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2008年8月13日 (水)

公私の区別

 一般的に公私の区別をつけることは大事なことだと思うが、具体的にどういった内容を含んでいるのだろうか。

 私のように会社に勤めているものからすれば、会社が「公」であって家庭が「私」となる。この図式が基本になる。視点を変えると、国家や自治体によって管理される組織や空間における行動が「公」であり、企業の活動は「私」の領域となるが、ここでは前者の図式に従って考えたい。

 公私の区別とは、一番次元の低いことから始めると、会社の物を私用で使わないといった類の話になる。私用電話も同じである。これは理解しやすい事象であるが、家庭のもめごとを会社に持ち込まないということになると、考え方としては正しいことだと誰もが言うだろうが、気分・感情のレベルまで制御して、全く別の気持ちで会社に出てくるのは実際は不可能である。基本的には、家庭で何があろうが、何をしようが本人の勝手であって、会社できっちり仕事をすればいいのであるが、そうはいかない。

 「公私の区別」という考え方は、「公」においてはルールに従い、勝手な行動を慎みなさいという「規制」として意味をもつのであるが、人間は統一された一つの個体であって、時間や空間できっちり二つに分けられる存在ではない。もしも分けられるとすれば、分裂した二つの精神をもつ二重人格者ということになる。

 一事が万時という言葉が示しているように、家庭でゴロゴロして時間を過ごしている人に、会社で仕事のスピードを要求しても無理な話である。また、そういう人に計画的な仕事の実践を要求しても無理である。家で何をしようが文句はなかろうという主張になるのだろうが、計画的にゴロゴロしているならともかく、何も考えずに時をすごしている人に、時間のコントロールはできない。

 これからは、時と場合を選ばず、合理的効率的に行動できる人が求められる。もともとそういうタイプではない私から見れば窮屈な感じがしないではないが、そのように変わらなければ生き残れない現実があることは間違いない。「私」のレベルから変わらなければならないのである。

 以上述べたことと同じことだろうが、会社で環境活動だとか省エネだとか言ってみても、家庭でエネルギー、資源を浪費していては、そういう活動は前進しないだろう。まずは、自分のライフスタイルを顧みる必要がある。

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