2019年2月11日 (月)

シークレット・チルドレン(原題 ONE&TWO)

2015年の作品。テアトル系の未体験ゾーンの映画たちで上映された。監督はアンドリュー・ドロス・パレルモ。

マイナーな映画だが、映像も音もなかなかいいじゃないかと思った。クオリティは高い。しかし、ストーリーは地味。瞬間移動するだけで、ゾンビが出てくるわけでもないので刺激が少ない。こういう映画は流行らないね。

監督は今後の作品次第では化ける可能性があるかもしれない。

安倍晋三について思う

ユニクロの柳井正は、日本経済新聞のインタビューのなかで、アベノミクスは株価を上げただけだと言い切った。日本経済を停滞から脱却させるためにインフラ整備が必要なのだが、滞ってしまったと嘆いた。
安倍政権が実行する政策には統一性がなく、その時々で、アメリカだったり、ロシアだったり、財界だったり、公明党だったりするが、相手の気に入るように税金をばらまいているのである。しかし、外国のなかでも韓国には金を使わないし、日本の貧困層には非常に冷たい。
経済面でやったのは、円安誘導と株価の引き上げであった。これによって、大企業は利益を増やし、富裕層の資産を増やした。一般勤労者の生活は豊かにならないどころか悪化している。経済成長率は他の先進国に比べて著しく低い。総合的に見て、失敗だったと言えるだろう。
政治においてはどうか。外交面では、いろいろ動いていることは確かだが、成果に乏しい。税金を使って経済協力をしているのだがリターンはどこにあるのか分からない。お金で友好関係を買って、支持率向上を図っているように見える。
国内政治における最優先課題は憲法改正である。軍隊を公式に認め、戦争ができる国にし、周辺に圧力をかけることである。これが政治家としての最大の目標である。他のすべての行動は、この目標を達成するためにこそ進めているのである。
安倍の思想と行動は、日本の国家と民族にとってリスクが大きく、自民党のなかにも内心危惧する者が多いのではないかと思うのだが、それができず追随してしまうのは、彼を支えている勢力が実に厄介であるからに違いない。彼は、フェイクも交えて政敵を攻撃し、言い逃れもする。最近では言論統制も露骨になってきた。
結論を言うと、彼こそ民主主義の破壊者であり、国益をないがしろにする、国民の真の敵だと言わねばならない。

2019年2月 3日 (日)

ひかりの歌

映画「ひかりの歌」を観ました。放映後、舞台挨拶がありました。杉田協士監督、第4章主演の松本勝さんと並木愛枝さんです。俳優さん二人は脇役ですが見たことのある方も多いでしょう。この映画は4首の短歌をもとにした4章の物語で構成されています。元が短歌ですから、少ないイメージから膨らませるのは難しいのでしょう。はっきりしない話もありました。最後の4章は夫婦の話だったので受け入れやすかったのです。
舞台挨拶付きで、映画ファンには興味をそそりますが、残念なことに客は数少ない。松本さんは住吉区の出身なので、知り合いとかもっと来てもいいのになあ。

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七つの会議

私の趣味のなかに映画鑑賞がある。年に70~80本観るので、趣味だと言って間違いないだろう。これだけの頻度で観るようになったのは3年ぐらい前からだ。

本数を見ていると慣れや飽きも生じるが、いくらか目が肥えてくるということもあろう。つまらないと思う作品の割合が少なくなったと感じるのは、飽きのせいなのか、肥えた目のせいなのか。

ちなみに、2017年、2018年それぞれ私のベスト5を挙げておこう。本数が限られるので、一般の批評とはずれているが、趣味だから仕方がない。もっとも、映画評論家だって評価が分かれるだろう。


2017年
①沈黙
②エリザのために
③ありがとうトニ・エルドマン
④ハート・ストーン
⑤ローサは密告された
2018年
①ビート・パー・ミニット
②ビッグ・シック
③万引き家族
④ブリグズビー・ベア
⑤ボヘミアン・ラプソディ

こう見ると日本の作品が少ない。見方が厳しくなっているかもしれないが、テーマのえぐり方が甘いような優しいような気がする。目に見えない表現への制約があるのかもしれない。報道の劣化と同じ現象なのかもしれない。
さて直近で観たのは「七つの会議」だ。扱われているのは、企業における品質にかかわるデータ偽装で、実際にその手の事件が続いているだけに興味深い。ただし、時間の制約で話は単純だ。基本的に娯楽映画なので、ユーモアを交えつつ見やすいように作ってある。
野村萬斎と香川照之は実力者で、その演技の派手さでは「歌舞伎対狂言」というのような表現をしたくなるほど印象的である。

