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2007年4月の投稿

2007年4月30日 (月)

教育について

 機会均等は教育の原則である。教育論議がなされると必ずこの言葉が出てくる。学ぶ機会が保証されていることとは、まずは経済的理由によって通学・進学の道が断たれることを防止する制度があるということである。具体的には国や自治体による奨学金制度があるだろう。この制度の充実のために予算の重点的な配分が必要である。

 もうひとつ大事なことは、成長の方向が多岐にありうることである。試験でいい点数をとって難関校に進むことだけが目標であるなら、その路線に乗り遅れたらおしまいである。Aという道、Bという道、Cという道があり、どちらに進んでも社会的に評価を受ける条件があって、どちらかを目指して進む。それが機会均等の背景になければならない。もうひとつ、AもBもCもその報酬において極端な差があってはならない。どの程度の差が許容範囲かここでは言わないが、労働力の価値が基本的には市場で決まるとしても、どんな労働にも一定の価値を見出す社会的意識が醸成されておれば格差拡大は抑えられるのではないか。そういったエトスの醸成には宗教的(宗教ではない)活動が必要であろう。

2007年4月29日 (日)

休暇

 休みはうれしいものである。特に長期の休暇は。前からあれをしよう、これをしようと考えるが、結果は思っていたことが消化できず、あっという間に時間は過ぎ去るのである。

 学生時代は一ヶ月以上の休みがあった。もっとも講義があってもほとんど出なかったので年中休みのようなものであった。今思うとどれだけの時間を無駄にしたか分からない。だが終わった過去のことである。残りの人生は普通に考えて30年程度である。光陰矢の如し。時間ほど貴重なものはない。その限られた時間のなかで、まだまだ知りたいことは多い。

2007年4月28日 (土)

北朝鮮

 北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」というらしいが、それが空しく聞こえるほどに独裁国家である。それは金正日と軍による独裁である。

 北朝鮮は資源の無い国で、土地も肥沃ではない。生き延びる道は工業化を行い、貿易によって富を得るほかはない。現在のように国際的な孤立状態では発展の方向は見えない。独裁者が権力にしがみついている状況では、核の影をちらつかせて他国をおどし、いくらかの経済的供与を引き出すとともに政権の維持を認めさせることができるだけである。ほかの事はなにも前進しない。人民は疲弊するばかりであり、教育はなく(金正日をあがめる事を教えるのも教育だとしたらそれだけはある)、技術的水準は上がらず、労働意欲もわかない。

 独裁の維持に必要なことは情報の遮断である。人間は皆貧しければある程度貧困に耐えることができる。海外の豊かな生活の情報は言うに及ばず、平壌の特権階級の生活も見せてはならない。とはいえ遮断は完全ではない。これが脱北へと突き動かすのである。発展への道は改革開放しかないのである。それは独裁の瓦解へとつながる。必然なのである。

2007年4月27日 (金)

淡谷のり子のこと

 淡谷のり子は一本筋の通った歌手だった。戦争を生きた人だからであろう。戦時中は慰問で兵隊たちのところを多く訪れている。若い兵隊が慰問の後に戦場に旅立ち死んでいったことを何度か話していた。

 淡谷はブルースの女王といわれ、決して戦時に受ける歌手ではなかった。しかし哀愁に満ちた歌声は、軍歌よりも戦時歌謡よりも返って兵士の心を打ったのではないだろうか。死への恐怖、家族との別れ、それらを避けられない絶望感。そういったものがブルースの曲調と共鳴したのではないか。

 淡谷は歌の心を大事にした。森進一を評価し、五木ひろしは技巧的だといって評価しなかった。この意見には肯んじがたいものがあるが、淡谷らしい見方であると思う。

2007年4月26日 (木)

