすめてよいということではない。自由な企業活動の前提にはルールが必要である。こういうことはしてはいけないということは、受ける側から言えば規制である。何の規制もなければ、それは単なる「喧嘩」である。格闘技にもルールがある。ルールに従って競い合い、勝者と敗者を決めるのである。ルールのない競争は、まさに「喧嘩」である。

 この不況をどうやって乗り越えるのか。政治のやるべきことは多い。大事なのは、基本的な哲学を明らかにすることだ。競争が成長を生み、その結果として出てくる失業者は一定の率ではやむを得ないという考え方もある。そういう人でも一定のセーフティーネットの必要性は認める。それはそれで一般的によいことなのだが、その前に、失業者を生まない仕組みを作りだすことが重要ではないか。繰り返しになるが、Aという企業で100人の従業員を外の企業で受け入れて欲しいという希望を出す。それを行政機関(経済団体が作った機関でもよい)が、他の企業に斡旋する。その場合、6カ月訓練を実施したあとに就業させるのもよいだろう。能力を向上させた後であれば受け入れる側もより安心できる。

2009年3月 1日 (日)

大学浪人について

 私は一浪して大学に入った。30年も前のことである。今より狭き門であったのか、周りを見ても浪人する学生の割合はかなり大きなものであった。したがって、ごく普通のこととして受け止めていたし、元々が、現役では難しい大学を第一志望として受験し、落ちても再チャレンジするというのが基本的な考え方であった。

 ある意味、時間および経済的費用について、今より余裕があったのかもしれない。慌てることはない、急ぐことはないというのが社会の一般的な空気であり、親の意識もそれに近いものであった。しかし、今日では、何事にも、よりスピードが求められるようになった。一流大学を出たからと言って必ず大企業に就職できるわけではないし、大企業自体がいきなり赤字になってリストラを始めたり、倒産したりする状況だから、不確実性が増している。組織が個を守ってくれた時代ではなくなっている。そこで、合理的な考えとして、予備校に百~二百万円の費用を投じるくらいなら、第二志望以下の大学でも現役で入って勉強し、実力を着け、予備校にかけるはずだったお金は留学費用などに充てた方がずっと活きた金になるという考え方も生まれてくるのである。

 組織が個を守る。個の進路についても組織が媒介して、受け渡しをしてくれる。そういう機能は日本的であり、優れた機能であると思うから、形を変えてでも維持すべきであると考える。個は弱いものであり、何らかのサポートは必要である。自己責任論ばかりで人を育てることはできない。

 ちょっと話がそれてしまった。浪人のことだったが、どうしても行きたい大学があるならば頑張ればよいが、1年間は長い。早く大学に入った方がよさそうだ。受験勉強は大学に入るためだけに有用な勉強である。それ以外には何の役にも立たない。終わったらすぐに忘れてしまうし、忘れた方がいいのである。だから早く終わって、大学で、学問らしい勉強を始めた方がよい。大学でさぼっていた私が言うのもおこがましいが、そう痛切に感じる今日この頃なのだ。

子を持つことの効用について

 教育にお金がかかることを書いたが、子を持つことは悪いことばかりではない。確かに、子がなければ出費は大幅に減り、夫婦の生活にいくらかの余裕が生まれるだろう。しばしば二人で旅行に出かけるという夫婦を何組か知っていて、羨ましく思うし、そのこと以外にも自分の趣味などにたっぷり時間が使えるという利点もある。また、子の成長に思い悩むこともない。しかしながら、子を持つことによって生まれるプラスの面も確かに大きい。

 一つは、子を媒介とした、新しい人間関係の創出。二つ目は子との直接の関わりから発生する親としての責任感の醸成。三つ目は子の成長を契機とする社会的視野の広がりである。

 公園デビューから始まって、幼稚園、小学校と教育機関を通じての人との関わりあいなどから新たな人間関係が生まれる。また、地域の子供会活動などから発生する関係もある。煩わしい面も併せ持つが、上手く関係を築けば、いい意味で家庭に出来事をたくさん持ち込んでくれる。情報量は大きく増加する。

 子の成長は親自身の刺激となる。子供とはいえ、目標を持ち、そこに向かって努力している姿が見られる。自分も同じように育ってきており、子以上に努力したという認識もあるが、すでに遠い昔のことであり、立場の違いもあってか、子の頑張りは刺激的である。親が励まされる場面もしばしばある。そういう風に受け止められれば、一方で親の頑張りが子を育てるという良き循環が生まれるのではないか。

 子が存在するお陰で、教育問題、若者の雇用の問題、格差問題などに強い関心を抱くことができる。子がなくとも、社会的な関心の強い人であれば一定の注意はそこに向かうに違いないが、子の進路や将来の生活のことを考えると、当事者として無関心ではいられないというのが正直なところである。

 私も子を持つ親であり、これはすでに起こってしまった現実であるから、起こったことは否定的にとらえるのではなく、肯定的な面を積極的に摂取すべきであろう。

 

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