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2007年6月の投稿

2007年6月30日 (土)

ニュース性

 ここ数年今ぐらいの時期になるとダムの貯水率が下がり、取水制限が行われるというニュースを聞くようになる。しかししばらくすると聞かなくなる。どうなったのだろうかと気になることがある。インターネットで調べてみると各ダムを管理している事務所がホームページで最新の貯水率を発表しているので分かるが、ニュースにでなくなると大体が回復しているのである。もう心配がなくなるとニュース性がなくなるからであろう。水が干上がってダムの底が見えていると不安をあおるので、見る人の注目を浴びるのである。放映時間に限りがあるので、殺人事件が起こると報道されるが、その後犯人が逮捕されたがどうか、ましてや逮捕されたあとの裁判がどうなったかについては特別なものを除いて報道はされない。いつの間にか消えてしまうのである。

2007年6月28日 (木)

物がたくさんあると豊かか

 役にたたない物をたくさん持っていても生活は豊かではない。使わないものは無いに等しいのではなく、邪魔物であってゴミのようなものである。

 一年間そでを通さなかった服は捨てなさいと言っていた人がいた。確かに1年間着なかった服は、礼服など特別なものを除き、二度と着ることはないであろう。概して安く買った服ほどすぐに飽きがきて着なくなる。会社員の男性にしてみれば私服を着るのは土日に限られるし、両日とも外出することは少ないからたくさんの服を持っている必要はないのだ。だから素材もデザインも気に入ったものは少し高くても買ったほうがよい。ユニクロもよいが、高いものには値打ちがある。

 家具も同様に丈夫で長持ちするのがよいだろう。そういうものは高い。北欧などでは同じ家具を何代も使うという伝統と言うか生活のスタイルがある。部屋に百円均一の店やホームセンターなどで買った安物の生活用品があふれていることもないだろう。

 本当に使える質のいいのものが揃ってさえいれば生活は豊かなのである。それからもう一つ、時間のゆとりであろう。

2007年6月27日 (水)

新三種の神器

 社会の変化はあらゆるところで見受けられるが、身近なところで感じるのは電化製品の入れ替わりであろう。これによって家電メーカーの盛衰が決まってしまった。

 松下は一時業績を落としていたが、DVDプレーヤーで息を吹き返し、プラズマテレビで復活を果たした。シャープは液晶テレビでトップを走っている。ソニーも出足で立ち遅れたがサムソン電子と提携して液晶の国内シェアを上げていって持ち直している。

 逆に苦戦しているのは、三洋電機。野中ともよを起用したこと自体がとんでもない間違いだった。デジカメで個性的な商品を開発したが結局大ヒットにはならなかった。技術の日立も苦しんでいる。日立は家電だけではなく、重電も持っているのでまだ大崩はしないが、今後しばらくは浮上しそうにない。

 このように短期に業績の差が生まれたが、これはやはりトップの経営判断によるところが大きい。時代の風をつかむ感性の問題であろう。

2007年6月26日 (火)

釣り

 小学生のころ、冬場を除いて川での魚釣りが楽しみだった。釣れるものはもっぱら鮒であった。安っぽい道具でもよく釣れた。バケツに入れて持ってかえって、大きな甕の中に入れておいた。えさなどやらぬものだから次第にやせ細っていくのだった。それでも飢えて死ぬものはいなかった。夏場は蚊が卵を産み、ぼうふらがわいた。それを食べていたのだろう。

 鮒以外では鯉も川にいたはずだが、圧倒的に個体数が少なかったので引っかからなかった。圧倒的に大きな鯉もいたはずだが、かかっても子供の力では上がらなかっただろう。今は田んぼが埋め立てられてみかん畑になっており、川が細くなって魚がすんでいる様子はない。別の場所へ行けば釣り場はあるだろうが、釣り人を見かけない。海での釣りはまだ大丈夫そうだが。

2007年6月25日 (月)

夏が来た

 大阪の夏は確かに暑い。朝晩に気温が下がらず、湿気も多いのが特徴である。私は三重県の海沿いの町の出身であるが、こどもの頃の記憶では昼間は暑かったが、戸は開けっ放しで風通しがよく、朝晩は気温が下がって涼しさがあった。当時は扇風機はあったが冷房はなかった。それでも苦にならない程度であったと思う。