美輪明宏のこと

 美輪明宏が好きだというと変わっていると思われるのだろうか。彼は見た目と違って考えかたがまともであり、気品のある人だと思う。

 少し人と違っているからという理由で白眼視されることもあったろう。国賊と呼ばれたこともあったらしい。右翼からは嫌われるタイプである。しかし、よいとまけの唄で分かるように働く庶民の心が分かる人である。海外でも歌うことが多く、フランスで歌うと聴衆が涙を流しながら彼の歌を聴くらしい。いいもの、確かなものは感動を生むのである。

 かあちゃんの働くとこを見た

2007年4月25日 (水)

外食産業

 外食産業の市場規模は24兆円である。97年をピークにして縮小を続けている。背景にはデフレと可処分所得の減少がある。大手外食チェーンは既存店売り上げの減少を補うため新規出店とM&Aを行ってきた。

 それでも、日本経済新聞によればここ3ヶ月は既存店売り上げが微増している。とはいえすべての業態ではなく、いいのはファーストフードで、ファミレスや居酒屋は苦戦している。ファーストフードは格差社会でもある程度の売り上げが保てると考えている。所得が低い層で食する機会は多い。アメリカのようなファーストフード社会になるのである。逆に客単価の高い業態は苦しい。中間層がこの分野の消費を支えてきたわけで、今後は期待できない。競争は厳しく、魅力的な店舗作りができたところだけ生き延びる。

2007年4月24日 (火)

需要と供給

 価格が需要と供給との関係で決まるということが経済学の基本として語られるが、それは一定の条件の下で働く法則であると考えられる。

 身近で分かりやすい例を挙げると、行楽シーズンのホテル・旅館の宿泊料金である。ホテルと時期によって違いはあるが、2倍程度の差は当たり前と言っていいだろう。ゴールデンウィーク、夏休みの休日前、年末年始は需要が大きく、高く価格設定しても満室になる。逆に閑散期は閉館にしてしまうほど客が来ない。

 サービスに大差があるわけではない。行きたいという欲求が強ければ、高い金も惜しまないのである。同じホテルに大勢の人が泊まっているほうが満足度が高まるのかもしれない。ひっそりしたホテルに泊まるとわびしい思いがするのであろう。他方で、そういうひっそり感がすきだという人もいると思うが。

 感心するのは、同じゴールデンウィークでも今年の場合なら5月3日、4日、5日でそれぞれ料金が違うのだ。5日が一番安い。一番埋まりにくいからだ。帰りが連休の最後の日で、体を休める日がないからであろう。埋まらない場合はオークションにかかる場合もある。早くに予約した人は割を食うが。

2007年4月22日 (日)

若葉の季節

 「若葉が街に急に萌え出した」で始まる天地真理の歌があった。ちょうど今がそういう時季なのだろうか。桜の花が散って、若葉が一気に噴き出している。

 私が住んでるマンションの前の私有地には森というにはやや狭いが、林というと一本一本の樹木が立派過ぎる一角がある。落葉樹は少なく、冬場は葉が濃い緑色をしているが、ここにきて黄緑色の葉に変わっている。窓を開いてそこを眺めていると気が落ち着く。清涼感もある。目の前に高いビルがあればそういった気分も味わえないし、夏場は暑苦しいことだろう。都会の一角にこういう場所があることは幸運なことである。伐採され、ビルが建たない様に祈るばかりである。

2007年4月21日 (土)

整理整頓

 整理整頓は生活の基本であると同時に仕事の基本でもある。仕事の棚卸しを行い、やるべき仕事とやめるべき仕事を分ける。やるべき仕事は出来るだけ効率的なやり方を考える。またそうして出来た余裕時間に今まで出来なかった仕事をはめ込んでいく。理屈からいえばそういうことになる。

 生活も同じである。物は必要な最低限のものが揃っていればよい。長く使えて、飽きが来ない良質のものを、高くても購入するのがよいと思う。これが西欧の合理的な生活のあり方だが、日本の場合事情が違う。余計なものがありすぎる。安いことはいいことだとばかりにディスカウントショップが大流行で、要らないものまで買って(買わされて)帰るのである。それが日本の経済を支えているのかもしれないが、もう少し合理的で落ち着いた世の中を望みたい。

