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2008年12月の投稿

2008年12月28日 (日)

2008年を振り返って その1

 今年も残り3日となった。振り返ると、今年は50歳になったということもあって、これまでになく記憶に残る一年になった。とにかく経済環境が厳しい方向に急激に変わり、仕事では例年以上に大きな課題を背負うことになった。幸いにも経営トップから一般社員に至るまで、苦しい中でも踏ん張って努力し、最低限の実績は残せたのではないかと思う。仕事をしたという実感の残る一年になったと言える。

 環境の変化は著しかった。景気の後退は当初から予測されたが、原油の想像を絶する高騰は原材料価格を引き上げて、利益を奪っていった。続いて秋以降に発生した米国発の金融危機は日本の実体経済にも影響を及ぼし、われわれの市場をも委縮させている。最高に利益を出していたトヨタが通期で赤字に転落するであろうとの報道は、今回の危機を象徴する出来事としてショッキングに受け止められた。

 その他、あまり好ましくないニュースが目立った。非正規雇用の増大を背景とする格差の拡大と固定化は景気の後退とともに克服すべき課題として広く国民に認識されるようになった。秋葉原での無差別殺人はそのような社会的背景をもって語られることが多く、記憶に刻まれる事件になった。全体にモラルの低下をひしひしと感じられる事件が頻発したが、モラルの低下は原因ではなく、結果として起こっている現象であり、その原因を探ることは広く社会科学の課題であり、それを踏まえて政治が解決すべき課題となるだろう。

 2009年は引き続き厳しい年になるだろう。世界の動きは自分の力では如何ともし難いものである。そのなかにあっても、自助努力によって会社の経営とプライベートの生活面では充実した一年にしたいし、なるものと信じている。

お葬式

 今日、親類の葬儀に参列した。大手B社の会館で行われ、いつものことであるが手際よく進行された。餅は餅屋と言うように、独特のノウハウがあり、マニュアル化もされている。しかし、演出の仕方は葬儀社によって違いがあるようである。今日の場合は、故人の生前の足跡をまるでこれまで見てきたかのように上手く表現していた。聞きながら、こういう文章は事前にいくらか聞き取りした内容に、これまで蓄積した情報を加味してライターが作成しているのだろうと推測した。故人は若い時からクリーニング業の修行を積み、自分の店を出して経営してきた。そういう人は全国に少なからずいる。すでに亡くなって、この葬儀社で葬儀を行った人も相当数いることだろう。そういう事例から、たくさんの文章の蓄積がある。こういう場合は、このように故人の人生を讃えるのがよいというつぼがあるのだろう。出棺の時には司会者が、胡蝶蘭の花びらを白いシャツにたとえ、再度仕事の苦労をねぎらった。これは用意をしてきたセリフなのか、アドリブであるか、分からないが、なかなか巧妙であった。しかし、あまりにも「きれいすぎて」、こちらは乗せられている気がしてしまう。考え過ぎだろうか。

2008年12月21日 (日)

プレカリアートと雨宮処凛

 「プレカリアート」とは、不安定な労働者という意味であり、具体的にはフリーターなどの非正規雇用者と失業者をさしているようである。政治の世界や労働運動においては元々「プロレタリアート」という言葉があったが、最近はあまり聞くことがなくなった。高度成長期を経て労働者の生活が一定の水準に達し、同時に労働運動が低迷していったことにより先鋭的な言葉である「プロレタリアート」という言葉は、「労働者階級」という言葉と合わせて使われなくなった。

 今日では、それに代わり「非正規雇用者」という言葉が使われ始め、特にここ数年は景気の後退とともにその存在に関わる様々な問題点が指摘されている。そもそも「非正規雇用者」は雇用の形態、あるいは労働の形態を表した言葉で、これだけでは政治的な指向性を持たなかったように思う。しかし、「格差固定社会」とか「ワーキングプア」という言葉で現状に批判的な主張が行われ始め、同時に当事者であるフリーターなどが労働条件、生活条件の改善を求める運動が発生し始めた。このような共通の「要求」(「思想」というにはまだはっきりした形になっていない)をもった社会集団(現実には組織化されず、バラバラに存在しているが、インターネットでの交流が行われている)として意識され始めた。それが日本の「プレカリアート」だと思う。

