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2008年4月の投稿

2008年4月27日 (日)

食糧安保

 日本の食糧自給率はカロリーベースで39%だそうだ。先進国のなかでも著しく低い。自給できる国もあり、輸入国のドイツで84%、イギリスでも70%であるから、日本はどうも異常なのである。

 日本も1961年には78%あった。ここから急激に農業という産業分野の空洞化が進む。農業人口が当時1500万人だったものが現在はたったの250万人になってしまった。工業の発展に資源を集中し、明らかに農業は犠牲にした。工業で外貨を稼げば、食糧などはいくらでも買うことができると考えたのである。ところが、人口増や中進国の経済発展などの要因によって世界的に食料が不足しだした。今までの様に安く買いつけることができないのだ。おごりがあったと言うべきだろう。

 いろいろな国から食料を輸入することはリスク分散になってよいとの主張があるが、国際価格は同じように上がるのであり、どこから買っていても変わりはない。戦時になれば空路海路ともに確保できる保証はない。そこをなんとかしようと考えるとシーレーン防衛などという物騒な発想が生まれるのだ。

中国の発展における不安

 中国に友人ができて、中国の発展の現状と今後について今まで以上に関心を持つようになった。近年著しい経済成長をとげたのは見事であるが、見事な実績の裏には大きな犠牲が付き物だ。急激な社会変化と自然の変化は何を意味するか。

 社会の変化は生活のあり様を変える。良くなる人がいる代わりに悪くなる人がいる。貧困の発生である。報道されないが、かなりの生活困窮者が生まれているようである。こういう人たちが今後どうなるのか。自然の変化とは、端的に言えば自然の破壊である。大気の汚染、水質汚濁、森林の喪失、洪水の発生、砂漠化などである。公害問題はあまり報道されていないが、日本の過去を振り返ると同じ事が起こっていても不思議はない。

 貧困は解消されるだろうか。政府も問題視しているが、今後経済成長が止まれば、貧困層に回す富が生み出せなくなる。日本の場合は労働組合運動などを背景に所得の向上や政治を通じて再分配が進み、生活水準の引き上げが図られた。しかし、それだけの余裕を生み出す水準まで経済発展が進むか。あるいは富の再分配を促す政治の調整プロセスが働く制度的保障(即ち民主主義)がないことが不安の材料である。

 いずれにしても痛みは少ない方がよい。

2008年4月26日 (土)

心地よい範囲の狭さ

 暑さ寒さも彼岸までというが、多少のずれはあってもおおよそはそう言えそうである。ここしばらくは「いい気候が続く」はずである。しかし、この時期でも晴天で風がなければ暑いぐらいの日を経験する。そうこうしているうちに日々暑い日が続くようになる。考えてみれば、過ごしやすい時期は極めて短いのだ。

 大阪の気温は0℃から35℃の幅で変動する。このなかで過ごしやすい気温は、15℃から25℃の間だろうか。心地よい気温となればもっと狭まるのである。人間の快楽を感じられる幅は気温に限らず狭いのではないかと思う。したがって、大なり小なり不快な状況に生きているわけで、物理的にあるいはメンタルな面で策を講じて生きやすくしているのである。生活の知恵とはそういうところから生まれるものであろう。

2008年4月20日 (日)

フロックの起きやすいスポーツ

 フロックが起こりやすいということは、事前に勝敗の予測がつきやすいことの裏返しである。それは実力差がそのまま結果に出るかどうかということである。

 個人スポーツと団体スポーツとでは一般的に団体スポーツの方が変化が多く、かく乱要因が大きいため結果が予測しがたい。また団体スポーツでも、リーグ戦はトーナメントほど波乱が起こらない。

 実例で考えてみる。番狂わせの多いスポーツで、身近なものでは野球がある。高校野球で、このチームは間違いなく優勝するだろうと思えるチームは滅多にない。松坂がいた時の横浜高校、あるいは清原・桑田のPLぐらいだろうか。すきがほとんどなかった。江川はすごかったが、チームに打力が不足していた。高校野球の場合、毎年チーム編成が変わるので戦力が一定せず、また消化する試合数も少ないため戦力の分析ができないことも予測の立たない大きな要因の一つであるが、その他に、戦力に占める投手力のウエイトが大きく、かつ投手の調子にもばらつきがあり、メンタルな要素も大きいことがある。また、イレギュラーバウンドがあったり、ポテンヒットがあったり、天気が左右したりで、偶然の要素も左右する。私立の強豪校に公立校がたまたま勝ったりするが、これは緊張の高まる選手権の地方予選で多いようだ。プロ野球の場合は高校野球ほど戦力差はないが、6チームで長丁場のリーグ戦を戦うので、おおよそ見当がつく。現在阪神と中日が上位にいるのは順当である。読売の不振はキャンプに問題あったからだろう。なお、プロでも短期のシリーズは予測しがたい。

 その他、ラグビー、サッカー、バレーボール、バスケットなどはあまり詳しくはないが、予想外の結果というのはあまり聞かないように思う。高校の試合は野球と同じくトーナメントであるが、結果はシード校のなかから優勝校が出ており、佐賀北の様な例は知らない。

 個人種目はどうだろうか。個人の力はチームと比べるとシンプルで、測りやすい。これは人から聞いた話であるが、剣道でのフロックはあまりないらしい。力通りの結果が出るそうである。おそらく柔道もそうである。それに比べると大相撲は不確実である。横綱でも全勝は難しい。なぜだろうか。おそらく、がっぷり四つに組めば横綱が勝つが、離れてとれば展開に変化が生まれ思わぬ動きが生まれるし、立ち合いにもかく乱要因が付いて回るのである。したがって、一場所に2敗程度の負けは普通に起こる。

 その他のスポーツでは、陸上競技にまぐれはない。記録で競う競技は、個人の持っている過去の記録から大幅に伸びることはない。記録の近い選手の順位の入れ替わりがあるだけである。ただし、リレー種目にはバトンミスがあるので目を離せない。ボクシングもほとんど力通りの結果が出ると言えるが、競技の性格上試合数が少なく、力関係の読みにくい場合がある。スパーリングで手合せしていれば本人同士はわかるだろうが。ラッキーパンチがあるのもボクシングの魅力ではある。

2008年4月13日 (日)

ドラッカーを読む

 ビジネス書はいろいろ読んできたが、敢えて手にしてこなかった書がある。それはドラッカーとカーネギーである。どちらもアメリカ国内だけではなく、わが国でも多くの読者がいる。私が読まなかったのは、それだけ売れている本だから内容は一般受けするもので、面白みに欠けるだろうという先入観があったからである。

 しかし、雑誌の特集でリーダーが読むべき本のなかに、ドラッカーの「経営者の条件」があって記憶に残っていた。書店でビジネス書を見ているうちにそれが目にとまり、一回読んでみるかという気になった。

 実際に読んでみると非常に内容が濃い。今まで読んできた数多くの本を集大成していると言えるのだ。回りくどい言い方はせず、結論がずばり述べられている。その結論は、仕事上のもやもやを吹き飛ばすもので、行動に指針を与える。

 いくつかなるほどと思う主張を挙げておこう。

1 最優先課題を仕上げても、優先順位が二位だった課題に自動的に移行してはならない。最初から優先順位を考え直さなければならない。・・・・・通常は全く新しい課題が浮上してくる。

2 第一の現実は、時間がすべて他人にとられてしまうことである。・・・・・断固たる行動をもって変えない限り、日常の仕事の流れが彼の関心と行動を決定してしまう。

 外部の現実の世界に直接触れるべく特別の努力を払わない限り、組織の内部に焦点を合わせることとなる。

3 特に重要なこととして、組織の中に成果は存在しない。すべての成果は外にある。

4 組織のなかに生じるものは努力とコストだけである。プロフィットセンタ-なるものは言葉のあやにすぎない。内部にはコストセンターがあるだけである。・・・・・外の世界への奉仕という組織にとっての唯一の存在理由からして、人は少ないほど、組織は小さいほど、組織の中の活動は少ないほど、組織は完全に近づく。

5 根本的な問題は、、組織にとって重要な意味をもつ外部の出来事が、多くの場合、定性的であって定量化できないところにある。それらはまだ事実になっていない。

6 成果をあげることは一つの習慣である。実践的な能力の集積である。実践的な能力は修得することができる。それは単純である。あきれるほど単純である。

2008年4月 6日 (日)

福田と小沢

 福田と小沢を比較してみる。マスコミによって作られたイメージに影響されていると思うが、自分なりに評価してみる。

 福田には政治家のイメージがない。サラリーマン出身で、トップになることもなく秘書になって選挙に出て当選している。当然父親の福田赳夫の地盤を継いでいるのである。調整型の政治家で、首相よりも前に務めた官房長官が似合っている。

 これに対し、小沢は政治家的な顔を持っている。いいか悪いかは別にして、政局を動かす力はある。彼なりの理念もあるようだが、それよりも手練手管で政界を動かすことが得意な政治家と言えるだろう。したがって、心底信用できない面が強い。腹の中が見えないのである。

 結局、二人とも信ずるに足る人物ではない。もっとも今の政界でそんな人物は滅多にいない。過去の歴史に名を残す人物はたくさんいるわけだが、なぜに今こんなに薄っぺらな人物ばかりが目立つのだろうか。財界には尊敬できる人物がいるのに政界にはいないというのは、有能な人間が政界を目指さないからなのか、政界で生きていると人間性が鍛えられないのか。最初から権力を目指す人間にろくな人間がいないからなのか。はっきりはわからないが、どれも当たっているような気がする。

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