2022年11月13日 (日)

中越高校から嘆願書が提出された件

「新潟市で10月28日に行われた全国高校駅伝競走大会新潟県予選会の男子レースで運営ミスがあったとして、中越高校(長岡市)は11日、全国高校体育連盟会長や日本陸上競技連盟会長宛てに救済を求める嘆願書を提出したことを明らかにした。」(読売新聞オンライン)

 

昨年、高校野球選抜大会の出場校選定を巡って議論が巻き起こったが、あの件ではルールに曖昧さがあってまだ解釈の余地があったのだが、今回の件は明らかなミスなので配慮が必要であろう。順位の入れ替えは難しいだろうから特例で二校選出がよいのではないか。世論が高まれば対応せざるをえない理由もできるわけで、その実現性はあると思う。

一方で、長野県の予選をYouTubeで見ていて感じたのだが、コースがわかりにくく、スクーター1台で先導しており、先導ミスや交通事故のリスクを感じた。全国大会のように県警のバックアップを受けることはなく関係者の手作りの運営になっているのはやむを得ないと思うが、危うい面がある。これは公道を使う競技ならではの難しさであろう。とはいえ、伝統の火は消したくないので、運営については地域ごとに打ち合わせの機会を増やし、混乱のないようにしていただければいいかなと思う。

2022年5月 9日 (月)

陸上競技における日本人選手の位置

戦後の時期に限って、陸上競技における日本人選手の実績を思い出して見ると、オリンピックや世界大会などの大きな舞台においては、マラソン競技が唯一戦える種目であり男女でメダルを獲得している。例外としてあるのは、室伏広治選手のハンマー投げと男子の4×100mリレーぐらいだろう。その他では男子の3000m障害や女子の中長距離で入賞ラインに入ってくるレベルになっている。全体的に見ると女子の選手の成績は男子よりも芳しくない。

先日、外国選手も含めた競技会で女子200mのレースがあり、外国選手が3位までを占めたのだが、そのニュースのヤフコメに、到底戦えないのだから頑張っても無駄だという趣旨のものがあった。先ほど書いたように結果を見ると男子よりも芳しくないわけだが、欧米やアフリカ系選手と互角に戦えないから競技を続けることまで否定されるのは理不尽である。地域の大会があり、次に地方の大会があり、そして全国大会に進んでいく。この過程で競技を終えてしまうの選手が多いのだと思うが、それぞれ努力をして、あるいは楽しんで競技をしている。それでいいのである。全国大会に出ている選手は、彼らからすればスターである。外国のトップレベルと戦えば差がはっきりするが、そういう差の意識がまた次の頑張りの動機になるだろう。否定的に捉える必要はないのである。

ところで、日本において男子より女子がやや劣っているのは人種的な要因ではないと思われる。身体および身体能力の他の人種との差は片っ方の性だけに現れるのではなく男女共通して現れるのだと考えられる。したがって、日本における女子選手の場合は文化的な要素が大きいのではないか。もっと積極的に競技に取り組めば、成績は向上すると確信する。

 

2022年4月25日 (月)

佐々木投手と白井主審との一悶着から考えたこと

プロ野球ファンならほとんどの方がご存じでしょう。佐々木朗希投手が判定に対して不服の態度をとったことに気分を害した白井主審が詰め寄った事件である。プロ野球のOBたちがユーチューブなどでこの件にコメントしているが、田尾安志のチャンネルが分かりやすかった。彼によれば、投手がストライクボールの判定に不満を持つことはよくあり、不満の態度を見せることもあるのだが、あの程度で感情的になる審判もいかがなものか、という見解である。

試合は主審が動かしているのであり、そういう点からすれば冷静さを欠いてはならないわけで、選手の性質も踏まえた上でコントロールしていくのが務めである。ダルビッシュ選手が言うように大変な仕事であることは理解してやらねばならないが、ストイックになることも彼らの任務ではないだろうか。