 雨宮処凛さんは、「いじめ、受験の失敗、リストカット、薬物体験、右翼運動、フリーター生活」などプレカリアートにまつわる体験をフルコースで味わってきた人である。著作が多く、現場での発言は強い影響力を持っているようだ。プレカリアートメーデーがあったり、社会運動として育ちつつある。方や、一人でも入れる労働組合という形で、労働運動に取り込もうという動きもある。今後、どうなっていくか分からないが、日本のみならず、新自由主義のもとで生み出された同じ境遇の者は世界中に存在しており、無視できない勢力であるどころか、明らかに大きな影響力を持つ勢力になっている。動向を見続けるとともに、雨宮さんの発言にも注目していきたい。

雨宮処凛の発言をいくつか

・いろんなセーフティネットに少しでも引っかかっていれば、死ななくて済んだ人もいると思うんですけれども、具体的な、生きさせようとするシステム自体がありませんね。

「極限まで自由を犠牲にした果てにやっと生存が認められるような状況はおかしい、生存は自由と引き換えにされるようなものではない」と。ただ生きるだけでいいじゃないか、ただ生きていることをまず肯定しろ、誰かに「生きていい」と許可される筋合いはない・・・

新自由主義のもとで、「働かざる者食うべからず」的な一般論を何にでも機械的にあてはめて、「役に立たない奴は生きる価値がない」とか、「生産性の高くない奴は職場にいてはいけない」とかとらえる風潮が強まったと思うんですが、・・・

生存よりも市場原理が優先されてきたからこそ、働いても生活していけないという状況が現れてきたわけですから、まず生存をいちばん中心に置くという考えを据えてほしいです。

2008年12月14日 (日)

加藤周一氏を偲んで ②知識人について

 1 日本の知識人の特徴について

 明治維新以来、日本の知識人の大半は官製であった。富国強兵のために知識人を養成(具体的には官吏の養成)し、動員した。彼らの目は常に西欧を向いていたし、かつ富国強兵に必要な要素に集中していた。したがって、文化や社会問題に対する関心は皆無に近く、扱う余裕もなかった。自国の伝統的文化に対する無関心は、そのまま歴史的感覚の鈍さに通じている。明治以来の日本の思想的、文学的、芸術的貧困の根本的な理由はここにある。

 日本の知識人の構成において若者(学生)が占める比重が大きい。(註:主に引用しているのは1957年当時の加藤氏の評論である。)これは日本に特徴的な現象である。同時に欧米の文学についての知識は欧米の学生よりも豊富である。ところが、さらに特徴的なことは、日本の学生は就職したとたんに文学や総合雑誌を読まなくなる。その理由は、会社での仕事が忙しいとか、付き合いで時間がないとかいう些事である。些事というのは、読む気になれば時間などいくらでも作ることができるという誰しも認めざるをえない理由による。なぜ、そうなるかと言えば、結局は、若い時代の活動そのものが付け焼刃であり、生半可であり、何一つ確かなものを捉えていなかったからである。残念ながら、若い知識人の大きな部分はみせかけにすぎない。

 2 知識人の戦争に対する態度

 戦時中に知識人はどういう態度をしめしたか。京都学派の哲学者たちは積極的に戦争を支持した。永井荷風は心底深くファシズムを否定した。そして多くの知識人は、その間にあった。

  問題とするのは、知識人層の戦争およびファシズムに対する態度であり、殊にその精神の内側の態度である。文学者は例外を除き沈黙を守ることができた。したがって、言論の弾圧による変節という問題を離れた、心のなかの自分ひとりの考えとして取り扱うことができる。

  文学者の多くが絶対的な価値を持たなかった。ゆえに、ファシズムに限らず、何事に対しても絶対的に反対する理由がなかったのも当然の話である。そこでは科学的な思考さえもが放棄されたのである。倫理的な価値も、美的価値も、科学的思考が保証する真実さえも、天皇・ファシズム権力・国家・民族を一括した「日本」という得体のはっきりしない概念とすっぽり置き換えられる程度のものであった。 

 一般に日本の知識人に共通の、思想と人格、イデオロギーと本心、合理的な思想と感情生活(あるいはむしろ実際の生活)の関係のし方が問題になる。吉本隆明流にいえば、日本の知識人のなかに思想的空白があり、そこに「生活意識」があり、意識的に反省されないその「生活意識」が、意識的に反省された「思想」よりもはるかに強力であった。なぜ「思想」と「生活意識」との乖離が起こったのか。ひとつは、「思想」が外国から入っており、頭だけで理解されている。したがって、生活にはほとんど浸透していない。ふたつめは、この「生活意識」は実生活に不可欠のもので、小集団を支配する「家族的意識」が、「思想」に優先するのである。いいかえれば、「思想」の生み出す価値は、実生活上の便宜、習慣、感情につまるところ超越しないと言ってよい。要するに、超越的な価値概念・真理概念を、日本の近代は生んでいなかったということである。

 とはいえ、すべての知識人がそうだったわけではない。矢内原忠雄と南原繁のキリスト教における理想は国家を超越していたし、宮本顕二・百合子夫妻に代表される共産主義者は思想を国家に超越させ、命がけで守り抜いたのである。

 (編集途中です

2008年12月 7日 (日)

加藤周一氏を偲んで ①日本的なもの

 加藤周一氏の日本論、日本文化論、日本人論は非常に面白いと同時に有意義である。最も重要な点は、単なる教養的関心からではなく、日本の現状と将来に危機感を抱き、日本の将来はどうあるべきかという問題を文化的な側面が中心ではあるが、真剣に検討していることである。また、日本の歴史に対し無類の関心を示し、文化的遺産から積極的、肯定的要素を発見し(同時にそれは根強くある偏見の排除でもあるが)新たな文化の創造のための普遍的な原理を創造しようとしている点にある。 ここでは、巷であたかも日本人に共有された感性であるかのごとく流布された「もののあわれ」概念の特殊性を指摘した評論の一部を抜き出し紹介する。その前に、先取りして、少しばかり分かりやすく解説しておくと、江戸時代に本居宣長らの国学者は、これまで日本の文化への中国からの影響が非常に強かったことをよしとせず、歴史のなかに純粋の日本文化を見出そうとした。選別していくと、中世の文学のなかに「徒然草」や「方丈記」を発見した。しかし、そこにある精神とは非常に浅薄なもので、到底哲学などと言えるものではない。同じ中世にも、すぐれたものはたくさんある。「方丈記」の代わりに「歎異抄」を、「徒然草」の代わりに「正法眼蔵随聞記」を取れば、事情は一変するであろう。

 「かくして、もののあわれ的偏見は固定した。第一には、国学を通じ、日本の文化の中から外来の要素を排除することによって、第二には、主として世襲的身分制度を通じ、日本的なものの評価に、民衆の参加を排除することによって。」

 「・・・枯淡の味は、日本の文化の特長ではなく、その頽廃の徴候にすぎない。」

 「この日本的なるもの(註:この場合は肯定的な意味で)すなわち感覚的豊饒と実践的な論理、風刺的機智と心理的洞察の才能は、たとえば中世に発するとしても、決してそこで終わったのではない。その後の文学と芸術が、その最高の水準において、絶えず展開し、証拠だててきたものである。・・・このような芸術、政治哲学、文学の中に躍動している精神が、もののあわれ的、わび・さび的精神からどれほど遠いかは、容易に想像されるであろう。」

 「日本的なものの概念を根本的に建て直すことは、日本の文学・思想・芸術によって育てられた尺度から出発して、外国の作品に対しても通用する普遍的な尺度をつくり出すためにどうしても必要な前提である。」  