2007年4月20日 (金)

中国のこと

 会社で、月曜日に中国からお客様を迎えることになった。中国というと、孫文、毛沢東、周恩来らの名前が挙がるが、私の最も尊敬する中国人は、魯迅である。高校生の時に読んだ「阿Q正伝」が印象に残っている。

 魯迅は祖国の精神的近代化、すなわち封建的偏狭さからの開放を願っていた。迫りくる帝国主義列強の圧力から国を守るためには、利己的な精神ではなく、毅然として共同的な利益を守る民族精神が必要と考えたのである。そういった彼の精神に感心したわけだが、今の日本にそういう精神はどれほど存在しているのだろうか。よく純粋な精神を持った人をおめでたい日本人などと呼んでいるが、純粋さを貫くには大変な障害があるのであり、生易しいものではない。時代に流されるほうが、よほど楽なのである。

2007年4月19日 (木)

寄本先生のこと

 大学では寄本先生のゼミに入った。現在成蹊大学の教授である小原氏の推薦で入れてもらったようなものであるが。寄本先生は「ゴミ問題」が専門で、ゴミ本などど呼ばれていた。岩波新書で「ごみとリサイクル」という本を出されている。

 先生の言葉で記憶に残っているのは「民主主義は疲れるよ」というひと言である。当時は地方行政への「市民参加」が流行で、革新自治体では「市民委員会」なるものを設置して住民の意見を吸い上げようとしていた。そのときに寄本先生もアドバイザーとして呼ばれていたのである。しかし意見はまちまちであり、多数決で決定するような案件も無いわけであるから、議論は続けど結論は出ずという事態が続いたのである。それにつき合わされている先生は疲れ果てたのであろう。

 民主主義が根付くには長い年月が必要だろう。今「市民委員会」なるものがどうなっているのか知らない。おそらく耳に入ってこないということは途切れているのであろう。大学の自治も衰退しているようであるし、「自治」は死語になったのであろうか。

2007年4月18日 (水)

銃撃事件

 長崎市の市長が撃たれた。かつて同じく長崎市の市長が銃撃に倒れるという事件があった。いずれも暴力団・右翼がらみの事件である。

 今回の事件は個人的恨みが背景の様であるが、公共事業の入札に関する市長の改革に不満を持っていたようで、そういう意味では政治的背景がある。政治的にいろいろな立場があり、意見を持つのは自由であるが、自分の主張を実現するのに手段を選ばないのは野蛮である。手段を選ぶのが良識というものであろう。

 江川紹子が、こういった事件に対する政府の指導者やマスコミの反応があまりに鈍いと怒っていたが、私も同感である。ただしマスコミの一部にはきっちり報道しているところもあると思う。重要なのは、社会が全体として、すなわち保守も革新もなく、この様な暴挙は絶対に許さないという毅然とした態度を示すことである。たとえ殺された人が自分と立場を異にする場合でも、その人の存在は否定すべきではない。これは民主的な社会の基本原則である。

2007年4月17日 (火)

新入社員研修

 明日、営業の新人に教育を行う。いろいろ教えることはあるが、まず現状の社会認識から始める。歴史を遡ればきりがないから、バブル経済が発生する前から始める。そこで経済の変化を捉えつつ、基礎的な概念やキーになる数字を問うてみる。過去の経験から言えば、新卒で日経新聞を読んでいる者はほとんど皆無と言ってよい。ネットで記事を検索している者はいくらかいる。あきれるのは、なかにGDPも知らない者がいることである。普通に勉強していれば中学生でも知っている言葉である。

 知識だけではなく、心構えについても語る。ただ働いて給料をもらうというだけでは大きく成長できない。自分は善い事をしている。世の中の役に立ちたい。そういう哲学、信念を持たなければある壁を破ることはできない。ある壁とは使われる壁である。使われる人間から脱皮することはできない。自分で主体的に仕事が出来ること。これが生きがいにつながる道である。

2007年4月16日 (月)

官僚主義

 言い古されたことであるが、日本の社会における官僚主義の弊害は大きい。官僚制は明治期に導入されたが、これが途切れることなく今日まで続いている。

 国家の上級官僚は難関の試験を突破して採用される。多くは帝大出身者で、今日でも上級国家公務員は旧帝大出身者が多数を占め、残りを早慶など一部の私大出身者が占める。彼らは概ね秀才で、勉強はしている。大半が大学に入るときから官僚になることを目標としており、当然のことながら勤勉である。知識が特に豊富で、不勉強な政治家は官僚(役人)に頼りっきりになる。実質、国家の制度設計をしているのは官僚であると言っていいだろう。民主主義国家といえども、実質は官僚支配と言えるのである。彼らは頭がいいだけにいろいろな制度を考え出すが、現状が分からずに机上の空論になっていることが多い。かつて事件にもつながった厚生省のゴールドプランなどその最たるものであろう。とにかくエリートであるがゆえに、プライドが高く、弱いものや能力の劣った者への理解は著しく乏しい。自分が厳しい競争を勝ち抜いてきただけに、自己責任論的主張が強い。

 以上が簡単で、推測も多く含まれているが、当たらずとも遠からずであろう。さてタイトルは官僚主義であった。これは官僚だけの問題ではなく、例えば民間企業にも発生する問題である。古くはマックス・ウェーバーやシュンペーターもその発生を予見していた。企業が大きくなると、資本と経営の分離が起こり、オーナー社長に代わって雇われ社長が登場し、保守性が強くなり、思い切った革新的事業が困難になる。このように革新性がなくなると、資本主義経済自体が停滞し、没落の道をたどることになるというのだ。これは、経営者だけではなく、経営幹部も同様である。保身に走り、大胆なことが出来なくなる。また上司の顔色を伺った仕事が支配的になる。

 そうならないように心したいものだ。

2007年4月15日 (日)

世界陸上

 この夏、大阪で世界陸上が開かれる。陸上競技は学生時代から好きで、国立競技場にも足を運んだことがあった。この時期は瀬古利彦が同じ大学にいて、同じ三重県出身ということもあって応援していた。早慶のナイター陸上という大会があったのだが、慶応にいい選手がいないこともあって瀬古の一人旅という感じであった。当然ながら5千メートルを13分台で走ったが、その瀬古でも世界で戦うにはマラソンを走るしかなかった。

 5千、1万メートルはケニアの選手が圧倒的に強い。この強さは練習で身につくものではなく、生来のものである。アジアの人種では太刀打ちできないし、西洋人も同じである。持久力と筋肉の強さと柔らかさが違うのである。記録は5千で1分、1万で1分半違う。日本に来ているケニア人も強いが、本国では二流である。それでも日本で練習して強くなった選手もおり、それはそれでうれしいことである。

 これ以外の競技で関心があるのはやはりハンマー投げだろうか。確実にメダルが取れるのはこの競技だけである。

2007年4月14日 (土)

東京六大学野球

 今日、ハンカチ王子こと斉藤佑樹が開幕戦の東大戦に初登板し、勝星をあげた。注目度は江川並みというが、投手としてのスケールはやや見劣りする。ただ人気では負けないということだ。

 私が神宮に行っていた頃には、今阪神の監督をやっている岡田がいて4番を打っていた。はさんで、3番が有賀、5番が島貫で3人ともプロ入りした。だが、大成したのは岡田だけだった。彼は大阪の北陽高校出身で、在学中は層の厚い中で1年からレギュラーであった。私はテレビで1年の時にホームランを打つ場面を見たことがある。早熟なバッターだった。

 最近の早稲田出身者といえば和田と鳥谷を挙げることができる。鳥谷はやや伸び悩んでいるが、和田は期待通りに活躍している。彼は島根県の浜田高校出身で甲子園にも出ているが、球速もなく目立たない投手だった。ところが早稲田に入るなり急速に力をつけ、江川の奪三振記録を破るまでになった。