 中学は津市にある学校に下宿して通った。4畳半の部屋で、窓を開けると数メートル先は田んぼであった。窓は木枠の窓であり、冬は寒く、夏は暑かった。それも尋常ではなかった。卒業まで扇風機はなかったし、こたつも入学当初はなく、今はない足温器というものがあっただけであった。夏は暑くて、勉強していると顔から汗が滴り落ちた。冬は朝起きたときに部屋のなかでも吐く息が白くなった。

 そんな生活をしていたので辛抱強くなった。今は冷暖房を使うが、なくてもすごす事はできる。

2007年6月24日 (日)

ふたたびボクシング観戦

 今日は西成の区民センターでグルーンツダジムの興行があった。メインイベントはライトフライ級の東洋太平洋タイトルマッチであった。フィリピンのチャンピオンにグリーンツダの中島健が挑んだが4ラウンドのボディへの連打で2回ダウン。ロープに追い込まれて受けるだけになったところでストップとなった。さすがタイトルマッチだけあってレベルは高く、チャンピオンは強かった。

 この興行は津田会長の追悼興行で、追悼式も行われた。ツダジムでは3人の世界チャンピオンを生み出している。井岡弘樹、山口圭司、高山勝成である。その他有名人には赤井英和がいるし、金沢ジムでチャンピオンになった徳山昌守も最初在籍していた。またトレーナーとしてエディ・タウンゼントの名が知れている。

 最後に今日の試合で、同郷の川口優が試合をして僅差の判定勝ちを収めた。これで6勝2敗となった。まだ20歳なので伸びると思うが、スピードとスタミナに欠ける。ボディーは打てるがストレートがきっちり決まらない。スタミナも走りこんで鍛えないと6ラウンドが終わってフラフラな状態であった。頑張ってほしい。

疲れについて

 慢性的に疲れがあるが、一口に「疲れ」と言ってもいろいろあるようだ。短期的な疲れ、慢性的な疲れ、精神的な疲れを伴うものなど。

 短期的な疲れは休息をとれば回復する。年齢によって時間に差はある。慢性的な疲れはなかなか取れない。これは生活のパターンを変えないと簡単には治まらないだろう。タクシーの運転手や二交替三交替の変則勤務をしている労働者はそれをやめろと言われても生活がかかっているのでやめられない。辛いところである。

 慢性的な疲れは精神的な疲れも伴う。心は沈み、決して明るい気分になれない。毎日が楽しくない。大きく生活パターンを変えられないとしたら、意識的に短時間でもよいから気分転換をはかれる楽しみを作るしかない。そこに救われる要素が生まれるだろう。兎に角何かしら転換をはかる行動が必要なのだ。

2007年6月22日 (金)

ある名医の話

 ある名医が言ったそうである。患者が診察室の扉を開けてから医者の前に座るまでに50%は診断がついていなければならない。目の付け所は何か。姿勢、歩き方、肌の色、眼を色、爪の色、吐く息の臭いである。これらの点の観察によってどこが悪いのか見当がつくのである。

 こういうのは名人の域であろう。今の医者はまずは検査しましょうである。検査の結果で判断する。いわゆる問診する力がない。これは医学に限らず、仕事でも言えるのではないだろうか。管理の名人、改善の名人、新規開拓の名人等道を極めた人が見当たらない。

2007年6月21日 (木)

神の手

 しばらく前のことだったが、神の手を持つと言われた考古学者がいた。次々に歴史を塗り替える旧石器を掘り出していったのである。それが毎日新聞の調査で、自分で埋めて自分で掘り出していたことがばれてしまった。同じ考古学者の間ではおかしいと思われていたに違いない。例えば、くっつけると一つの石器になる片割れ同士が何キロも離れた場所で発見されたことがあったが、これなどは実際ありえないことである。ところがマスコミで報道されるとロマンにあふれた話として受け取られてしまうのである。マスコミは怖い。安易に信じてはいけない。

2007年6月20日 (水)

人生を左右するもの

 特定の個人に外的な固定した力(例えば神のような)が一生影響し続けることはない。様ざまな力が重なり合って影響している。しかし強弱があって、ある一つの要素によって彼の人生は決定付けられたという表現ができる場合がある。分かりやすい例が戦争である。一旦起こってしまうと個人の力ではどうしようもない。徴兵され戦地に送られ戦死する。全くの犬死であるが、インテリほど自分の死に意味づけをしたがる。