人間の判定には間違いがつきものであり、このような事件を避けるには機械による判定も導入せざるをえないという意見もあるが、これには反対である。人間はたしかに間違える。だからより正確な判断ができるように鍛錬しなければならない。審判は高度な技術者であるべきだと思う。そこに人間らしさがあり、ドラマも生まれる。また、人間には癖がある。これは多くのプロ野球選手の証言がある。この癖は、よくは分からないが、二つの眼球の距離の違いであったり、動いている物への感覚の違いなどが原因になるのではないか。あるいはまた、投手から見る投球の角度と審判が見る角度との違いで、差が生まれるのではないだろうか。決して誰しも同じように見えているわけではないのである。このようなはっきりしない要素がある方が、変化があって面白いと言うことができる。

では機械は正確なのか。私は文系なのでその判定のメカニズムは分からない。いくつかの方法があるのではないか、レーザーなのか、光なのか。ストライクゾーンの設定はどうするのか。打者によって変化するのかどうか。AIを使うなら、過去の判定のデータを学習させるのか。それだったら、人間の癖を反映するのではないか。機械だから正確だと単純に言えるのだろうか。

一つの事件のおかげでいろいろな議論が生まれる。それはいいことだ。外野があれこれ言うより、プロ野球の世界で当事者が議論してほしい。

 

2022年4月23日 (土)

資源の有無

コロナ禍そしてその渦中のロシアによるウクライナ侵攻で、世界が混乱に陥っている。政治的混乱であると同時に経済的混乱である。

このさなかに私が思うのは、資源を持つ国の強さであり、農業国の強さでる。これ以外に国力を表す要素として、技術力が上げられ、先進の製品開発やソフト開発に結びつくものであるが、これは特に平時の活発な国際貿易があってこその強みと言えるだろう。一方で、戦時においては、資源(主に鉱物資源を言うが)や食料が自前で調達できることが重要である。貿易が閉ざされた場合に、何も持たざる国は持久戦に耐えることができない。

我が国は高度成長期以降、技術力を売りにしてきた。家電や自動車などの品質において世界をリードし、富をもたらしたのだが、これを支えたのは高等教育であり、企業における社員教育でもあった。ところが、バブル崩壊後は一気に衰退し、強みを失っていったのである。この点はずっと指摘されてきたのだが、本気で取り組まれたとは思えない。

資源を持たない我が国は、人材で勝負するしかないというのが定説であるが、ここに多くの予算がつぎ込まれたという話は聞いたことがない。なぜ、分かっているのにやらないのだろうか。もう手遅れかもしれない。

2022年4月22日 (金)

ロシア人に対する偏見の醸成

アクション映画をよく見る。その中で主人公の敵として現れる集団がロシアンマフィアである場合がけっこうある。例えばデンゼル・ワシントン主演の「イコライザ-」だったり、キアヌ・リーブス主演の「ジョン・ウィック」だったりする。

以前はマフィアと言えば、イタリア(シチリア)のマフィアであった。映画では単に悪い奴らというのではなく、血縁を軸とする特殊な集団の有り様が物語として描かれていた。「ゴッド・ファーザー」が代表的である。それがロシアンマフィアに変わったのは、アメリカ社会で急激に勢力を伸ばしたからだろう。そしてそれはアメリカ人(といっても人種や民族は雑多なのだが)にとって不愉快なことだったのだろう。

かつてジェームズボンドの時代は悪とはソ連だった。しかしソ連がなくなってしまったので、国籍のはっきりしないシンジケートが敵に変わってしまった。実はロシアンマフィアの急増はソ連の崩壊を原因としている。体制が崩壊し、秩序がなくなり、無法者が跋扈するようになった。プーチン氏の取り巻きは、国有企業の払い下げを受けて力を持つに至ったマフィアである。プーチン氏はKGBの出身だが、彼もまたマフィアと呼んでいいのかもしれない。

もとに戻るが、アメリカ映画でロシアおよびロシア人に対して悪いイメージが植え付けられているのではないかと思う。恐ろしいほどのステレオタイプが出来上がっている。一方で中国人は、ロシアンマフィアと同じような扱いをされる場合もあるが、比較的好意的に描かれている場合も多かった。それは中国が映画の市場として大きなウエイトを占めているからだろう。それに比べて日本人はほとんど登場してこない。

2022年4月21日 (木)