今日も、邦画を観る予定である。
 

2019年1月21日 (月)

北朝鮮を望む

ソウル出張のついでに取引先が「統一展望台」に連れて行ってくれた。イムジン河と漢江が合流する付近の丘に展望台があり、観光客が集まる。平日だったので、人はまばらである。
肉眼で北朝鮮領土が見える。詳細は分からないが、赤土色に見える。山にも緑は少ない。同伴者の話によると、燃料に木を切ってしまうのではげ山になるそうだ。
望遠鏡ではっきり見える。黒っぽい服を着た人が歩いているのが見える。車は走っていない。高層の建物が何棟か建っているが人の気配はしない。同伴者の話では、住んでいないか、住んでいたとしても軍人の家族ではないかとのことであった。
いずれにしても韓国側と比べて何もない印象であった。
イムジン河水清く。

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2019年1月20日 (日)

ソウルは寒かったが、美味しかった

年が明けて、8日から10日までの3日間、ソウルに出張した。通して寒かったが、3日目の朝は氷点下10度まで冷え込んだ。札幌よりも低い気温である。
行く前に風邪で微熱が出ていたので、この寒さはこたえた。なんとか持ちこたえたという感じである。
初めての韓国で、ハングル文字が読めず、町の詳しい事情は分からないが、文化的には差を感じなかった。上海よりもホーチミンよりも近い。地理的に近いから当然ではあるが。
特に食べるものに抵抗がない。鍋料理は辛いがおいしい。キムチもおいしい。
向こうの人の話では、キムチを作る家は、2軒に1軒程度に減っているようだ。外食で出されるキムチは中国産が多いらしい。

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2019年1月19日 (土)

パブロンゴールドは麻薬だった

私は風邪の症状が出ると、パブロンゴールドAを飲む。そうすると、だるかった体が楽になり、気持ちがよくなってくる。「これはよく効く」と感じ、常用薬になっており、大箱を常に備えているし、会社の机の引き出しにも何袋か入っている。

しかし、毎日新聞の記事によると、麻薬的な効果があり、依存性を生じるようだ。若者には乱用する者がいるらしい。ネットでそういう情報も飛び交う。
市販薬と言えども、そういう性質をもったものがあるということを知り、適切に使用することが大事だと知らされた。というよりも、市販薬の方が危険なのだ。医師が処方する薬は量が制限されるが、市販薬はいくらでも買えるのだから。

初めてのスマホ

昨年の11月に初めてスマホを持った。それまでは持たぬ主義だったが、仕事で持たざるを得なくなり、それならばプライベートもスマホにするかと気持ちが変わった。
使ってみるとこれほど便利なものはない。確かに、皆が言うように、電話に限ればガラ携が便利だが、他の機能が満載で、今は重宝している。
フェイスブックをやっているが、これまでは家のパソコンで見ていたので、タイムリーな反応ができなかったが、出かけた先での写真や動画を即時に投稿できるのでニュース性が高まる。友達の投稿にもすぐに「いいね」できる。
新たに使い始めたアプリがいくつかある。
1 ツイッター 
始めたばかりなのでフォローしている人は十人余りだ。何人か例をあげると、「玉城デニー」「雨宮処凛」「田村淳」「立川志らく」。質の優劣はともかくも、報道機関を通さない情報が入ってきて面白い。
2 ライン
家族との会話には便利だ。気の利いたスタンプを返すのも面白い。災害など、困ったときの連絡には威力を発揮しそうだ。
3 カレンダー(ライフベア)
スケジュール管理に便利だ。前日に明日の予定を知らせてくれる。仕事の予定も入れておけば、家でも確認できる。
4 Qメモ
記憶力が減退しているので、覚えておきたい情報はメモする。
5 Amazon Kindle
外出先で本が読める。ただし、基本は印刷物の本。
6 テレビ
外出先でテレビが見れる。スポーツ中継など。
7 ライブラリー
新聞や雑誌の注目すべき記事を写真に撮っておき、後で見返す。
最後に、歩きながらスマホをいじることはしていない。やめましょう。
 

2017年10月29日 (日)

