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2008年5月の投稿

2008年5月18日 (日)

四川省の大地震

 中国四川省の地震は日を追って被害が膨らんでいる。最終的には神戸の地震の10倍程度の死者が出るのではないか。住民にすれば、全く予期していなかったことで、一瞬にして家を失い、家族を失ったショックは想像をはるかに超えたものであろう。同情はするが、結局は他人事になってしまう。

 救援物資を奪い合う光景が報道されている。それがごく自然な行動なのであろう。まずは自分が生き延びることが大事なのである。とはいえ、超えてはならない一線がある。暴力的略奪や被害者が互いに殺しあう事態は避けなければならない。同じ種どうしが命を奪い合う行為は、他の動物にはない。

 国連で活躍した明石康氏の発言を書いたことがあったが、日本の、無原則にルールを守る国民性には問題もあるが、このような被災地における暴動を抑止するという意味では、都合のよい特徴ではある。

 元に戻り、耐震構造がとられていなかったことが建物の倒壊を決定的にしたのであるが、そういう構造を住民自身が選択することは難しい。地震、およびそれに対するリスク管理の知識および意識は薄い。当面の生活が大事なのである。ここは政府、地方政府が科学的な研究成果を踏まえ、政策的に規制をかけるべきである。また付加される費用については負担あるいは一部助成をすべきである。そこまで財政の余裕があるのかどうか知らないが、結局復興の費用はそれ以上にかかってしまうのである。政治はそういうマクロ的な見方なしでは成り立たないのである。

2008年5月 5日 (月)

ホームレス

 ホームレスはホープレスだと言った人がいる。うまく表現したものだ。

 ホームレスが発生した要因は、基本的には経済的なものである。要は収入がなくなってしまい、それまでの生活を維持できなくなった。そしてさしあたり住むところがなくなってしまったのである。収入がなくなったら、即住むところがなくなるわけではない。親、配偶者、兄弟などが援助してくれるケースはたくさんある。それがなかったら。助け合える場、それが「ホーム」であるならば、そういう場の喪失がホームレスである。ハウスレスとは言わない理由がそこにある。

 見捨てられた人がホームレスである。ホームレスが増える社会は、人を見捨てる社会なのである。行政が支援することはなく、またボランティア活動が生まれる風土のない日本は生活困窮者に非常に冷たい社会である。欧米では教会がホームレスの支援を行っているが、日本のお寺がそういう活動をしているという話は聞いたことがない。僧侶であっても信仰をもっていないと言われるほどだから、お経をあげることだけが業務上の行為になってしまっている。そもそも仏教の教えのなかに貧民を救済するという考えはないのではないか。研究してみなければわからないが、現世利益を含め、自分の人生がどうなるか、来世がどうかなるかが関心事であって他人は考慮しないのではないか。炊き出しをするより、托鉢をするほうが大事なのである。

 元に戻り、弱者に冷たい社会だと言った。それは日本に限らず、国家というものはそういうものかもしれない。アメリカの国家も冷酷である。しかし、国家はそうであっても、社会が自らセーフティーネットを張っている場合がある。それがある社会は懐の深い社会であり、成熟した社会だと言える。現状からみれば、日本は未熟な社会だと思うが、昔からそうだったのではあるまい。相互扶助の行き届いた時代があったはずである。これは政府、政党、宗教団体などの怠惰の賜物以外の何物でもないと思うが、いかがであろうか。

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