 「偏見を透してみた過去は、今日の現実につながらないが、偏見を排して見直した過去は、現在の我々の状況につながり、その歴史的厚みとして現れるだろう。」  

 以上であるが、ここで、ついでに、戦時中に戦争阻止のために論陣を張り、残念ながら敗戦直前に獄中死した戸坂潤のニッポン・イデオロギー論を紹介したい。 農本主義者たちが使う「日本精神」という概念は、「説明されるべき対象ではなくて、却って夫によって何かを相当勝手に説明するための、方法乃至原理に他ならないからである。」と言っている。同様に「日本主義は何等の内容もないと考えられると同時に、それと反対にどんな内容でも押し込むことも出来るわけで、・・・。」と述べている。こういう中身のはっきりしない言葉をもってきてすべての現象を説明する原理にしてしまうのは安っぽいけれども侮れないペテンである。そういうことは世間にはよくある。先の国学による「もののあわれ」も今にして脈々と受け継がれ、思い出したように語られる。晩秋に枝から舞い落ちる枯れ葉に「もののあわれ」を感じると言っても、それは、ただ、秋が終り寒い冬が来ることに対する感傷的な気分にすぎないだろう。冬が終わればまた春がやってくるのだから、終末の感覚ではない。大衆は決して悲観論者ではない。

 ついでのついでだが、戸坂潤のニッポン・イデオロギーという論文は1934年に書かれているが、その論文のなかに安岡正篤が出てくる。細木数子に騙された、あの安岡である。

2008年12月 6日 (土)

生きる権利

 格差問題について何度か発言してきました。昨今の格差問題の核心は、働き方の違いから発生する格差の問題です。すなわち非正規雇用か正規雇用かの違いによって、賃金格差(年収格差、生涯賃金格差)が発生するということ。そして格差があるだけではなく、低いほうのレベルには貧困問題が発生しているという事実です。すなわち、生きていけるかどうかの瀬戸際まで追いつめられている。生存にかかわる問題だということです。また、現在ばかりではなく、階層が固定化することにより将来に渡って貧困から抜け出せず、賃金が上昇する正雇用者との差は広がる一方である。フリーターは結婚もできず、子も産めない。こういう現実があります。そして金融危機から連鎖した景気の後退が、非正規の職さえ奪いつつあるのです。

 近代的国家、民主的国家においては少なくともその生存は保証されなければならない。憲法はさらに進んで最低限の文化的生活を保証すると謳っています。持続的発展とは、再生産可能な社会ということです。生きるということは、命の再生産です。永く生き続けるということは家族の再生産です。社会の発展とは、広くとらえれば拡大再生産を続けることです。こどもをたくさん産み、育てることです。しかし、それがなかなか困難になってきているのです。再生産ができないということは、「死」を意味します。個人の死であり、家族の死であり、社会の死です。格差社会の解消は重要問題です。しかし焦眉の問題は、当面貧困の解消ではないでしょうか。

遠藤実氏逝く

 演歌界の大御所である遠藤実さんが亡くなった。子供の頃から馴染んできた作詞家、作曲家が一人一人消えていきます。今年は阿久悠さんが亡くなりました。有力どころでまだ存命なのは、船村徹さんと市川昭介さんです。

 遠藤実さんは貧乏話が有名でした。町を歩いていて紙片を見つけ、紙幣だと思って人目を気にしながら拾い、逃げるようにして帰って確かめたところ、ただの紙くずだと分かり泣き崩れたとのことです。あまりに貧乏であるがゆえにそういう行動をとってしまったので、情けないことであるが、やはり貧乏を恨んだとの話でした。それから記憶にあるのは、新潟で夜の雪道を歩いている途中で、余りの寒さに耐えかねて小便を手にかけたという話です。

 遠藤さんには本当に数え切れないほどのヒット曲があります。私が知っている曲を挙げると、「北国の春」「星影のワルツ」「せんせい」などです。いずれもゆっくりしたテンポの歌で、心に沁みるメロディーですね。特に、「星影のワルツ」は若き日の千昌夫の歌唱が新鮮で記憶にも新しく、時々口ずさむことがあります。こういう歌が作れるのは、たとえ貧乏であっても常に未来に希望を持ち続けたからに違いありません。お悔やみ申し上げます。

加藤周一氏逝く

 「知の巨人」と言われた加藤周一氏が亡くなりました。89歳でした。しばらく前にテレビ出演していて相変わらず鋭いまなざしで鋭い発言をしていました。96歳になって依然元気な新藤兼人さん並みに長生きするだろうと信じていただけに実に残念です。