辻井伸行 ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第2番

 音楽は文化である。世の中には、差別もあれば、ハンデを負った人への慈しみや同情もある。だから、そういう要素を抜きにして文化である音楽を語ることはできない。
 
 私が辻井伸行を聴き始めたのは、ほんの4、5年前だが、彼が全盲であるという情報がしっかりインプットされた状態で聴くことになった。最初は私の頭はその情報に圧倒的に支配されて聴いており、彼の演奏はほとんど聴こえていなかったのである。しかし、聴き続けるうちに全盲の情報は少しずつ薄らぎ、演奏を楽しめるようになってきた。とはいえ、やはり全盲の演奏家辻井伸行という認識がなくなるわけではない。
 
 わたしはその認識を完全に排除して、演奏そのものを、音そのものを聴こうとしていた。しかし、それは無理な話で、間違ってさえいる。音楽自体が、人間の生活や感情の表現であるから、「純粋」音楽などというものはないのである。
 
 辻井伸行が全盲だからという理由で感動する人もいれば、そこからより自由になって演奏を楽しんでいるひともいるだろう。それでいいのである。そこに何ら間違いはない。演奏する人たちに多様性があり、聴く人にも多様性がある。
 
 あれこれ言っても、辻井伸行が高く評価されていることに疑問の余地はない。
 

2017年4月 2日 (日)

凡夫の自覚

 人間、みな、ちょぼちょぼだ。こういう思想が私にはある。
 
 努力している人間は、いちおう評価はするけれども、その努力の目標が他の人の利益を損なうようなものでは感心できない。名をあげ、財を成したとしても、もともとはその人の欲求に発することである。成功して自分が偉いと思い、鼻高々に振舞っては普通の人以下である。謙虚に振舞っていればまだ敬意を示すこともできる。
 自分は、そもそもが平凡な人間であること。多くの煩悩をかかえた人間であることを覚る必要がある。それで、世の中の問題が解決されるわけではない。しかし、自己主張を抑えて、相手の言うことを聴いてみようと思うことは、民主的な解決への糸口にはなるだろう。
 少なくとも、個人の問題としてとらえた場合、救済の根拠にはなるように思う。

2017年4月 1日 (土)

巡りあわせが運んでくる運もあれば、努力が引き寄せる運もある

 運には二つの種類がある。「巡りあわせが運んでくる運」と「努力が引き寄せる運」である。

 たとえば会社で与えられるポストなどは巡りあわせによることが多い。私が課長から部長に上がったのは、先の部長が病気で戦線離脱し、席が空いたからである。それをきっかけにして短期間に役員にまで駆け上がった。

 一方で努力が引き寄せる運もある。分かりやすい例として高校入試の経験を書こう。私は全国屈指の難関高校を受験しようと決意した。中学時代の成績は中の上ぐらいでとても合格できる水準ではない。中学3年になってから少しやる気が出てきて、少しずつ成績が上がりだした。そして受験3か月前になると絶対に合格すると決意し、早朝5時まで必死の形相で勉強し続けた。さすがにそこまでやると成績はうなぎ登りだ。

 それでも到底合格できるレベルではない。それでも試験日は充実していた。一発やってやろうかという気持ちである。しかし、解けない問題が多い。そもそも覚えていないことも多い。このままでは合格は無理だろう。そこで落ち着くためにトイレに行った。そして戻り、いなおって、じっくり考えていたら不思議なことに解けてくる。選択問題は勘の勝負だ。

 選択問題は、終わってから確かめてみるとほとんどが当たっていた。これはどう考えても実力ではない。運なのである。しかし、運ではあるが、あれだけ勉強したから付いてきた運であろう。

 

 とはいえ、運などに頼るものではない。人生は、自業自得である。

2017年2月26日 (日)

「ほめる」「叱る」の二者択一か?

 人を成長させるには「ほめる」のが有効か、「叱る」のが有効かという議論が今なお続いているようで、それに関する出版物も多い。
 私が疑問に思うのは、なぜその二者択一の議論になってしまうのか、ということである。そうした方が「議論」として分かりやすいということがあるし、経験的にも目に見えやすいということもあるのだろう。
 しかし、現実はそんな単純なものではないだろう。他にもいろいろな見方がある。私は、「励ます」という方法を取り上げたい。相手の立場に寄り添って、押し上げるという感覚である。
 「ほめる」も「叱る」も上から目線ではないだろうか。
 

2016年12月25日 (日)