 彼は全力で投げれば140キロ台半ばの速球を投げることができるが、実戦では140キロ足らずに抑えている。早い球を投げるのが目的ではなく、打ち取るのが目的だから、それに必要な投球をすればいいと割り切っているのだ。少し急速を抑えてでも、打ちにくいコースに投げることが肝心なのである。非常に頭にいい投手である。

2007年4月13日 (金)

月光仮面

 「どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている。」テレビドラマ、月光仮面の主題歌である。子供のころよく見た番組であるが、再放送を何度も見ていたのだと思う。この主題歌は最近話題になった川内康範の作詞である。川内といえばたくさんのヒット曲を世に送った作詞家であるが、私の印象に一番残っているのは、水原弘が歌った「君こそわが命」である。

 月光仮面に戻ろう。当時は頼もしい英雄に見えたが、時代の流れであろう今ではなんとも弱弱しいヒーローに思える。大してスピードも出ないスクーターに乗り、しまらないタイツ姿でピストルも至近距離でなければ命中しないようなしろものだった。しかし考えてみれば敵もまた大した強敵ではなく、同時代においてバランスは取れていたのである。非常に人間的で、優しいヒーローであった。

2007年4月12日 (木)

桧山君のこと

 小学校の時のことだ。私は桧山君と私の家で遊ぶ約束をしていた。彼の家は近所ではなく、自転車を使わなければならない距離にあった。

 その日、車のセールスをしていた父親から今から一緒に出かけるかと誘われた。滅多にないことだったので私は喜んでついていくことにした。このとき桧山君のことを忘れていたのかもしれない。いや、忘れようとしていたのであろう。時々途中で思い出して気になっていた気がする。

 次の日、彼から約束を破ったと罵倒された。今でもはっきり覚えている。心の傷の一つである。彼がいま何処で何をしているのか知らないが、悪いことをしたと思う。彼は覚えているだろうか。

2007年4月11日 (水)

葬式のインチキ

 最近の葬式と言えば、葬儀社の会館で行われることが多い。何から何までやってくれて、葬儀を出す側も参列する側も便利なのだろう。

 葬儀社の手順は大抵決まっていて、進行役の話し方もどこで聞いても同じである。非常に金儲けの匂いが漂っていて、インチキくさい。最近に始まったことではないが、葬式の祭壇などに格差をつけて(松竹梅とは言わないだろうが)選ばせたりする。概して中ぐらいを選ぶことになる。お寺もお寺である。戒名に差をつける。居士と信士では値段が違う。居士が20万円で信士が10万円だったりする。大体宗教は信者に差をつけてはいけない。神や仏の前では皆平等なのが宗教ではないか。なおのこと、死者に差をつけたりしてはいけない。大体本当の信仰を持っている坊主がどれだけいるだろうか。葬儀の時に説教をのたまう坊主がいるが、あれも顧客サービスであろうか。

2007年4月10日 (火)

美空ひばりのすごさ

 改めて言うことではないかもしれないが、美空ひばりはすごい歌手だと思う。歌のうまさは絶品であった。安定感抜群、音程が狂う心配など微塵もなかった。これは病のなかで歌っているときも変わらなかった。声は太いが、同時に繊細さを持っていて、曲に対する柔軟性があって、しかも技巧的ではなかった。自然に上手かったということができる。

 美空ひばりはプロであった。プロ根性はすさまじいものであった。楽屋で点滴を打つような状況であっても舞台ではしゃきっと屹立し、普通に歌ってのけた。すごい人だと思うと同時に、道を究めた人間の計り知れない強さに感服する。

2007年4月 9日 (月)

春の海

 「春の海ひねもすのたりのたりかな」という句がある。私は熊野灘に面したある町の出身で、家も海沿いだったので海岸には頻繁に足を運んでいた。春の暖かな空気に包まれた海岸はゆっくりとした時間の流れで、打ち寄せる波も柔らかに砕けていた。心の緊張も解けて、まるでその空間に自分が溶け込むような感覚であった。爾来、あのような感覚を覚えたことがない。滅多にその時期に郷里を訪れることがないから当然であろうが、気象条件が同一だとしても同じ感覚はもてないだろう。自然をあるがままに受け入れる原始的感性はなく、もはや文明人になりきってしまった。

