« 加藤周一氏を偲んで ①日本的なもの | トップページ | プレカリアートと雨宮処凛 »

2008年12月14日 (日)

加藤周一氏を偲んで ②知識人について

 1 日本の知識人の特徴について

 明治維新以来、日本の知識人の大半は官製であった。富国強兵のために知識人を養成(具体的には官吏の養成)し、動員した。彼らの目は常に西欧を向いていたし、かつ富国強兵に必要な要素に集中していた。したがって、文化や社会問題に対する関心は皆無に近く、扱う余裕もなかった。自国の伝統的文化に対する無関心は、そのまま歴史的感覚の鈍さに通じている。明治以来の日本の思想的、文学的、芸術的貧困の根本的な理由はここにある。

 日本の知識人の構成において若者(学生)が占める比重が大きい。(註:主に引用しているのは1957年当時の加藤氏の評論である。)これは日本に特徴的な現象である。同時に欧米の文学についての知識は欧米の学生よりも豊富である。ところが、さらに特徴的なことは、日本の学生は就職したとたんに文学や総合雑誌を読まなくなる。その理由は、会社での仕事が忙しいとか、付き合いで時間がないとかいう些事である。些事というのは、読む気になれば時間などいくらでも作ることができるという誰しも認めざるをえない理由による。なぜ、そうなるかと言えば、結局は、若い時代の活動そのものが付け焼刃であり、生半可であり、何一つ確かなものを捉えていなかったからである。残念ながら、若い知識人の大きな部分はみせかけにすぎない。

 2 知識人の戦争に対する態度

 戦時中に知識人はどういう態度をしめしたか。京都学派の哲学者たちは積極的に戦争を支持した。永井荷風は心底深くファシズムを否定した。そして多くの知識人は、その間にあった。

  問題とするのは、知識人層の戦争およびファシズムに対する態度であり、殊にその精神の内側の態度である。文学者は例外を除き沈黙を守ることができた。したがって、言論の弾圧による変節という問題を離れた、心のなかの自分ひとりの考えとして取り扱うことができる。

  文学者の多くが絶対的な価値を持たなかった。ゆえに、ファシズムに限らず、何事に対しても絶対的に反対する理由がなかったのも当然の話である。そこでは科学的な思考さえもが放棄されたのである。倫理的な価値も、美的価値も、科学的思考が保証する真実さえも、天皇・ファシズム権力・国家・民族を一括した「日本」という得体のはっきりしない概念とすっぽり置き換えられる程度のものであった。 

 一般に日本の知識人に共通の、思想と人格、イデオロギーと本心、合理的な思想と感情生活(あるいはむしろ実際の生活)の関係のし方が問題になる。吉本隆明流にいえば、日本の知識人のなかに思想的空白があり、そこに「生活意識」があり、意識的に反省されないその「生活意識」が、意識的に反省された「思想」よりもはるかに強力であった。なぜ「思想」と「生活意識」との乖離が起こったのか。ひとつは、「思想」が外国から入っており、頭だけで理解されている。したがって、生活にはほとんど浸透していない。ふたつめは、この「生活意識」は実生活に不可欠のもので、小集団を支配する「家族的意識」が、「思想」に優先するのである。いいかえれば、「思想」の生み出す価値は、実生活上の便宜、習慣、感情につまるところ超越しないと言ってよい。要するに、超越的な価値概念・真理概念を、日本の近代は生んでいなかったということである。

 とはいえ、すべての知識人がそうだったわけではない。矢内原忠雄と南原繁のキリスト教における理想は国家を超越していたし、宮本顕二・百合子夫妻に代表される共産主義者は思想を国家に超越させ、命がけで守り抜いたのである。

 (編集途中です

« 加藤周一氏を偲んで ①日本的なもの | トップページ | プレカリアートと雨宮処凛 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/246642/26180329

この記事へのトラックバック一覧です: 加藤周一氏を偲んで ②知識人について:

« 加藤周一氏を偲んで ①日本的なもの | トップページ | プレカリアートと雨宮処凛 »