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2008年10月12日 (日)

国破れて山河在り

 有名な杜甫の「春望」という詩の冒頭である。漢詩に関する知識は実に乏しく、この杜甫の他に名前を言えるのは、李白、陶淵明、白楽天ぐらいだ。作品は、高校でいくらか教わったような気がするが覚えていない。白楽天は中華料理屋の屋号でよく目にするが。

 春望という詩を改めて読んでみると、こういう内容だったなと思い起こす。普段は国破れて山河在り、の部分だけが頭にあって、そこだけ勝手に解釈をしている。ネットで調べてみると、この詩は、自然は依然と昔のままの姿を保っているのに、国は戦乱で荒廃し、自分も家族と離れ離れになってしまい嘆かわしいことだという意味らしい。方や私の解釈は、冒頭だけ見ているので、国は戦乱で崩壊しても、山や河などの自然は元のまま失われていない。またこれを土台にしてやり直すことができる、と受け取っていた。

 昨年からサブプライムローン問題に端を発して、金融危機が深まり、この一週間は株の暴落が世界的に起こっている。こういう状況を見ていると、「国破れて山河在り」が口をついて出てくるのである。金融のシステムが混乱し、信用が崩れても、実体経済は残る。社会的インフラは遺産としてあるし、生産設備も、労働者も、生産のノウハウも前のままある。確かに、システムがなければ経済は動かないが、システムは組み換えが可能である。移行期には混乱が生じ、既得権を失う者も出る。しかし、それは避けられない。要は、だれが次のシステムを作り出し、担うかという問題である。少なくとも今のシステムを作った人間にはできない。やったとしたらそれはペテンである。騙されないようにしなければならない。

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