« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008年1月の投稿

2008年1月26日 (土)

スタイルを変えるとき

 今までのやり方を変えるときには思い切りが必要だ。すぐに成果は出ないかもしれない。しかし、だからと言って安易に元に戻してはいけない。そこは辛抱。新しい形ができるまではある程度の犠牲が必要なのだ。新しい力が育つまでは我慢しよう。

 ところで、全く話題が変わってしまうが、「果報は寝て待て」ということわざがある。これをどう解釈するか。できるだけのことをやったあとの結果は吉とでるはずだから落ち着いて待とうという意味だ。ほぼ、「人事を尽くして天命を待つ」に等しい。何もしないで待っていればいいこともあるさという意味ではない。世の中にそんなことは滅多に起こり得ないからだ。永く、ことわざとして伝わっていることには根拠があるはずなのである。

 とにかく、やるだけのことはやってから結果を待つことにしよう。

2008年1月20日 (日)

人生にはいくつかの勝負時

 昨日今日と大学入試センター試験が実施されたが、人生にはいくつかの勝負時があると考えた。学生にとっては受験が一回目の勝負であろう。特に大学入試は。

 入試でその後の人生がすべて決まることはないが大きな影響は与える。受験勉強でどれだけ真の学力が身に付くかということよりも、合格不合格がはっきり結果として出る勝負で勝つか負けるかということは、その後経験するであろういくつかの勝負に向けて、勝ち癖がつくかどうかという点で意味がある。

 その後、就職、結婚、昇進昇格、転職などの機会が勝負の機会になるだろう。そういう時には行動・判断の人生における位置づけをしっかりして力を集中すべきである。

 

2008年1月12日 (土)

早慶戦

 今日、ラグビーの大学選手権決勝が行われる。早稲田対慶応という39年ぶりの顔合わせである。早慶戦と言えば野球であり、ラグビーは早明戦というイメージがある。これは早稲田出身者の見方であって慶應からみればまた別の見方になる。

 さて今日の結果はかなりの確率で早稲田が勝つだろう。力に差がある。選手の出身校を見ると早稲田は高校の全国大会でシード校になっている学校が多い。啓光学園、大工大付属、東福岡高校などである。一方慶応はそういう高校もあるが、慶応高校や慶応志木高校などの系列校。また小倉高校などの公立高校も含まれている。そういう人材で決勝まで勝ち上がってくるのは大したものだと思う。

 野球でも六大学ではここしばらく早稲田の天下になっている。斎藤人気もあってさらに選手は充実するのではないかと思われる。特に投手陣は粒がそろっている。野球にしてもラグビーにしても有力校に選手が集中してしまうと関西の大学は苦しくなる。野球よりもラグビーの場合は競技人口が少ないだけに極端な集中が生まれるのである。

2008年1月 6日 (日)

復興期の精神

 昨晩、NHKラジオで1953年収録の「三つの歌」の聞いた。宮田輝アナウンサー司会で、一般の聴取者がピアノの生伴奏に合わせて歌を3曲歌うという内容である。宮田のアドリブでの進行の軽妙さは感心するばかりだが、それ以上に印象的なのはスタジオに来ている人達の笑い声である。腹の底から声が出ている感じがして、素朴さと力強さを感じる。年代は出演者の年齢から想像すると40代、50代が中心ではないかと思われるが、屈託のない笑いに戦後の復興期の未来に向けて開かれたエネルギーを感じて、現在と比較してしまったのだ。

 今でも公開番組はある。ラジオで聞くのは専らNHKだから、たとえば「真打ち競演」がある。これは寄席演芸を地方の市民会館などで収録するもので、ここでも屈託ない大きな笑い声が聞けるのであるが、なにせ来ているのは大半が老人である。もはや仕事は卒業した人たちであり、比較するには対象が違うかなと思う。少し付け加えると、都市部での収録はやや笑いの質が違うように感じる。

続きを読む "復興期の精神" »

2008年1月 5日 (土)

紅白のとり

 紅白のおおとりは五木ひろしであった。歌は「契り」。阿久悠の作詞であるが、聴いていて阿久の作品のなかでも最悪の歌であると思った。内容は浪漫主義であって日常の感覚から遠く離れたものである。「人の心は鴎のように真っ白だろうか」という文句があるが、真っ白な心など実際はない。いろいろな感情や欲望や意思が入り混じったどろどろした心があるだけである。「真っ白」という言葉で表現したいのは、純粋ということであろうが、そんな観念的に作り上げた心境は、ごく一部の倒錯した人間にしか定着しないものだろう。もしもそんな感覚が国民に広く及んだならば、そこはファシズムの世界である。同じ阿久作品でも、石川さゆりが歌った「津軽海峡冬景色」はよい。リアリティーがある。

2008年1月 4日 (金)

厳しい状況が続く一年

 内需が上向く根拠は全くなく、相変わらず米国と中国圏への輸出という外需依存が続く。しかも米国はサブプライムショックでしばらく腰折れ状態で、中国にも不確実性がある。

 株が急落した。これは原油高と円高、それに米国の株安が加わって日本経済への悲観論が強まったためといわれている。しかし、そもそもバブル期以降日本は世界から見捨てられているのだ。前も書いたかもしれないが、これは政治の無策である。バブル以降政府は数百兆円の国債を発行して「景気回復」のために投じたが、それで一体何ができたのか。体力を衰弱させた銀行や建設会社の救済のため、あるいは存在価値のない政府の外郭団体に仕事を与え続けるために大盤振る舞いしたのである。同じ金を使うにしても、日本の経済力が着く、優秀な人材が育つ用途であるならば有効な投資と考えられるが、実際は全く将来につながらない金の使い方だったのだ。

 このように政策に将来のビジョンは全くない。自民党の派閥や財界や自治体等の要求に対して、どこにもいい顔をして、調整しているだけであって、こういう国にするのだという展望に基づいて退けるものは退ける覚悟はどこにもない。

 日本はかなり前から見捨てられている。期待しない国にどこも甘い顔はしない。かつて大金持ちとみられていた時代はちやほやされたものだ。今や、後進国は中国を見ている。金を持っているからだ。

 このままでは内需は衰弱し、ということは国民が疲弊し、外国から稼いでこれる企業だけが儲かり、限られた労働者だけが潤う。そんな時代がここしばらくは続くのである。未来はあまりに暗い。

紅白歌合戦

 昔のように最初から最後まで通しで見ることはなくなったが、昨年の紅白は途中数回と最終盤を見た。そのなかには素晴らしい歌唱が含まれており感動した。そんな中で、最後は赤が勝ったか白が勝ったかという投票にはいるわけだが、なぜこんなことにまで勝ち負けをつけなければならないのか大いに疑問をもった。歌の良さを陳腐化させるだけなのだ。もちろん、見ている人はそんなことはどうでもよく、どっちが勝ったのかを話題にする人は皆無に近いであろうし、覚えている人もほとんどいないのであるが。

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »