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2008年11月16日 (日)

あやふやな発言

 推測でものを言っちゃいけないと言いますが、推測であればまだましなのです。推測というのはいくつかの事実を根拠にして何らかの結論を出そうとしているので、何の根拠もなしにどこかで聞いてきたような主張をする人に比べれば格段にレベルの高い行為なのです。

 日常の会話だけではなく、仕事場でも同じことが言えます。資料は見ていないし、現場も見ていないのに、「こう思う」と言う。過去の経験、それも不確かな経験を思い出して口にする。私にも身に覚えがありますが、事実を確かめるのが面倒だったり、リスクを取りたくないので言い訳のようにして発言しているだけです。

 仕事場でのことは置いといて、日常の会話でも、いわゆる俗説が多くの人の頭のなかに入っていて、繰り返し言葉にされています。たくさんありますが、ひとつ例を出すと、勉強ばかりしていると頭がおかしくなる。受験勉強ばかりしていると、自分勝手な人間になる。視野が狭くなる。こんなことがよく「常識的に」語られます。しかし、真面目に考えてみると、そもそも「勉強ばかり」とは言っても、一日に何時間以上勉強すると、「勉強ばかり」になるのでしょうか。仮に、学校の授業以外に5時間以上すれば該当すると決めても、進学校の生徒でさえそんな子はたくさんいないでしょう。あるとき、無料のコンサートに行った時に、有名なピアニストに対して、いつもピアノの練習をしているのかという質問がされましたが、そのピアニストは「そんなわけないでしょう。家でゲームしたり外へ遊びに行ったりしてますよ。」と答えていました。ピアニストは四六時中ピアノを弾いているという思い込みがあるのですね。同じように、進学校の生徒は家に帰ってからも大半の時間を勉強に費やしているという思い込みがあるのでしょう。

 実際に、そんなに勉強ばかりできるものではありません。学校でクラブ活動をやっている子も多いだろうし、家でも食事や入浴など必要なものを除いた時間の半分以上を勉強にあてることは難しい。休日の時間も合わせて半分以上となると普通の子にはありえないことです。特定のテーマに限って追究している研究者ならば、没頭することはあるでしょうが、一般の学生は本を読んだり、音楽を聴いたり、外出したりしてバランスをとって生活しています。

 また視点を変えると、勉強時間が相対的に長い進学校出身者の考え方が常識外れで、自分勝手な人間が多いかというとこれも言えそうにありません。私は、進学校出身者をたくさん知っていますが、彼らを見ていると、それぞれ個性があって、たまに変わった人もいますが、その程度は一般的なバラツキと変わらないように思います。逆に全体としては、お人好しが多く、それは比較的生活に余裕があるのでものの見方が素直になるからでしょう。加えて言えば、難関大学にチャレンジして合格したという成功体験があることが人生における大きな自信になるようです。

 これと逆に、勉強時間の少ないグループが、多いグループよりも他人を思いやる気持ちが強いかというと、それは言えないと思いますし、その逆も言えない。ただ、言えることは、勉強をする余裕もないような生活条件を余儀なくされている層の生徒は、生活全体に余裕がなく、視野が狭くなりがちだということです。また、格差社会論に戻ってしまいますが、貧困層に対する社会からの援助をどう考えるかということと、高学歴で高所得の層が自分たちの立場をどう考えるかといことが重要です。両社の対立が先鋭化してしまうと全体が不安定になり、誰にとってもよい社会ではなくなってしまいます。

 最後に話をまとめますと、勉強ばかりしている子供は実際には多くはない。進学校に通っている生徒を勉強ばかりしている子だと想定しても、そういう子が特別歪んだ人格を持つのではないといこと。歪みが生じるとすれば、それは勉強するとかしないとかの問題ではなく、生活の条件の違いが根拠になるということです。そして、元に戻り、俗説になっていることを疑問を持たずに正しいことと思いこんでいる場合が多く、そのことが真実を知ることを妨げているという事実があります。

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