 これはどうしようもない例であるが、現在の日本では今のところ直接戦争に巻き込まれる可能性は少ない。危険性はあることはあるが。そんな中で、生き方を自分の意思で選択できる余地がある。従って偶然によって不幸に落ち込む場合は別として、自分の考え方や行動の仕方によって自分自身を不幸に追い込んでしまうことは大いにあるのである。犯罪でいえば、通り魔は別にして、付き合う相手が悪ければ犯罪に巻き込まれる可能性は高くなる。普通の常識のある人たちと付き合っているかぎり、大きな面倒な出来事に出くわすことはないだろう。それは冒険をしないということとは別のことであろう。

 以上述べたこと以外に、親からの遺伝で受け取った身体的頭脳的要素も影響する。例えば病気の因子であるが、これは生活の仕方で現れ方の程度をコントロールできるが、どうしても完全には排除できないものである。人間とは自分の意思だけで自分の人生を完全にはコントロールできないものなのである。そこに宗教の生まれる背景がある。

2007年6月19日 (火)

キーエンス

 マンションのベランダからキーエンスのビルが見える。キーエンスとは工場などで使うセンサーを製造している会社で、売上高の約50%が経常利益という恐ろしい会社である。経常利益率の高さでは一方で日亜化学という発光ダイオードを製造している会社も双璧である。

 いずれも技術力で他社を圧倒しているわけである。キーエンスに勤める従業員の生涯賃金は6億円とも言われている。普通の会社では2億5千万円がいいところであるからそのすごさがわかる。ただ、どういう勤務実態があるのかは知らない。楽して儲けることはできないであろう。ただし、長時間労働でこんな稼ぎができるはずもなく、技術力を生み出す知恵が利益の源泉になっていることは間違いないだろう。

2007年6月18日 (月)

妖怪人間

 小学校の低学年の時期に妖怪人間ベムというアニメ(とは当時呼ばなかったが)がテレビで放映されていて私は好きだった。再放送も何度も見た記憶がある。生物実験の途中で生み出された得体の知れぬ生物で形は人間に似ているが人間ではない。顔は醜いのであるが、心は正義に満ち溢れている。そして邪悪な心に満たされている悪い人間たちをこの世から葬り去るのであった。

 醜さと正義感。この対照性に惹かれるのである。美しさと正義感との共存には嘘臭さがある。醜いからこそ、悪に虐げられる弱いものの心が分かるのである。

 彼らは人間ではない。だからこそ悪への嗅覚が鋭い。人間になってしまえば、悪に染まってしまうのである。

2007年6月17日 (日)

ボクシング観戦

 大阪IMPホールで次男とボクシング観戦した。大阪帝拳がプロモーションした試合で、4試合すべてで帝拳の選手が勝った。過去の戦績からして順当な結果であるが、応援の違いもあって確かに相手の選手にとっては不利な面もあった。

 世界のランカーが一人、日本のランカーが二人いたが、さほどレベルの高さは感じられなかった。特に世界11位の国重は8回途中のバッティングによる負傷で途中までの判定によって4ポイントほどの差で勝利したが、相手がまだ経験の浅い選手にもかかわらず手こずっていた。軽量級(L・フライ)なのでKOまでは望まないがきれいに勝ってほしかった。コンビネーションも悪く、特に体のバランスはひどかった。

 そのなかでも安定感があったのは、日本S・バンタム級10位に坪内だった。バランスがよくパンチも多彩で、もっと厳しく攻めれば後半にKOもあったと思う。

 多少眼が肥えてきたせいか、不満の残る試合も出てきた。まだデビューしてまもなく、技術的にも劣った選手同士の殴り合いの方がある意味迫力があって面白い。それはディフェンスが甘く、パンチもお互いにもらうからであるが。

2007年6月16日 (土)

営業

 企業との商談では上手くいかないことも多い。相手が個人商店であれば結論は早いし、力関係からしても当社の方が有利である。企業の場合には相手企業によって組織の特性が違い、指揮命令系統は様ざまである。担当者と合意に達していても、上がそんなことは聞いていないと言う見解で白紙撤回されることが多い。それはないだろうと言いたいが、文書で契約を交わしていないので強気には出られない。相手が新興のサービス業者である場合には特にそういう例が多いのである。稟議のルート、仕組みがどうなっているのかを予めつかんでおくのが肝要である。

