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2008年6月の投稿

2008年6月29日 (日)

組織の問題

 組織の問題を考えるために、日本軍の失敗の要因について調べている。雑誌の特集、研究書、対談など数冊を読んだ。扱われている内容は主に太平洋戦争における日本軍の失敗であり、その組織としての弱さに言及するものである。太平洋戦争については歴史の授業で学ぶ機会はなく、映画の映像でたまに目に触れる程度であったから、初めて知ることが多く、興味深かった。

 日本がアメリカに負けたのは、生産力の差であり、物量で負けたというのが一般的な見方であり、それはそれで間違いではない。しかし、学んだところでは、ソフトの部分で負けたという主張が目立った。たとえば、軍の人事制度、教育制度、組織風土などである。日本軍は戦争が始まっても、平時と同じように定期の人事異動を行っていた。それは年功序列によるもので、戦時に必要な人材を抜擢することができなかった。アメリカのニミッツ提督が23人抜きで抜擢されたことと対照的である。軍人の教育は明治以来の官僚育成のための教育と同じく、すでにある答えのなかから最適な解を選択させるもので、自分で答えを作り出す内容ではなかった。作戦を考える演習はあっても戦略を考えだす訓練は施されなかった。また基本的には「よい成績」で卒業した者から順に出世していった。風土で言えば、人間関係が重視され、侃侃諤々の議論は避けられた。科学的、合理的な思考から何が正しいか、あるいは有効かを追求するのではなく、誰が言っているからとか、声の大きな者のいうことが通るとか言った非合理な意思決定がまかり通った。

 決定的な弱点は、情報と補給を重視しなかったということであった。最新の情報よりも、過去の成功体験が優先された。同じ作戦を繰り返し行ったのである。武器、弾薬、食糧などの補給は言うまでもなく重要なものであるが、食糧などは現地で調達すればよいという考えがあった。当り前のことであるが、腹が減っては戦ができぬのに。

 山本五十六は偉大な軍人と思わされていたが、学者や評論家の見解を聞くと、非常に低く評価されている。アメリカの実力を正しく認識していたとか、艦隊による決戦ではなく空母を主力とした空中戦の時代に入ったという認識は他の軍人にない先進的なものであったが、非常に口の重い人で、自分の考え方を部下に説明し理解させていなかったことが致命的な弱さとして指摘されている。リーダーのあるべき姿を考えるときに大いに参考になる論点である。

2008年6月28日 (土)

未来像

 世界はどのように変わっていくか。国家は次第にその機能を弱め、やがて消滅していく。NGO、NPOの役割が大きくなり、企業はなお存続していくがその社会的役割を増していく。国家の福祉的機能は、徐々にあとの組織や機関が受け皿になって引き継がれていくだろう。ただしその移行はスムーズなものではなく、一時的には混乱を生じるだろう。それを緩和するためには、弱まっていく国の機能のなかでも福祉的機能だけは相対的に残していかなければならない。(だから政権がどのような性格をもっているかは重要な関心事である。)

 次に、経済は、投機的な資金の移動すなわちマネーゲームが一層顕著になるだろう。事業を起こすために投資して、事業から得られる利益によって配当を得る。これが真っ当な投資であるが、これには時間がかかるし、簡単に利益が得られるわけではない。したがって、少しでも儲かるネタがあると資金が世界中を駆け巡るわけである。それができるように様々な規制も取り払われてきたのである。結果、金融商品や商品の先物取引にお金が流れ込み、価格の上昇を引き起こす。原油の高騰がその最たるものである。この動きによって、いつか分からないがハイパーインフレが発生し、紙幣は紙くず同然になるのではないか。そうしたら経済は混乱する。生活や生産に必要なものを手に入れるため、元々交換の手段として存在する貨幣は必要である。今更物々交換では経済は成り立たない。従来の概念とは違う、交換の手段が生まれなければならないが、それはどんなものか分からない。地域で、その地域だけに通用する疑似通貨が発行されているが、それもヒントになるかもしれない。たとえばボランティアで3時間奉仕すればチケットを受け取り、そのチケットで3時間分の奉仕を受け取ることができる。この前提はAさんの1時間の労働とBさんの1時間の労働は等価であるということだ。広げて考えると、日本人の1時間の労働とケニア人の1時間の労働は等価ということになる。現在の常識では考えられない。生産性の違いから、日本人の1時間が生み出す価値の方がはるかに大きく、「労働力」の価値すなわち賃金は高いのである。新しい社会では、それが変わる。平準化していく。等質化していく。いやいや、それはおかしい。人によって能力は違い、生み出す付加価値の大きさが違う。先進国と途上国では生産力が違いすぎる。こういう問題に今答えることはできない。最後にひとつ、アメリカは最大の軍事国であり、ドルは基軸通貨であるが、やがてアメリカ国家も消滅しドルも消滅する。

2008年6月22日 (日)

丹羽宇一郎氏の本から

 伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎氏の著書のなかにあったご意見で、いくつか同感できることがあり、以前その点に触れた。1990年代なかば以降、中間層が解体され非正規雇用が増大していったが、その点を危惧した主張である。

 ひとつは、国民の購買力の低下であり、内需を減退させるということ。もう一つは、ものづくりの技術伝承が損なわれることであった。国を安定的に支えているのは中間層の国民であるという前提がある。

 これに加えて、戦後の民主主義を支えてきたのは、また中間層であり、国民の高い知的水準を支えてきたのも中間層であったといえる。多くの調査結果で分かるように、所得水準と教育水準、知的水準は強い相関をもっている。所得の低下は教育を受ける機会の喪失を招く。このことは広く、国家の知的水準の低下につながることであり、長期的に考えて放置できない問題である。国家財政が厳しい中でも教育投資は削ってはならない。あくまで国策として考えるべきである。

 

2008年6月21日 (土)

お葬式

 親戚関係で、一週間に、結婚式と葬式との両方を経験した。楽しいのはもちろん結婚式であるが、印象深いのは葬式の方だ。いずれ自分にも死が訪れ、遺言を残さぬ限り葬式が行われるはずだ。無理だと分かっていても、自分の葬式を見てみたいものである。かつてジェームズ三木が、どっきりテレビで、妻をだまして自分の葬式をやった。悪い冗談であるが、やってみたい気持ちはよく分かる。

 人が、死んだ後に何を残したか。その人生の評価は様々な角度から可能であるが、葬式にどれだけの人が集まったのかも一つの基準になるだろう。ただし、多ければいいという単純なものではない。大きな組織に属していれば大勢集まる条件がある。要は、仕方なく行くという形式だけの参列者を除いた人数の多さである。

 自分の死を惜しんでくれる人が大勢いる、そういう生き方をしたい。誰も来なければ、何も残さなかったということになる。

2008年6月 1日 (日)

本探し

 趣味と同時に、情報を得るという実利のために書店通いが週末の日課になっている。梅田周辺の、旭屋、紀伊国屋、ジュンク堂が訪れる先である。

 一回出ると本屋のはしごはなく、2時間は留まる。文庫もしくは新書のコーナーでずっと過ごすか、ビジネス書を見てから文庫に移動するか、どちらかの場合が多い。本の見方は、例えばちくま文庫ならちくま文庫に集中して立ち読みし、そのなかで面白く、その分野ではそれなりの水準があると思う本を選び購入するのである。最近は文庫を出版する出版社の数も増えたが、それぞれ特徴がある。いい本が多いと思うのは、ちくまの文庫と発行冊数は少ないが中央公論の文庫である。新書も同じ、ちくま新書と中公新書が多い。

 本は何を読んでも勉強になるというものではない。いや、読み方によっては読む価値ゼロはないだろうが、限られた時間を使うのであるから質は大事である。読み手の価値観や問題意識に合致するものを選び出すには立ち読みでパラパラめくるのが一番効率がよい。インターネットの販売では中身の吟味は難しい。書店を回ると足や腰がくたびれることが多いが、家でじっとしていることに比べれば圧倒的に得るものが多いのである。集中力が切れる夕刻から夕食までの時間帯がもっともよい時間帯である。

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