2007年4月 8日 (日)

経済学について

 私は学生時代、形としては政治学が専攻であった。「形」というのは講義に出なかったからである。サークルで学んだのは主として西洋の社会思想であった。経済学はその関わりのなかでマルクスの「経済学」批判を学んだ程度だと言ってもいい。

 素人なりに考えてみると、経済学とは資本主義の経済運動、経済現象を対象とするもので、そこに法則性を見出すのが内容で、目的はその成果を使って、当研究者があるべきと考えている社会に活用することではないか。こういうと、学問が恣意的なものに捉えられるかもしれないが、誰しもが前提となる「社会観」「世界観」を持っているのである。

 古典派経済学が前提とする「自由放任」がよいのか、ケインズが考えたような経済政策が不可欠なのか、シュンペーターの「イノベーション」が資本主義のさらなる発展をもたらすのか。マルクスが言ったように資本主義は自ら、自らを崩壊させる要因を生み出し、それは不可避なものなのか。

 マルクスが活動した時代は、今から振り返れば資本主義の十分に発展していない段階であったが、労働者が置かれた状況は悲惨なものであり、彼らの解放のためには開放の理論的武器が必要であった。そのために「資本」の本質を労働者階級の側から究明する必要があった。マルクスが求めたのは労働者階級の早急な救済であり、資本主義経済の延命策を考えることでなかったのは当たり前の話である。そんなマルクスに労働者階級が権力を奪取したあとの経済運営を細かく考える余裕などなかったのも当然である。少なくとも、搾取がなくなり、失業がなくなる条件ができるというだけであって、社会主義経済において生産、流通、消費がどのようなシステムで動くのか、どういうメカニズムが考えられるのか明らかにしていない。それは後に続く研究者、活動家の仕事であったが、残念ながら不十分であったということだ。レーニンという逸材も登場し、一定の実績を残したと評価いているが、一部の人間の頭で考えた通りに進むものではなく、広範な労働者、大衆の参加による社会建設(システム作り)が必要であった。また環境としても資本主義国家の包囲があって難しい面があった。もしも、「社会主義」の社会を造るとすれば、人間の本性(というものがあるかどうか)、特性を考慮して、そういうものを土台とする、あるいは利用したシステム作りが必要であろう。

2007年4月 7日 (土)

ブルジョア革命

 明治維新はブルジョア革命ではなかった。ブルジョア階級が形成されていなかったのだから当然のことだ。明治維新とは徳川幕府から薩長の士族に権力が移っただけのことで、支配階級は士族の一部と地主階級であった。その後も西南の役や自由民権運動という形で士族同士のいざこざが続いた。自由民権運動は民主主義を求めた先進的な運動のように見えるが、冷や飯を食わされた士族の反乱だったのである。

 そういう政権によって資本制的生産が育成されたが、いわゆる払い下げによって民間資本が形成される。今の中国のようである。結局、農村に根強い封建的要素を残したまま太平洋戦争の終結まで至った。しかし、その後も官僚主導の経済成長が図られ、いまだに市民主導の社会形成はなされないままである。

2007年4月 6日 (金)

高度成長期の演歌

 高度成長期の典型的な演歌は井沢八郎が歌った「ああ上野駅」だろうか。中央志向、上昇志向が表れている。この時期は敗戦の後に目標を失った日本人が、経済的な成長を共通の価値観として労働に精を出した時期である。経済ナショナリズムの時代と言ってよいだろう。いろいろな矛盾を生み出した時期でもあったが、皆同じ方向を向いていたという意味では輪郭のはっきりした時代であったと思う。