2007年6月15日 (金)

酒 

 もともと酒は強いほうではない。しかし大学時代に鍛えられた。週に2~3日は飲みに行った。コンパも多く、一気飲みはしょっちゅうやっていた。一番ひどいのはウイスキー一気で、さすがに飲み屋でするのはもったいないので、酒屋で買った安物のレッドでやった。たしか早慶戦前夜の神宮球場周辺で泊り込んだ時のことだった。グラス一杯飲み干したが、飲んでしばらくすると当然眼が回りだす。そして意識をなくす。眼を覚ますと神宮の森のなかで寝ていた。

 記憶を失うことはたびたびはなかったが、一度阿佐ヶ谷で今成蹊大学の教授である小原氏と国立民俗博物館に勤めている新免氏を相手に3人で日本酒の大徳利を20本以上空けたときがあった。帰りの途中までは記憶があったが、それからどうやって帰ったのか覚えていない。

 このように鍛えられたので、今でも無理をすればそこそこ飲むことができる。しかし飲んでいておいしいと思うのは、ほんの数杯だけである。

2007年6月14日 (木)

藤山寛美のこと

 子供の頃、テレビでよく松竹新喜劇を見た。父が好きでよく見ていたので一緒に見たわけである。藤山は喜劇王と言われるほどの役者であった。声は舞台でよく通る質ではなかったが、せりふや表情の作り方が上手かったように思う。芝居の専門でないから分からないが。また長い間ほぼ同じメンバーで芝居を作っていたので、互いに息が合っていたことも藤山のよさを引き出していたのだろう。にわか作りの芝居とは違うところである。

 新喜劇でおどろいたのは、お客様お好みリクエストであった。何十と言う演目のなかからその場でリクエストをもらい、今からなにを演じるか決めるのである。従ってセットはすべて揃っており、演者はせりふをすべて覚えていなければならないのである。しかし、いとも簡単にやってのけた。記憶に残る演目は「愚兄愚弟」「人生双六」である。

 

2007年6月13日 (水)

 日頃何かを美しいと感じることはまずない。美と言っても、視覚に訴える美もあれば観念に訴える美もある。前者は風景であったり芸術作品であったりする。後者は、潔い行動、正義の行動に対する賞賛の観念であろう。

 いずれにしても日常のなかで感じることが少なくなった。いろいろ理由はあるだろう。自然に触れる機会が著しく少なくなった。映画も見なくなった。美術館へはもともと行かない。偉いと思える人間が少なくなった。自分の感性も鈍くなった。

 美的感覚の回復は可能だろうか。これは意識的に対象物を追求するしかないだろう。それなしに感覚だけを再生させることはできない。できる事ならヨーロッパの自然や歴史遺産に触れたいが、そんな余裕はないし、せいぜい京都の散策ぐらいで何かを見つけるしかなかろう。

2007年6月12日 (火)

今月の文芸春秋

 この雑誌は私の嗜好に合わず、芥川賞の作品が掲載されているとき以外は購入したことがない。しかし今月は新聞広告で執筆者を見て、買うことにした。

 塩野七生、新藤兼人、山崎正和、城山三郎、そしてカルロス・ゴーンである。塩野七生さんはローマ史の研究家であり、その見識から今の日本の状況に言及している。カエサルに比べたら安倍晋三はなんとも頼りない政治家ということになろう。新藤兼人は尊敬する人の一人である。95歳でなお矍鑠としている。日野原重明さんと同い年だったと思う。ここでは家族関係の喪失を嘆いている。長い間眼に見える世界を鋭く観察してきた人だけに説得力があり、同感するところが多い。

 その他のひとの文章はまだ読んでいないが、お得な一冊といえよう。

 

2007年6月11日 (月)

われ何をなすべきか

 実業を以って人を育て、実業を以って国を造る。

 空理空論を以って何かを成し遂げることはできない。人を騙すことはできるかもしれないが、社会の進歩に何らかの作用、よい影響を与えることはできない。この年になって、また会社で重要な役割を担いながら学問を修めることはできない。多くの書に学ぶことはできるが、それも職場において人を育てる糧にするためである。そして仕事を通じて、企業を発展させることを通じて国づくりに参画するのである。

2007年6月10日 (日)

自己マネジメント能力

①いかに時間をマネジメントするか

②いかに自らの考えをプレゼンテーションするか

③いかに他人とコミュニケーションを図るか

④いかに変化の先頭にたつか

 ④が一番大事なポイントだな

2007年6月 9日 (土)

自己変革

 北村三郎氏のいう三つの基本技

①異体験・・・外の世界を見る

②自己開示・・・自分の考えを発信する

③内観・・・自分自身の歴史を振り返る

①と②は不十分であるが、努めて行ってきた。③は正直避けて来た嫌いがある。怖い気持ちがあるからだ。③にチャレンジ。

2007年6月 8日 (金)

老後を過ごすなら

 老後だからといって何もせずボーっとしてすごしたいとは思わない。適度に運動して体力を維持しつつ、知的な生産活動を行いたい。それが何らかの社会貢献につながれば最高なのだが。

 住む場所は海辺の潮の香りのする土地がいい。また都会まで公共交通機関を使って2時以内でいける地域がよい。本を買いに行ったり、映画を観たりするためである。

 ちょっと贅沢すぎるだろうか。

2007年6月 7日 (木)

社会保険庁の過失

 ここのところマスコミを賑わしているのが年金の問題だ。5千万件プラスαの保険料支払いがデータ処理されず宙に浮いているというのだ。これが放置されると掛け金が過小にカウントされて年金の支払額が減ってしまうことになる。従って遡って早く処理をすべきである。

 責任は社会保険庁と厚生労働省にある。想像するに、処理できていないデータがあることは分かっていたが、そのうち時間ができたらやろうと思っていたのだ。それが積もり積もって膨大になったのでどうにもならなくなり、隠していたのである。

 それにしても社会保険庁の無責任振りには腹が立つ。責任者の記者会見でもなんとか責任を逃れたいという気持ちがありあり見える。官僚のモラルハザードにメスを入れたい。

2007年6月 6日 (水)

脱亜入欧

 明治維新で大きく日本の進む方向が変わったのは間違いない。それまで日本に大きな影響を与えたのは中国であった。江戸時代にも漢心から大和心へという形で日本の独自性を取り戻す運動があった。明治維新は、それまでの中国が西欧に置き換わっただけではなかったか。福沢諭吉が脱亜入欧を唱えて以来、日本は西欧化の道を突き進み、戦争に負けてもなおその流れは変わらない。すこし表現をかえれば、アメリカ化一辺倒に変わったということはできる。

 排外主義に陥る事は危険だが、自立性は必要だ。日本人とは動かされる国民であって、動く国民ではない。

2007年6月 5日 (火)

転向論

 「転向」というと左翼思想をもった者が外からの圧力によって自らの思想を放棄することを意味する。圧力とは、権力からの直接的暴力的攻撃もあるし、家族からの伝統的反共的な干渉の場合もある。前者の場合は生き延びるために転向を装うこともありうると思う。それは、人によってはそれさえも断罪の対象にするが、明らかに命を失う状況にあり、抗ったところで何の前進にもつながらないようなときには合理的判断として許されるのではないか。

 問題は後者の方である。おまえがそんなことをしていると親戚中から白い眼で見られるとか、姉さんが嫁に行けなくなるとか言われて屈するのである。そういう身の回りの現実が自分の信ずる世界観をも崩してしまうのである。これはその世界観が現実の分析から積みあがった思想ではなく、書物からの借り物であったかを示しているのではないだろうか。

 なぜ伝統的な社会において、とりわけ農村において反共思想が堅固であるのか。権力からの教育宣伝が隅々まで政策的に行われていたのか。農村的な社会、風土が反共的な意識を生み出しやすい構造をもっていたのか。そういうところから自分への攻撃の根拠を分析し、日本の社会の在り様を捉え返さなければ、ただただ窮屈な状況から逃避するだけの結果に終わってしまうのである。

2007年6月 4日 (月)

継続する

 「継続は力なり」と前に書いたような気がする。ほぼ毎日ブログを書き続けているが、これから書こうとするテーマはいつか書いた気がしてならない。だからといって遡って調べる暇も気力もない。こだわらずに書くことにするか。

 勉強でもスポーツでも毎日トレーニングを続けていると、短期では変化を感じることは難しいが、一定の期間をおいて力を比較すると、特別努力の仕方に問題がない限りはアップしているものだ。また伸び悩んでいたとしても辛抱するうちに壁を破って飛躍的に伸びることもままある。

 伸びない場合とは。勉強の仕方が著しく悪い。トレーニングの仕方が理にかなっていない。あるいは肉体的に成長の時期を過ぎている。

 要領のあるなしでは結果の出方が違う。これは事実だ。コツコツやる努力をまず評価したいが、残念ながら効率的に訓練されたら、それに勝ることは難しい。根性論では勝てない。

2007年6月 3日 (日)

風土改革

 風土とは長い時間かかって築き上げられた組織内の思考パターン、行動パターンのことである。風土改革はそれを変えていくことであるが、簡単ではない。

 身についたパターンは無意識に出てくるものであるから、当然意識的自覚的に修正を図らなければならない。しかし、人間の日常的な行動は無意識的なものである。習慣化されルール化されているので意識しなくても行動できるのである。

 従って風土改革とは自分を動かしている歴史的、社会的な制約の網の目との闘争なのである。だから一つ二つスローガンを掲げたぐらいでは何も変わらないのである。

 組織のなかで最も自覚的な部分が先頭を切り、全体を動かしていく。そのうちに多数が変わり始めれば残された少数も否応無く引っ張られていくのである。まずは変革を引っ張る先導者が必要である。

2007年6月 2日 (土)

失敗談Ⅲ

 これは岐阜へ出張したときの話である。富山から岐阜へ向かった。確か2月の終わりか3月の初めだった。出かける時はそれほどでもなかったが、移動の途中で冷え始め雪が降り始めた。雪道には慣れておらず恐る恐る峠に向かって上っていった。なんとか峠の頂上に到着しほっとした。そこには電気掲示の温度計があってマイナス6度を表示していた。通常経験しない気温である。

 そこから下り坂に入る。ローギアで走る。セカンドで進行していたが加速し始めた。ローに落とした。そのときである。スリップして車が一回転し、側溝に車輪を落としたのである。こうなったらどうしようもない。絶望感に襲われる。過去にこういう経験はない。

 あたりを見回すと一軒だけ明かりの灯った家がある。救いを求めて坂道を上った。近づくと人が大勢集まっている。お通夜の様である。声をかける。「すみません。車を溝に落としたのですが、上げるのを手伝ってもらえませんか。」反応は早かった。いいよ。重機を出してもらうので5千円出してもらえるか。あとの者は少しずつお礼してくれたらいい。けちなことを言っている場合ではないのでお願いした。ことはスムーズに進んだ。2万円ほど渡して高山に向かったのだが、私の後でもう一台落としていた。そこはそういう場所だったのだ。だから住民も慣れたもの。冬場はいい小遣い稼ぎができるのである。

 そこからは長い長い下り坂をずっとローギアで走り続けた。後ろから来る車はすごいスピードで追い抜いていく。途中で電話ボックスに立ち寄って民宿のおばさんに電話をいれたが、ずいぶん心配してくれていた。慣れないものにとって雪道は恐い。

2007年6月 1日 (金)

失敗談Ⅱ

 岡山に出張に出たときのことである。仕事のあと深酒をしてホテルに入った。かなり夜も遅かったので、スーツとシャツを脱ぎ捨て、パンツ一枚でベッドにもぐりこんだ。しばらく眠った後眼が覚めたのだが、酔いが回って朦朧として判断力がなくなっていた。パンツ一枚で部屋を出てしまったのだ。

 その部屋はオートロックであった。自力で戻ることはできない。どうしようか。エレベーターでは人に会う可能性がある。階段でフロントまで降りることにした。確か8階に泊まっていたので長い階段だった。一階の鉄扉から顔だけ出して、フロントの人を呼び、鍵を開けてもらうよう懇願した。首尾よく戻ることはできたが、パンツ一枚の姿は見られてしまった。

 こんなことはたまにあるに違いないと言い聞かせてふたたびベッドにより深くもぐりこんだ。

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