地球温暖化の視点

地球温暖化の悪影響はもはや否定することができない程度に常識化している。かつては市民団体が担う活動であったものが、今や国や投資家が主導するものになった。特にEUの動きが活発である。これはISOの普及を思い出させる。

温暖化が進めば、人類が存続する条件が損なわれ、経済も同様に退化・縮小し、投資家にとって投資と回収の機会が失われる。彼らは黙ってそれを待つことはできないのである。しぶとい連中である。

温暖化の影響は等しく人類に降りかかかり、安全な場所はどこにもなくなる。SF映画などでは、他の惑星への移住が試みられるが、それは非現実的である。しかし、一部の富裕層に生き延びるチャンスが与えられると考えるのは実に正しい発想だ。気温の上昇やそれを原因とする自然災害から逃げて生き延びるには金がものを言う。

貧困層に災禍が襲いかかる。津波や洪水の影響を直に受ける低地に住み、壊れやすい家に住み、空調も十分でない。この大いなる格差を是正するのが、SDGsの運動である。貧困層、後進国にも存続のチャンスを与えるのが、SDGsの目標の追求である。その主体は、政府と企業だけではなく、市民・住民も含まれる。ここが重要なポイントである。どこかに偏れば、いびつな歴史が構想され、目標の達成が難しくなる。

2022年4月20日 (水)

コロナ禍の現在

初期の感染拡大からすでに2年以上経過しました。現在でも感染者は多数出ていますが、緊急事態宣言はおろか蔓延防止条例も解除されています。ワクチン接種の進捗やウイルスの変化などで重症化率が下がり、病床の逼迫感がなくなり、一般市民の警戒感はうんと弱まったと言えるでしょう。

この春に、花見で万博公園を訪れたとき、係員が「シートを広げての飲食はお控えください。」とアナウンスをして回っていましたが、花見客は聞く耳は持たずで、遠慮なく飲食していました。アナウンスは建前でやっているだけという状況になっていました。

もはや、これが現実です。喫茶店などへ行っても、以前は小声で会話していたものが、今はコロナ前と同じように結構な大声で交わしています。特に女性のグループが顕著なように思います。こうなると、「黙食」などと書いても一向に効き目はありません。元に戻らないと言っていいでしょう。

大河の流れを止めるのが難しいように、多数の市民の意識と行動の変化も押しとどめることができません。「悪い」変化でないことを希望します。

2022年4月17日 (日)

佐々木朗希投手を8回で降板させたことについて 

球団あるいは監督は、よい成績を残すために力のある選手には無理をさせたいという欲求に駆られます。それに歯止めをかけるのは契約でしょうが、実際の中身は分かりません。

選手の中には、監督やコーチの熱意(?)を意気に感じて自己犠牲を厭わず頑張る人もいるでしょうが、極力無理を避けて長くプレーをしたいという考えの人もいますよね。今後の人生を考えてある程度のプランを立てること必要でしょう。

一方でファンの期待も分かる。ファンは単なる部外者ではありません。ファンあってのプロ野球だということも決して間違いではない。

そう考えると、何がベストなんだということになる。それは難しいですね。正直分かりません。違った考えがぶつかれば調整をして、落とし所を見つけなければなりません。それが「契約」なのでしょう。さすがにファンはそこに介入できません。

分からないなかでも、一つ言えることを書くと、市場の論理で考えれば、負わせたリスクには見合うリターンが必要だということです。保険をかけるなどして、一定の保障を設けるべきではないでしょうか。

2022年4月11日 (月)

映画「とんび」の評価

原作は読んでいませんし、テレビドラマは見ていなかったので、全く初めて目にする作品でした。見終わった感想ですが、まずは原作者の力量が非常に高いのだろうと思いました。作品を読む(観る)者に対して、自分は親に対してやるべきことをしたのか、あるいは子に対して十分に愛情を注ぐことができたのだろうかと思わせる場面をたくさん盛り込んであって、心を揺さぶります。巧いです。さすがに流行作家だけのことはある。
次に監督の力量。私は、「糸」と「護られなかった者たちへ」を見せてもらっていたので、高く評価していました。評価を裏切らない出来映えでした。巧いです。
最後に俳優ですが、予算に余裕があるからでしょうが、脇役にも上手な俳優さんを使っていてスキが在りませんでした。例えば、田中哲司など。それぞれ巧いです。主演の阿部寛はその存在感で文句なし。最後の、海岸で息子家族を見つめる表情がかっこ良すぎました。
以上を総合して、全体として、よく出来上がっていると思いました。ただし、ちょっとひねくれた見方をすると、何もかも巧すぎて、罠にはまって騙されているのではないかという疑念も持ちます。私に限ったことですが、もう一度観たいかと言われると「?」がつくように思います。
ちょっと比較する対象が陳腐であるかもしれませんが、「カメラを止めるな」は最初は素晴らしく面白い映画だったが2回目に観たときは全く面白くなかったことに通じるものがあるのではないかと思っています。同じ監督の作品でも、「幸せの黄色いハンカチ」は素晴らしいが、「遙かなる山の呼び声」はよくできているが、あまり評価されなかったというようなことがあり、「巧い」だけではなく、それを凌駕する意図の深さというものがなければならないということでしょう。
振り返ると、「護られなかった者たちへ」には、とんでもない筋があったものの、監督自身の熱い思いがあったように感じます。

2022年4月 9日 (土)

映画「英雄の証明」

2021年第74回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した作品。

小さな嘘が大きな嘘を証明する根拠とされてしまう。言い訳すればするほど疑いが深まる。組織は自己保身を優先する。SNSの影響は絶大で、組織はビクビクしている。
人や組織の言い分は、その立場に立ってしまうとそれぞれ全うに聞こえるから不思議だ。人は立場でものを考えると言われるが、確かにそう思える部分が経験上思い当たる。
このようなことを感じさせる場面がこれでもかこれでもかと繰り返される。この監督は天才だ。これだけ普通の社会、そして人間を絶望的に描いた監督がいただろうか。救いが見えない。最後の場面は、身近な愛する人は信じることができることを示唆しているとも取れるが、これだけたたきのめされると、それも怪しくなってくる。

とはいえ、これだけ衝撃を与えてくれる映画は滅多にないので(「チタン」という映画もなかなかでしたが)、お勧めします。

追記

*しかし、正面からではなく、斜めから見直してみると、この映画は「喜劇」なのかもしれませんよ。

2022年3月27日 (日)

ドライブ・マイ・カーはなぜ面白くないか

正直、面白い映画ではなかった。私は年に100本ほど観る、映画ファンではあり、毎回点数をつけているが、最上位の部類には入らず、その下のグループに入る映画だった。ちなみに高得点は、「ベルファスト」「ゴヤの名画とやさしい泥棒」であった。その他娯楽系では「ザ・バットマン」や韓国映画の「ハード・ヒット」を上げる。

さてドライブ・マイカーだが、欧米で驚くほど評価されている。これは原作が村上春樹であることと関係が深いと思われる。主人公は知的人間で、個人主義的であり、病的な繊細さと孤独感を背負っている。これが日本の一般大衆には共感を呼ばず、欧米の知的な映画ファンに受けている理由だろう。こういう映画は山田洋次は決して撮らない。純朴で、単純で、時に愚かで、情にあふれた人たちが登場し、笑いや涙を誘う。

私自身は大衆よりも知識人に近い性格を持っているが、この主人公の態度は一定理解するも、共感はできない。そう在りたくはないからだ。人に対する、特に身近な人に対する感情はよりストレートで、濃密でありたい。

この映画で特に印象的だったのは霧島れいかの背中の美しさであり、セックスの時のあえぎ声のいやらしさであった。それが一番なのだから、この映画にのめり込めなかったのがよく分かるだろう。

2022年3月20日 (日)

一人一票の原則より

「一票の格差」訴訟で判決が出たときにニュースにいろいろなコメントが書き込まれていた。そのなかで最も記憶に残るのは、選挙区による一票の重みの違いではなく、若者と老人が同じ一票なのはおかしいという主張だった。裁判とはまったく違う論点なのだが、それはいいとしても、主張内容がひどくゆがんだ認識に基づいていると思う。どういうことかと言うと、老人ばかりが優遇される社会なので若者に票を多く与えないとそれを変えることができないということなのだ。

若者の生活が苦しい実態はある。初任給は長く変わらないままだ。社会保険等の負担は増すばかり。学生時代に半数が奨学金を借りており、その返済負担は大きい。問題は、その原因を老人に求めることである。いわば、老人主敵論に陥っている。たしかに老人福祉のための予算が多くなっている現実はあるだろうが、その負担は企業にもう少し負ってもらってもいいだろうし、富裕層にもお願いしたい。しかし、政府は法人税を低く抑えている。そういうところに論点がいかない。老人が悪い、老人憎しである。

本来は共同して政治の改革を求めるべき人々を分断してしまうのは、「主敵」隠しである。本当の敵はどこにいるのだ。

 

 

2022年3月14日 (月)

オミクロン株 後遺症

私は先月新型コロナウイルスに感染しました。保健所の指示により、3月10日から20日までの間、自宅で療養しました。症状は、微熱、喉の痛み、軽い咳、だるさ、等でした。この期間中に症状が治まれば21日から通常の生活に戻ってよいとの指導があり、結果、平熱に戻り、喉の痛みは消え、咳は声を発したときにたまに出る程度になったため、自ら外出可の判断をしました。判断の基準については保健所の指導の通りです。

軽症で済んでよかったということですが、感染前と比べると完全に回復したという自覚がありません。まず、じっとしていれば息苦しさはありませんが、日中体を動かしていると午後から夜にかけて胸が重たくなります。これは感染症で体力が落ちているという見方もできますが、風邪などでは経験しないことです。また、一日に数回程度ですが咳き込むことがあり、治まる気配がありません。

感染症の余波としてしばらくの期間このような症状が続いたとしても徐々によくなっていく見込みがあれば心配することはありませんが、長引けば生活に大きく悪影響を及ぼします。改善しないようであれば医師の診断を受けようと思いますが、とりあえずは一般の内科でしょうか。コロナ感染症をただの風邪だと言う人がいますが、それは間違いでしょうと、自分の経験から言いたいと思います。

*追加で一言。集中力の低下があります。体力の低下が原因なのかもしれません。脳の萎縮があるという説は目にしたことがあります。

2022年3月 1日 (火)

ロシアという国

ロシアの名目GDPは日本の3割程度である。人口は日本より1割以上多いから、一人あたりではもっと小さいことになる。ロシアは資源国であり、資源で稼いでいる。工業製品より資源である。したがって西欧並みの先進国とは言いがたい。経済力は国力であると言ってもいいぐらいだから、ロシアの力を恐れる必要はない。ただし、核をアメリカと同程度保有していることで、脅しの外交が可能である。

ロシア人の寿命は短い。特に男性は70歳まで生きることができない。これはウォッカの飲み過ぎが原因だと聞いたことがある。そういう国民性だから生産性も上がらないのだろう。また冬はやたら寒いのも短命の原因かもしれない。

ソ連の時代は相対的にもっと豊かだったのではないか。モスクワへ留学した経験のある人に聞いたところでは、60年前は医療費が完全に無料で、主食のパンも高級なものは別として無料だったので生活の不安がなかったと言っていた。それが連邦が崩壊して周辺の国が離れていき、政治が混乱したことで混迷していた経済がさらに悪化し、工業国から資源頼みの国になってしまったのだろう。それに伴い国民のモラルも低下したのではないだろうか。

プーチンはそういう国の現実を背景にしてのし上がった人物である。

2022年2月28日 (月)

ウクライナ 暗澹たる気持ち

ウクライナへの侵攻を聞き、重苦しい気分に襲われた。なんとか妥協の道はないものかと、薄らとした希望を抱いていたが、あのプーチンが、あの演説をぶってしまった以上もはや後退することはあるまいという諦めがあった。それでも侵攻のニュースを聞くと、絶望感に似た気分が襲ったのである。

政治家という者は、ギリギリの交渉を行い、最後は妥協もいとわないものだと思っている。しかし、プーチンはそもそも政治家なのかという疑問がある。自分の政治生命を長引かせるために、都合の悪い制度を改悪してきた。あくまで自分本位である。国民、大衆のために権力を活かすという建前すらないように思える。また、大衆を扇動するためにロシアの歴史や文化を巧妙に利用しているようにも思う。一方で、ロシアの国民にも良識的な層があるだろう。反プーチンも世論として一定のものがあるだろうが、無力化されている。KGB出身のプーチンにとってはお手の物だろう。

世界に、反戦の世論が盛り上がっているが、これもプーチンは無視するだろう。楽観はできない。平和など幻想だという主張も強まっているが、理念をなくして、各陣営が暴走を始めた世界を想像してみよう。大衆の営み、よりよい生活を求める地味な努力は、蹂躙されるだけのものか!

 

2022年2月11日 (金)

聖隷クリストファー高校 落選事件?

本件、世間では未だに不満が渦巻いているようだ。確かに過去の選考結果と比較して不可解に思うところがある。

今回の選考理由として個々の選手の力量が取り上げられた。選考委員のだれかがその観点を言い出し、他の数名が乗っかってしまったのではないかと想像する。そして決定にまで至ってしまった。不安に思う委員もいたと思うが、いったん決まってしまうと、後戻りは難しい。ましてや公開してしまったら、変更はきかない。そういう成り行きだったのではないか。

間違いを認めて、聖隷クリストファー高校を追加する、すなわち1校増やすのはどうなのだろうか。試合数が増えるが、1日4試合の日を増やせばなんとかなると思うのは素人考えだろうか。

 

以下、以前の私の記事

問題となったのは東海地区の選抜。優勝した日大三島は文句なしだが、2校目は準優勝した聖隷クリストファー高校ではなく、ベスト4の大垣日大だった。

クリストファー高校の選手は気の毒に思います。選抜なので、試合内容、力関係、地域性などの要素が入り、結果に不透明さが残る場合が出てきます。できれば勝敗だけで決まる仕組みがよいのですが、それでは夏と同じになってしまいますか。21世紀枠は力のある理事のいるエリアが有利だとか、毎日新聞を大量に購読すると有利だとか、そんな噂が出ないようにしてほしいですね。

大垣日大の阪口監督は東邦高校で長く監督を務められ、プロ野球にも多数選手を送り出しています。まさか年齢的に引退も近いであろう阪口監督への忖度(お孫さんといっしょに甲子園に出させてあげよう的な)があったとは思いませんが、そんなことも頭に浮かんでしまうような今回の決定でした。

2022年2月 5日 (土)

技能実習生なるもの

ベトナムからやってきた技能実習生に対し長期間にわたり暴力が加えられていた。その映像がニュースで流れて、雇用者への批判は当然のことながら、技能実習制度への批判も高まっている。

私が勤める会社でも、数名だが女性の実習生に働いてもらっている。ホーチミンの日本語学校で面接し、女性を数名採用し、紹介を受けた監理会社にフォローをお願いして、地方の工場で働いてもらっている。すでに所定の年月は過ぎているのだが、コロナで帰国できずにいるので気の毒である。その間は仕事をしているので収入があり、蓄えは増えることになるのだが。

日本にやってくる技能実習生は、彼女たちと同じようにホーチミンのような都市部の日本語学校で半年ほど勉強してから日本にやってくる。多くは農村や漁村の貧しい青年であり、日本語学校の授業料や住居費は借金でまかなっている。日本に来た時点で借金を抱えていることになる。そして、日本で収入を得て、まず借金を返し、そこから目的の貯金作りに励むことになる。途中でやめてしまうと借金を返せないままになるので、多少の苦痛には耐えざるをえない事情があるのである。

監理会社の人の話では、手取り収入が一定の額を下回ると職場を放棄して逃亡する者が出てくるのだそうである。来日した時の目標を達成するのが無理だということに気がつくのである。そこから先はもっと金になる仕事を探すのだが、違法な雇用を行うわけだから雇い主はろくな者でないのは明らかである。今回の事件は技能実習生として働いていた先だったので、逃げたくても逃げられなかったということだ。ちなみに、私の会社で働いている女性たちへの報酬は高い方の部類だそうで、2DKのアパートに2人で住んでおり(別々にすると寂しかろうと言うことで。)、慰安旅行にも会社のお金で一緒に行くなどしているので、比較的ましな境遇だと言える。ただし、スーパーで食材を買って自炊しているのだが物価が高いと嘆いている。いろいろ考えて、とうに彼女たち1回限りでやめることにしている。日越友好を目的の一つとしたが、個人的な友好の範囲にとどまっている。国同士の友好のためには、制度がいいものでなければならない。

日本の技能実習制度については、米国務省が2007年以降の人身売買報告書で違法性を指摘している。しかし、日本政府は改善を怠ってきた。日本政府は、中国のウイグル自治区における人権侵害を訴えるならば、自国における人権侵害に対してもっと厳しく処すべきであろうと思う。

あさりの産地偽装

熊本県産のあさりの大半が中国からの輸入品であったらしい。しかも、何十年も前からその偽装は行われていたという。

これまで発覚しなかったことも驚きである。日本でとれるアサリの量は微々たるものである。そのギャップは多少なりとも漁業の実態を知る者や統計資料を業務上見る者には分かったのではないだろうか。

熊本県はしばらくの間、熊本産のアサリを出荷させないようにした。そうすれば出回る「熊本県産」は偽物だと分かるからである。しかし、中国産と表示すれば何の問題もない。ただ、中国産がやたら多くなることは間違いない。家庭でもかなりの量が食されるが、居酒屋でも酒蒸しやバター焼きで食べられるので、中国産でも流通させないと困るだろう。考えてみれば、居酒屋で産地を表示したメニューは見かけない。そもそも偽装する必要はなかったのではないか。そう思ったりもする。

2022年2月 4日 (金)

ユーチューブ プレミアム 飽くなき商魂

ユーチューブで動画を見たり、音楽を聴いたりして楽しんでいる人は億単位でいるのだろう。私もそのなかの一人である。様々なコンテンツが無料で見られるのだから、これほど有り難いものはないだろう。いささか不満があるとすれば、再生途中に広告が入ることだ。

その広告の一回あたりの長さや延べの時間に制限があるのだろうか。私は知らない。ただ、無料で見れることの代償として受け入れているだけである。ここまでは、それでいいのだが、一方でユーチューブプレミアムという契約があって、毎月定額を支払えば、広告をなくすことができるのだ。いつからこのような仕組みができあがったのだろうか。システムの所有者は、広告収入で十分な収益を上げることができるだろう。しかし、視聴者にストレスなく視聴できる便益を与えることで収入を増やそうとする。よく考えるものだ。このことで広告の総回数が減ったりしないのだろうか。その分はプレミアムではない視聴者への広告が増えるのだろうか。そうしなければ広告料とバランスしないだろう。

ユーチューブが稼ぐ額は途方もないものだろう。システムを持っており、顧客を従属させれば何でもできるということだろう。恐るべき商魂である。

2022年2月 3日 (木)

佐渡金山 世界遺産に推薦を閣議了承

推薦を見送る予定だったが、安倍・高市の圧力に屈して一転推薦に踏み切ったようである。

鉱山は深く掘り続けると次第に悪条件となり事故のリスクが大きくなる。江戸時代には無職者や流刑人に仕事をさせていたらしい。また、戦時中には朝鮮人の強制労働もあったようだ。「人類の知的・精神的連帯に寄与し、平和と人権を尊重する普遍的な精神をつくる」というユネスコの理念に合致しない要素を抱えていると考える。

私は、負の遺産も含めて文化遺産としての価値を見いだしたいと思う。負の側面への反省があってこそ、知的・精神的連帯に寄与することができると考えるのである。政府の推薦の仕方もそうあってほしい。

«春原さんのうた

わたしの写真館

  • 雨に煙る那智の滝
     写真は素人ですが、思い出に残る画像の中で、比較的よく撮れているものをピックアップしてみました。

お勧め書籍

  • ジュール・ヴェルヌ: 十五少年漂流記 (★★★★)
  • 加藤周一: 日本人とは何か (★★★★★)
  • 野中郁次郎ら: 失敗の本質 (★★★★)
  • 大野耐一: トヨタ生産方式 (★★★★★)
  • 稲森和夫: 稲森和夫の実学 (★★★★)
  • 大井正ら: 世界十五大哲学 (★★★★)
  • ピーター・ドラッカー: 経営者の条件 (★★★★★)
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