 元に戻ろう。「くじけちゃならない人生は、あの日ここから始まった」というくだりはジンと来るものがある。そういうからには、人生とは楽なものではないということが皆の思いであったのである。私に「あの日」はあるだろうか。谷川雁に「原点が存在する」という著作があるが、私の原点は何なのか。祖母が私に伝えた「偉くなれよ」という言葉だったのかもしれない。

2007年4月 5日 (木)

いい役者

 いい役者はたくさんいるが、最近の人はあまり知らない。いい役者だなあと思うのはテレビドラマではなく映画を観たときである。テレビでは物理的な意味で演技に迫力を欠くからであろう。

 「飢餓海峡」の三国連太郎、「鬼畜」と「復讐するは我にあり」の緒方拳、「生きる」の志村喬が素晴らしい。特に、緒方は先ほど挙げた二本の映画でまったく違う人物像を演じ分けた。

 その他、脇役では加藤嘉、井川比佐志、石橋蓮司、蟹江敬三を挙げておきたい。

2007年4月 4日 (水)

中日ドラゴンズ

 水原茂が監督を務めていた時代からの中日ファンである。大阪在住であるため一時阪神タイガースに惹かれた時期もあったが、根はやはりドラゴンズファンである。

 水原監督が退任する年に久々のAクラス入りを果たした。それから与那嶺監督にバトンタッチされ、水谷時代に育った選手たちを率いて優勝を果たしたのである。昭和49年だったろうか。神戸の銭湯のテレビで優勝シーンを観たような気がする。星野仙一の手を上げた姿が鮮明に記憶にある。板東英二の「燃えよドラゴンズ」が大ヒット?したのもこの年である。

 その後井上監督、星野監督、落合監督で優勝したと思う。その間の記憶に残る選手では、野手より投手に偏る。松本という個性的な左腕がいた。速球派の小松と鈴木の全盛期はすごかった。特に鈴木孝正のデビューは鮮烈だった。巨人打線も文字通りきりきり舞いだったのである。それほど素晴らしい速球の伸びであった。

2007年4月 3日 (火)

或る日の日誌より

 4年前の日誌より

H本部長からもっと尻をたたいてもらえという話がありましたが、そこで面白い話を思い出しました。競馬の話ですが、利口な馬は鞭をたたかなくても鞭で風を切る音を聞かせるだけで走るそうです。

望ましい順で

①持ったままで走る馬

②鞭を持てばたたかなくても走る馬

③たたけば走る馬

④たたいても全然反応しない馬

⑤故障続きで静養ばかりしている馬

2007年4月 2日 (月)

ストレス解消法

 ストレスは感じやすい性格であるが、少しずつ抜けているのであろう、パンクすることはない。

 ストレス解消法は何か。基本は毎日行っているホームトレーニング。いわゆる筋トレである。体を動かし、少しばかりの汗をかくこと。また、その間は無心になれることが効果を生むのであろう。

 もう一つは、たまに行う自分の部屋(というよりは、自分の「空間」)の整理整頓である。本棚(というほど立派なものではなく、カラーボックスというもの)の位置をかえ、本を整頓する。これだけで気分がすっきりする。会社の机周りの整理整頓も同様に気分を一新させる。それだけ普段は散らかしているということの裏返しでもあるが・・・。

2007年4月 1日 (日)

一流のプレーヤー

 どんな分野であれ、道を究めた者の技には恐るべきものがある。その超人性と「美しさ」に感動する。「美しさ」とは自然の理にかなった動きであり、もっともシンプルで隙のない動きである。スポーツであれば、一流の選手の動きで特徴的なのは頭の位置が動かないということであり、体の軸がぶれないという共通性である。

 そこには生まれつきのバランスのよさもあるし、勘のよさもあるだろうが、やはり日頃の鍛錬によるものであろう。そこには工夫が必要だ。頭の悪い人間に工夫は出来ない。目標をしっかり持った上で、そこにいかに早く到達できるか必死に考えている人間が最も大きな進歩を手に入れることができる。一流の人間に学ぶところは大きい。そういう人が身近にいれば、それ自体が幸運というものであろう。

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