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2007年3月の投稿

2007年3月31日 (土)

経営は科学ではない

 ハロルド・ジェニーンの著書「プロフェショナルマネジャー」は経営について示唆的な記述が多く、参考にしている。

 一部分だが、紹介しておこう。

 真実はただ、ビジネスは科学ではないというだけのことだ一言で言うなら、会社や事業部や部を、対応処置のチェックリストや、ビジネススクールの才知抜群の教授が考案した理論への盲従によって運営することはできないということだ。なぜならビジネスは人生と同様に、どんなチェックリストにも方式にも理論にも完全には収めきれない、活力にあふれた流動的なものだからである。

2007年3月30日 (金)

お金とはⅡ

 貨幣に価値を認めるのは共同の幻想であるが、それは財やサービスと交換可能であるという事実に根拠付けられている。歴史的にみても、個人の経験のなかでもずっと続いてきた事実であり、誰も疑わないのである。

 財やサービスは労働の生産物である。したがって貨幣も労働が象徴的に表現されたものなのである。ここは重要な点なのであって、貨幣を労働せずして手に入れた場合は他者の労働の成果物を得たわけである。「投資」には格差や不平等を生む仕組みが組み込まれているのである。自分が労働して得たものだけが正当なものであって、それ以外は個人的に受け取るべきではないという考えになる。イスラムの考え方がそうであるし、日本の安藤昌益もそうなのではないか。

 能力に応じて働き、労働に応じて受け取るのが公正である。余剰が生まれた場合は社会で共有すべきであろう。

2007年3月29日 (木)

お金とはⅠ

 学生時代、バイト先で、ある頭のあまり良くない女の子が紙幣を眺めながら、なぜこんな紙切れでいろんな物が買えるのかしらと独り言でつぶやいていた。素朴な疑問である。皆当たり前のように紙幣を価値あるものとしてみているが、よく考えてみると不思議なことで、彼女が疑問を抱いたことはある意味素晴らしいことなのだった。

 貨幣が価値を持つことの根拠としていくつかの説がある。経済学のテキストを見れば書いてあるだろう。一つには国家がその権力において価値を付与しているからだという説がある。これには一定の説得力があるように見える。しかし、歴史を遡ると、まだ国家の成立しない限られた地域において貨幣に相当するものが使われていたようだ。それは貝殻だったり巨大な石だったりした。そこにはそれらのものが、生活に必要な他のものと交換できるという共通の認識があり、価値はその認識に支えられていたわけだ。

 明日へ続く

2007年3月28日 (水)

家族の有難み

 勤めているといやなこともある。会社を辞めたくなるときもある。そういう時にそういう思いを踏み留まらせてくれるのは家族の存在である。特に幼い子供の寝顔は特効薬である。何度救われているか知れない。

 家族はお互いに励ましあう存在である。子供が学業やスポーツで頑張っていると、俺もやらねばという気持ちを吹き込んでくれる。そう思うと子供は宝だという意味がよく分かってくるのだ。

2007年3月26日 (月)

とっておきの話

 ある日の日誌より

 これはとっておきのネタなんですが、披露しましょう。価値観と価値観が激しくぶつかりあった、今でも忘れられない子どものころの出来事です。

 夏のある日、一匹の蛙がシマヘビに体を絞められ血の気を失っていた。それを見つけた父が可哀想だと思ったのでしょう石をぶつけて逃がしてやろうとした。しかしそこに居合わせた祖母が激しい口調で止めろと怒鳴った。祖母になぜそうしたのか問いただしたことはないのですが、「自然の営みに介入するな」という強い意思表示だったと思われます。どちらが正しいとは言えません。私であれば父と同じ行動をとるように思います。世の中では政治的な場面では当然のこと、普段の生活の中でもこういった価値観のぶつかり合いがあるのだなと改めて感じます。またそういう関係にあった祖母と父の関係を羨ましくも感じます。

 ちなみに、祖母は小学生の長男を事故で亡くしており、夫にも若くして先立たれている人です。そういった経験が逆らい難い力というものを意識させたのだと思います。

2007年3月25日 (日)

格差社会をもたらしたもの

 自分なりに考えてみると以下の3点があげられる。

①もっとも底流にあるもの・・・高度成長が終焉して、低成長時代に入りパイが大きくならなくなった。したがって全体が所得アップする状態から、伸びの不均衡が生まれる時代に入った。また、製造業からサービス業に構造移動していったこと。そのことにより付加価値の小さなサービス業で所得の小さな階層を生むことになった。

②グローバル化の進展。たとえば中国においては中国政府の政策転換に誘導されて先進国が資本投下していった。その生産物が日本にも大量に入ってきて、製造業に大きな影響を与えた。特殊技術をもっている企業は別だが、品質で差をつけられない企業は原価を抑えるために賃金を抑える対応を迫られた。またマネーゲームが世界中で展開されるようになり、日本の国民も巻き込まれるようになった。持つ国民はうまく運用し、資産を増やして行った。

③バブル経済とその破綻。これで3つの過剰を抱えた企業がリストラに乗り出した。結果、大規模な構造調整が行われた。この間、労働者がサービス業に流れたり、非正規労働者へと転落していったりした。

2007年3月24日 (土)

老い

 幸いながら、心身ともにまだ若い状態を保っていると思っている。思いと現実のギャップを感じることはまだない。好奇心はまだ旺盛であるし、肉体的にもまだ進歩している。しかし永遠に続くことはない。いずれはずれを知るときが来る。それをどこまで先延ばしできるかの問題である。少しでも遠くなるように努力したい。

 まだまだ知りたいことは多い。また心のなかのもやもや感を言葉にできない部分があって、それを表現するために学ばなければならないことが多い。肉体は55歳までは進化するという説がある。それまでは頑張るつもりだ。

2007年3月23日 (金)

高校野球のこと

 選抜大会が始まった。が、春の大会より夏の選手権の方に魅力を感じる。夏は予選から見に行く。二回戦、三回戦あたりが多い。球場は吹田の万博球場か住之江球場が多い。強豪と弱小チームの対戦がある意味面白い。試合の前にキャッチボールと守備練習が行われるが、まず選手がグランドに出てきたときに分かるのが体格の違いである。強豪チームの選手は背が高く、がっちりした体型である。弱小チームは中学生のような体だ。次にキャッチボールだが、遠投力に差が出る。基礎体力の違いである。守備練習での技術の違いも歴然としている。

 試合の中で出るのは基本的なプレーができるかどうかだ。ある試合では、3塁にランナーがいるのにセカンドがピッチャーに対してかなりの距離を空けて山なりの返球をした。ヒヤッとするプレーである。もし手元が狂えば3塁ランナーが楽々と生還できる。こういうところに弱いチームの特徴が出てくる。

2007年3月21日 (水)

アフリカの貧困

 ある日、アフリカの子供たちの写真を目にした。飢餓状態にある子供たちで、カメラの方に何か訴えるような視線を送っている。このような境遇の子供たちが世界中に恐らく何百万、何千万というオーダーで存在しているのであろう。

 方や、飽食の社会に生きている子供たちがいる。確かに日本では飢えて死ぬ子供は皆無といってよいだろう。とは言っても、彼らが皆幸せであるとは言いがたい。先進国にはそれなりの問題がある。将来への希望が持てる環境に在るのかどうか。親子関係に異常さがないかどうか。飢えないということは最低の条件でしかない。

 とはいえ、その最低の条件さえ満たされない子供たちは救済されなければならない。これは相対的に豊かな国の責任ではないだろうか。特に豊かな国の豊かな階層の人々の責任である。なぜならば、そういう人々は富の偏在を生む社会構造のなかで特殊な利益を享受しているからである。何も自分の力だけでそうなったわけではないのである。

 毎日水を汲みに行くだけがその少女の生活であった。友達と遊ぶこともできない。学校で学ぶこともできない。彼女にとって人生とは何なのであろうか。彼女を勝手に不幸と決め付けるわけにはいかないが、多様な未来が開けているならそれはよいことであるには違いはあるまい。

2007年3月19日 (月)

競争と格差

 スポーツならゼロのポジションからよーいドンでスタートであるが、人生は3合目ぐらいからのよーいドンであるべきだ。すなわち最低限度の生活が保証されていること。働かざるもの食うべからずには一定の説得力はある。しかし様ざまな理由で働けない人がいる。一見して働けないと分かる身障者はよいとして、見た目には何の問題もなさそうに見える心の病をもった人の場合は判断が難しい。しかし実際には社会に適応するのは難しく、周りが支えざるを得ないのである。3合目までは社会が持っていってやらねばならぬ。

 機会の均等は生まれたときから与えられなければならない。大学は高卒の資格さえあれば誰でも受験はできるが、そこまで育つ間の生活条件が違う。教育に競争が足りないというが、十分すぎるほど競争はある。確かに、公教育の場では競争が抑制さえているが、塾があり、中学受験を目指しての競争はすさまじいものがある。そして大学受験へ。難関校へは志願者が集中する。

 機会の均等はない。格差が格差を生んでいるのだ。スパイラルである。せめて敗者にも一定の賞金と賞賛を。

2007年3月18日 (日)

映像と音響の効果

 テレビドラマや映画における音響の効果は大きい。安っぽい芝居でも泣かせることができる。私はテレビはほとんど観ないが、食事の時に少しばかり視野に入ってくる。どうも漫画から飛び出してきたような役者が多く、脚本も単純なものが多そうだ。本当に安っぽいのだ。それをたくさんの人が喜んでみているのだから恐ろしい。泣かせる場面も巧妙に(これは作る上では必要な仕掛けであろうが、泣かせるだけが目的のあまりに単純で恣意的なものだとどうかと思う)仕掛けられていて、その罠に簡単に引っかかってしまうようだ。

 映画も同様であるが、映画館という独特の閉ざされた空間ではより効果を発揮する。いい映画においては仕掛けに引っかかっても気持ちがいいものだ。いい映画の定義は難しいが、今まで見て記憶に残っているものを何本か挙げておこう。

 「復讐するは我にあり」「鬼畜」「飢餓海峡」「砂の器」「生きる」「泥の河」「遠雷」

 「鉄道員」「自転車泥棒」

  

2007年3月17日 (土)

ボディビルのこと

 37歳から42歳まで、十三トレーニングセンターというジムに通った。週に1~2回しか行けなかったので本格的ではなかったが、行く前の体重が61kgであったのに対しやめるときには71kgまで増えていた。おかげでスーツが窮屈になって新調せざるをえなかった。ベンチプレスは95kgまで挙がるようになっていたので100kgは目前であった。やめたのは、長男が中学受験するため何かと多忙になったためである。

 それから5年ほどすぎて自宅でトレーニングを開始することにしたが、体重は64kgまで減っていた。それから1年半トレーニングした結果68kgまで戻った。再びスーツがきつくなってきた。背中と肩の筋肉が着いたせいであろう。大胸筋もかなりのものである。普通のおじさんの肉体ではない。腹の脂肪は多少着いているが、目立つほどではない。ビーチも大手を振って歩ける状態である。夏までにはさらにボリュームアップしたい。

2007年3月15日 (木)

突然ボディビルの話

 高校時代からボディビルディングに興味があった。ボディビルダーへの関心と自分で肉体を鍛えることの両面である。当時名を馳せたビルダーはなんと言っても須藤孝三であろう。その均整のとれた体は素晴らしかった。以来、日本人で彼を上回るビルダーを知らない。

 世界に目を向けると、歴代でもっとも記憶に残るビルダーはやはりアーノルド・シュワルツェネッガーだ。バランスは文句の付けようがない。しかし一番好きなのはフランク・ゼーンである。もっとも美しさを感じるビルダーだ。もう一人上げるとすれば、フレックス・ウィラーである。美しさプラスボリューム感のあるビルダーだった。

2007年3月14日 (水)

政治学研究会Ⅱ

 政治学研究会からは多くの著名人を輩出している。私の前後数年を見ても、成蹊大学教授のK氏。名古屋外大教授のT氏。神戸大学助教授のU氏がいる。

 彼らは私と違ってよく勉強していた。私はサークルどっぷりだったが、彼らはそこを離れても自分のペースで勉強していたようだ。それぞれ研究分野は違うが、学生時代の路線が今に続いていることは間違いない。T氏は先日NHKテレビに出演していたが、カラーはまったく変わりがなかった。彼にとっての政治学は、いわば子供にとってのテレビゲームのような存在なのではないかと思える。

 私は彼らの名前を時々聞くにつけ、皆よく初志貫徹して頑張っているなと思う。自分自身にとっての初志は何であったか。勤める企業ではそれなりの地位に立ち、給料もそこそこいただいているが、信念たるは何か?企業に勤める以上は企業人としての哲学を持ち、貫くべきだと思うが、学問にも未練があり、迷うばかりだ。

2007年3月13日 (火)

政治学研究会Ⅰ

 私の大学生活の8割は政治学研究会というサークルでの活動で占められている。入学式の日までに入会しており、地下のサークル部屋に入り浸っていた。入学式の日には先輩から、式に行っても人がいっぱいで入れないぞと言われ、行かなかった。ちなみに私は卒業式にも出席していない。事務所まで卒業証書をもらいに行っただけである。

 このサークルの活動は3割が学習会。残りの7割が飲み会であった。どちらとも思い出深い。最初に学んだのは岩波新書の「社会科学の方法」であった。引き続いて多くの文献を学んでいったが、マルクス、レーニンの著書も読んでいった。マルクスはともかくも、レーニンを読んでいる学生は少なかっただろう。飲み会は高田馬場駅周辺で、「ニュー浅草」「清龍」「スナック花仙」が主な場所になった。特に花仙のママにはお世話になった。今でも年賀状のやりとりをしている。今は恐らく90歳近い年齢であろう。

 いろいろなことがあったが、また順に書いていくことにしよう。

2007年3月12日 (月)

言葉にする技術

 個人の気分感情、集団の気分感情、民族あるいは国民の気分感情を言葉にするには技術が必要だ。技術を駆使した結果が、詩であり、小説であり、思想である。曖昧、漠然とした空気を言葉で鋭く切り取っていくことは誰にでも出来ることではない。しかし、方向性を失い、言葉を失った国民にはそういった才能が待望されるのだ。

 それは誰なのか。知の巨人と称される人はいるが、国民精神の牽引車たる巨人は在りえない時代なのか。

2007年3月11日 (日)

何と息子が大学合格

 なんと息子が第一志望校に合格。今までセンター試験の出来は芳しくなく、私大も一勝二敗だったのに合格してしまった。分からないものだ。

 先生の勧めで、論文重視の学部を受けたのが正解だったのだろう。この点は先生に感謝。勉強はあまりしていなかったが本はよく読んでいた。そういうタイプの高校生に向いている選抜制度だと思う。

 合格の原因としてもう一つ。これは根拠としては薄いが、中学・高校と6年間、皆勤であったこと。まじめにやっていればいいことがあるということか。

2007年3月10日 (土)

教訓Ⅰ

 教訓Ⅰ ① 努力に見合った結果しか出ない ② 結果の受け止め方によって次の行動が決まる ③ 行動なしに成長はない ④ 成長こそ人間の本質的な喜びである ⑤ 何度か経験する大きな喜び、これこそが人生の大きな果実である ⑥ 大きな果実は肥沃な土地から育まれる。 ⑦ いくら肥沃な土地があっても種を蒔かなければ作物は育たない ⑧ 種を蒔く努力をせよ

2007年3月 9日 (金)

父と祖母の関係

ある日の日誌より

 これはとっておきのネタなんですが、披露しましょう。

価値観と価値観が激しくぶつかりあった、今でも忘れられない子どものころの出来事です。

夏のある日、一匹の蛙がシマヘビに体を絞められ血の気を失っていた。それを見つけた父が可哀想だと思ったのでしょう石をぶつけて逃がしてやろうとした。しかしそこに居合わせた祖母が激しい口調で止めろと怒鳴った。

祖母になぜそうしたのか問いただしたことはないのですが、「自然の営みに介入するな」という強い意思表示だったと思われます。どちらが正しいとは言えません。私であれば父と同じ行動をとるように思います。世の中では政治的な場面では当然のこと、普段の生活の中でもこういった価値観のぶつかり合いがあるのだなと改めて感じます。またそういう関係にあった祖母と父の関係を羨ましくも感じます。

ちなみに、祖母は小学生の長男を事故で亡くしており、夫にも若くして先立たれている人です。そういった経験が逆らい難い力というものを意識させたのだと思います。

2007年3月 8日 (木)

父のこと

 父は尋常高等小学校出であったが、子供4人のうち男子3人を東京の私立大学にやり卒業させた。地方の農業団体に勤め、薄給であったにもかかわらずである。今思えば苦労かけたと思う。もう亡くなっているが、自分が年をとったせいか最近特にそう思う。

 父は自動車の販売が仕事であった。農業団体ということもあってか年に300台ほど販売していた。もちろん軽自動車が多かったと思うが。新聞を読むとか地域の皆から信頼される人物を押さえるとか営業に大事なことを話して聞かされた。しかし営業という仕事はしんどかった様で、セールスマンにはなるなとよく言っていた。頭を下げるのは辛い、人様から頭を下げてもらえる人間になれと言われた。私を政治家にしたかったようだ。今の政治家はそれほど権力を持たないし、尊敬もされていないように見えるが。

 父はセールスをやっていたので顔が広かった。出かけるとあちらこちらで知り合いと思しき人と挨拶を交わすのだった。そのせいか葬式は盛大だった。自分の葬式に何人の人が来てくれるだろうかと考えてしまう。

2007年3月 7日 (水)

読書

 子供のころから読書家というほどではないが、本は読んでいた方だろう。読んだ本の名前は比較的覚えているが、内容、それから読んだときの年齢あるいは学年は記憶が薄れている。

 少年探偵団、怪人二十面相、怪盗ルパン、名探偵シャーロックホームズのシリーズ。十五少年漂流記、宝島、ロビンソンクルーソー、トムソーヤーの冒険、海底二万里、地底探検、八十日間世界一周、次郎物語、路傍の石などが小学生の時に読んだ主な本である。特に十五少年漂流記が好きで、3回か4回読んだと思う。これらの本も私のものの考え方を形作る上で大きな影響を与えたと思う。

2007年3月 6日 (火)

差別、反差別、誇り

 子供の頃、近所に在日朝鮮人の家族が住んでおり、その家の子供は差別され仲間はずれにされていた。私は自分から彼に近づくことはなかったが、差別的態度はとらなかった。小学校に仲間はずれにされていた女の子がいた。色黒で体が大きく、そういう容姿が仲間はずれにされる理由だったのだろう。男子は彼女が近づくと逃げるのだった。私は特別反応せず、普通に接していた。

 私は差別をするような了見の狭い自分を許さなかった。許さない自分を誇りに思っていた。差別への意識を形成したのは、小学校の講堂で観た、「コタンの口笛」という映画だった。詳しい筋書きは覚えていないが、血を出してアイヌと「日本人」に差がないことを示そうとした少年の行動は衝撃的であった。

 私の祖母は偉い人で、飯を食わせと突然家に入ってきた乞食にも食事を与え、自分で働いて食べられるようになりなさいと諭していた。また近所に住む、「お夏さ」と呼ばれる薄汚い老婆にも気安く接していた。実に心の広い立派な人だった。祖母からも多くのことを学んだ。

2007年3月 5日 (月)

知と情

 知と情の乖離を感じさせるのは、「君が代」に対する反応である。知的には拒絶しながらも情的にはいささか精神の高ぶりを覚えてしまう。大学時代、ある女子が「君が代」を国家にしている日本が恥ずかしいと言ったが、そのときに少なからぬ嫌悪感を感じた。

 情的な反応は小学生時代に育てられたように思う。ボクシング好きであった私は、世界戦のたびに「君が代」を聞かされ、続く壮絶な戦いへと導かれた。その繰り返しによって「君が代」は戦いへの序曲になったのである。大場政夫、沼田義明、輪島功一、ガッツ石松・・・。あの緊張と高揚。素晴らしい演出であった。

2007年3月 4日 (日)

参考にしている人物

 われわれが生きている世界、時代を認識するために参考にしている人物が何人かいる。現状肯定的であるが現実を鋭く捉えている大前研一。現状を否定する立場で問題点を指摘する内橋克人。広い視野で日本の文化、歴史を捉える加藤周一。加藤周一ほどの深さには欠けるが、誠実さが伝わる寺島実郎。その他、哲学・思想では今村仁司。経済学の岩井克人などである。

 私は企業に勤めており、管理職でもあるので経営についても学ぶことがある。書店へ行くと経営に関する本は山ほど積んである。大概が同じような大差ない内容に思える。部下には手にとって気に入ったものを買って読めばいいと言っている。自分で選んで身銭を切って学ぶということが大事なのだ。元に戻って経済界で参考になる人物は、亡くなった人で言えば本田宗一郎であろうか。奔放な人であったようだが、経営に関しては純粋であり、「哲学」を持った人だった。企業であるからいくらトップが気骨のある立派な人物であろうとも本質的に労働者と利害が反するところがある。実際は哲学だけではなく、経営手腕のあるなしが決め手になる。しかし相対的にはホンダに勤めた労働者は幸せであったことは間違いなかろう。いい経営者か悪い経営者かを見分けるには、城山三郎の書いた本が断然参考になる。

2007年3月 3日 (土)

失敗について

 時々思い出す失敗がいくつかある。その多くは子供の頃のものだ。少なからず心の傷として残っている。犯罪ではないが、心の罪というべきものがある。それが以降により大きな罪を犯す抑止力になっているかもしれない。

 以前に比べて心の問題が問われなくなっている思う。物に対する執着はかなりのものだ。時計のブランドはなにがいいだの、バッグは何だのと。その前提となるお金はさらに大きな関心事である。雑誌では企業別年収ランキングであるとか職業別年収だとかの類の記事が幅を利かせている。

 加藤周一氏が知識人論のなかで、次の様に述べている。「東京の知識人(欧米との比較で言っている)は、宗教を語らない。個人の生と死、罪と罰、また救いの問題は、今ではほとんど例外的な少数者の注意しか引かなくなっている。」これを書いたのは1957年のことである。なんと私の生まれる1年前の話である。だから、今がどういう状況かなおはっきり言い切れるというものだ。

偉い人

 人を偉いと思うことがあるか。多くの人にとってそういう機会が減っているのではないか。まず偉い人自体が減ってきた。次に「偉い」と感じることのできる価値観をもったひとがいなくなっている。

 私利私欲がなく、こつこつ頑張っている人は偉いと思う。理想とする人、目標とする人、すなわち自分が目指している価値を実現するために努力している人は偉いと思う。自分自身に目指すもの、大事にしたい価値のない人は他者を偉いと評価することができないのであろう。

 皆たいしたことはない、好きなことをやっているだけだ、裏では何をやっているか分からないなどど十把一絡げに否定している人は他者を評価できないし、自分自身も成長することができないのだ。

 できるならば国民共通のミニマムの価値があり、その基準から国民の宝と評価できる人がいてほしい。

 かつて敗戦を前後して戸坂潤と三木清が獄中死した。彼らは国民の宝ではなかったか。特殊にすぎるであろうか。

2007年3月 1日 (木)

人のつながり

 つながりの希薄な時代になった。しかも孤立を厭わない人間が増えた。孤独を感じさせない装置が数多く揃えられている。テレビ、DVD、携帯電話・・・。ある意味ブログもそうだろうか。

 地縁、血縁による一次的結合が生活の土台としてしっかり在った。さらに平和運動などを通じた連帯。労働組合を通じた社会的連帯があった。しかし、このようなものは失われてしまった。かつては顔も知らず名も知らぬ者同士が、共通の価値を通じて意識の上でつながっていた。その価値はそれを認めない者にとっては脅威だった。脅威はいつしか消失した。人は「私的領域」に追いやられた。

 社会的強者にとってやりたい放題の時代。再び、大衆の連帯はありうるのであろうか。その場における指導的役割はどういう類の人間が担うのであろうか。私に何ができるのであろうか。

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