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2007年4月 8日 (日)

経済学について

 私は学生時代、形としては政治学が専攻であった。「形」というのは講義に出なかったからである。サークルで学んだのは主として西洋の社会思想であった。経済学はその関わりのなかでマルクスの「経済学」批判を学んだ程度だと言ってもいい。

 素人なりに考えてみると、経済学とは資本主義の経済運動、経済現象を対象とするもので、そこに法則性を見出すのが内容で、目的はその成果を使って、当研究者があるべきと考えている社会に活用することではないか。こういうと、学問が恣意的なものに捉えられるかもしれないが、誰しもが前提となる「社会観」「世界観」を持っているのである。

 古典派経済学が前提とする「自由放任」がよいのか、ケインズが考えたような経済政策が不可欠なのか、シュンペーターの「イノベーション」が資本主義のさらなる発展をもたらすのか。マルクスが言ったように資本主義は自ら、自らを崩壊させる要因を生み出し、それは不可避なものなのか。

 マルクスが活動した時代は、今から振り返れば資本主義の十分に発展していない段階であったが、労働者が置かれた状況は悲惨なものであり、彼らの解放のためには開放の理論的武器が必要であった。そのために「資本」の本質を労働者階級の側から究明する必要があった。マルクスが求めたのは労働者階級の早急な救済であり、資本主義経済の延命策を考えることでなかったのは当たり前の話である。そんなマルクスに労働者階級が権力を奪取したあとの経済運営を細かく考える余裕などなかったのも当然である。少なくとも、搾取がなくなり、失業がなくなる条件ができるというだけであって、社会主義経済において生産、流通、消費がどのようなシステムで動くのか、どういうメカニズムが考えられるのか明らかにしていない。それは後に続く研究者、活動家の仕事であったが、残念ながら不十分であったということだ。レーニンという逸材も登場し、一定の実績を残したと評価いているが、一部の人間の頭で考えた通りに進むものではなく、広範な労働者、大衆の参加による社会建設(システム作り)が必要であった。また環境としても資本主義国家の包囲があって難しい面があった。もしも、「社会主義」の社会を造るとすれば、人間の本性(というものがあるかどうか)、特性を考慮して、そういうものを土台とする、あるいは利用したシステム作りが必要であろう。

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