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2009年1月12日 (月)

生活の三重苦

 前に住宅、教育、医療は最低限の水準を国家が保証すべきであると書いた。この三要素は文化的な生活の指標であり、憲法でも最低ラインが保障されている。

 ところが、現実には、この三要素の負担が過重になって、生活を脅かすようになってきた。これを生活の三重苦と呼ぶ。あまりにお金がかかりすぎるのである。

 まず教育から考えてみると、義務教育はまだいいとしても、高校から大学へと進む場合の出費は大きい。私立高校では授業料や施設費、通学にかかる交通費まで含めれば百万円は下らないだろう。私の住んでいる大阪府の私学は全国でも最高水準にある。大学は国立でも私立の高校並みに金がかかる。私立大学では学費だけで年間百万円を超えるケースが多い。普通の勤労者の可処分所得を想定すると支払は容易ではない。コツコツと蓄えた貯金を崩したり、教育ローンを組んだりして工面しているのが実情ではないか。私は、教育は脅迫ビジネスであると考えている。お金をかければそれだけ将来が保証されるというわけではないが、かけなければリスクが増大するという不安にかられるのである。塾や予備校などの受験産業や進学実績を誇る中高一貫私学などは、そういった不安感を基盤にした産業だと言えるのではないか。次に住宅であるが、日本の住宅、特に都市部の住宅は高い地価が影響して著しく高い水準にある。特にバブル期には現在の2倍から3倍に跳ね上がり、その時期に購入した世代は今なお重いローン負担に苦しんでいる。以上の負担を40代から50代にかけての世代は二重に抱えているケースが少なくない。彼らにとっては、家と子供の教育のために働いているというのが実感だろう。

 さて、それに加えて、家族に病人がいたとする。世帯主が勤労できないほどの病気にかかれば一気に生活は困難に陥り、ひどい場合には破たんが待っている。保険に加入していればまだ救われるけれども。また世帯主でなくても家族の一員が重病になれば高額の医療費が必要になり、先ほどの住宅や教育の負担と合わさって、これまでと同じように返済していくのがきつくなってしまう。貯えがあればよいが、なければ新たな借金を考えなければならない。しかし、これとて一定の所得がなければ借りることはできない。それでも借りようと思えば、高金利の「消費者金融」に手を出すことになるのだ。

 以上のことは、特殊な状況ではない。誰にも起こりうることである。かくいう私も近い状況がある。この3つの要素にお金がかかりすぎる状況、あるいはそういうものを生み出す社会の構造を改革することが政治の論点でなければならない。どう扱うかで、その政治的立場が明確になる、メルクマールである。

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