 加藤氏は元々お医者さんでしたが、その後の活躍は文学から文化評論、政治問題への評論に至るまで実に幅広い領域に渡り、また一つ一つに実に深みがあって、同時に他を圧倒する力強さがありました。私は、いくつかの評論集と対談集を読み、氏の信望者になっていました。特に日本の文化をいかに発展させていくかという問題意識には共感する部分が多かったと言えます。過去の文化から積極的な要素を見つけ出し、そこに世界に通用する普遍的な尺度を見つけなければ、いつまでたっても自立した日本になれないのではないでしょうか。過去を捨て、西欧をすべて正とする立場は間違いであるし、西欧を否定して日本の過去をすべて正とする立場も間違いなのです。社会の進歩が行き詰まりを見せている今日、どういう国を作っていくか考えることが必要ですが、その際に加藤氏の提起はなお示唆に富んでいると言えるでしょう。

 また、評論活動だけではなく、大江健三郎らと「九条の会」を作り、憲法第九条を砦に護憲を貫き、平和を求める運動を展開したことも付け加えておきます。

2008年12月 1日 (月)

夏目漱石の「こころ」

 漱石の「こころ」を読みました。昔、若い時に一度読んだ記憶がありますが、いつだったか定かではありません。読むきっかけは、姜尚中が書いて、結構売れている新書の「悩む力」に漱石が取り上げられていたからです。

 江藤淳は、新潮文庫の「こころ」の解説で、漱石が今なお広く愛読されている理由として二つの点を挙げています。ひとつは、漱石が伝統的な価値観・趣味を持っていたこと。もう一つは、それゆえに近代的な社会状況や価値観と真っ向から衝突せざるをえなかったことです。伝統的なものを持っていたがゆえに、近代の否定的な面をいち早く認識できたという逆説なのです。多くの明治の文人たちは、過去の価値観を捨て去り、西欧的なものを無批判的に受け入れたのですが、漱石はそうではなかった。これは彼の経歴に由来するところが大きいと言っています。すなわち、江戸以来の有力な名主の家に生まれ育ったということです。明治に入り没落していきますが、価値観や趣味は根付いていますからそのまま受け継がれます。そういう彼が、イギリスに留学することで近代とぶつかります。孤独な自我、孤立した個人を実感します。その体験は象徴的なものですが、これは現代に生きるものにもそのまま当てはまることで、そういう意味で姜尚中は漱石を取り上げたのです。

 近代は人間を共同体からの束縛(庇護)から解き放つが、孤立化させ、不安に陥れる。これは、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」で説かれている現象ですね。姜尚中は現代に生きる人間の宿命であり、その運命に耐えざるをえないと言います。悩みは尽きず、それを避けるよりは悩みぬいて突き抜けよと説きます。これは、私が学生の頃に、マックス・ウェーバーを学んだ時にも出てきた議論で、万人に当てはまるというよりは知識人の心境として共感できるものでした。

 近代人の孤立化は、経済学的に言えば、資本制生産の広がる過程で、農村から都市へ労働者が流れ込み、共同体的な紐帯を失うということでしょうか。しかし、この先永遠に孤立したまま、信頼関係を喪失したまま生きていかなければならないのでしょうか。姜尚中に言わせれば永遠なのでしょう。ウェーバーには次の答えがありません。しかし、人間を結合させる契機として、何か考えられるのではないでしょうか。マルクスは、「協働」という行為だったように思います。他に、労働の場を離れたNPO的な活動もあります。そういう集団的な活動に知識人は「宗教的」な臭いを感じたりして抵抗感を感じるもので、なかなか中に入っていけません。しかし、抵抗なく入っていける人たちも多くいます。したがって、経済学的には孤立化は普遍的な現象として正しいとしても、それは別の次元で克服されうるということではないでしょうか。マルクスは同じ経済学的次元で開放させようとしましたが、別の道もあります。どちらが正しいということではないと思いますが、姜尚中のように言ってしまえば、孤立化を克服する道を閉ざしてしまうのではないでしょうか。とはいえ、姜尚中の言っていることも心情的には分からないではありません。かくいう私も現実には孤立感が強いのです。

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