今年観た映画を振り返ると

①家族はつらいよ...
②ロクヨン前編
③ロクヨン後編
④或る終焉
⑤シン・ゴジラ
⑥栄光のランナー
⑦後妻業の女
⑧★生きる
⑨怒り
⑩白い帽子の女
⑪エル・クラン
⑫★七人の侍
⑬淵に立つ
⑭湯を沸かすほどの熱い愛
⑮人間の値打ち
⑯聖の青春
⑰誰のせいでもない
⑱★砂の器
⑲この世界の片隅に
⑳幸せなひとりぼっち
㉑ミス・シェパードをお手本に

以上ですが、★旧作を除いて自分なりにいいと思った3本を挙げますと、④ある終焉、⑬淵に立つ、⑳幸せなひとりぼっち、です。はっきりした基準があるわけじゃありませんが。おまけにもう一本、⑪エル・クラン。こういうことがあったということがすごく恐ろしい。

2016年12月23日 (金)

ボディビルはスポーツではない

 私がボディビルらしきものを始めたのは高校生の時だった。祖母にダンベルを買ってもらい、我流でトレーニングしていた。月刊ボディビルディング誌を購読し、特に須藤孝三さんに注目していた。
 それからずいぶん間をおいて、37歳からボディビルジムに通いだした。約5年間続いた。週に1、2回だったけれども、それなりに効果があって、大胸筋や上腕二頭筋などの発達が目立ってきた。42歳でジムに行かなくなってからは、家で断続的に、すなわちやったりやらなかったりであるが、軽いダンベルで運動をしている。その結果、やっていない人に比べれば、明らかに筋量が豊富で、「脱げば」それと分かる。
 
 そういうわけで、ボディビルには興味を持っている。趣味の一つに挙げてもいいだろう。観る方では、ミスターオリンピアなど世界のトップレベルのビルダーには関心があり、特に好きなビルダーとしては、アーノルド・シュワルツェネッガー、サージ・ヌブレ、フランク・ゼーンの名前を挙げたい。それぞれよく均整がとれており、美しいと思える。気品を感じるほどである。一方日本では、末光健一と須藤孝三の二人が私のなかで抜きんでており、ずいぶん昔の人なのであるが、この二人を凌駕する人が出てこない。末光健一の圧倒的な迫力、須藤孝三の理想的なバランスおよび筋密度の高さは素晴らしい。
 
 これは私の好みによるものだが、知る限り日本人のファンの多くが同じような評価をしているので、日本人の好みだという言い方もできるのではなかと思う。
 ところで、ボディビルにもコンテストがある。審査の基準は、筋肉の量、バランス、カット(脂肪が抜けて凹凸感がある)、全体のプロポーション等であると思われる。(実際の採点表を見たことはない。)また、ポージングの巧拙が審査に影響することもよく言われている。
 
 ボディビルのコンテストは記録を争うものではない。ウエイトリフティングやパワーリフティングとは違う。美、すなわち肉体美、筋肉美を争うものである。と、私は思う。フィギュアースケートや新体操も美を競うが、基本には技がある。ボディビルにも肉体を鍛え上げる過程で使われる技があるが、コンテストは鍛えた結果の披露である。
 
 こういう点を考えると、ボディビルは、スポーツと呼んでいるものとは異質のようである。あえて言えば、筋肉を使ったアートなのではないかと思うのである。したがって、評価に個人的な好みも生じるし、時代による評価の変化も生まれるのである。

2016年9月22日 (木)

「民度」という言葉、そしてそれを使う人

 「民度」という言葉をたまに耳にする。

 
 1 間違った使い方
  この言葉は、一定の数をもった集団に対して使うものである。しかしながら、「民度が低い人」というふうに、個人にむかって使っている場合がある。これは間違いである。例えば、「大阪市民の民度」という使い方が正しい。

 
 2.使う人の傾向
  これは私の見解であるが、この言葉を使う人は、概して「大衆蔑視」の傾向がある。石原慎太郎がそのよい例であろう。表現として、必ず「民度が低い」という言い方になる。


 

2016年9月19日 (月)

パラリンピックのメダル数

 リオパラリンピックも終わろうとしている。日本選手もよく頑張っている。称賛したい。
 ところで、国別にメダルが集計されていて、これは現在の数字だが、中国が金メダル107個、メダル総数では239個と他を圧倒している。これに対し、日本は金がなく、総数で24個である。
 オリンピックは国別対抗戦ではなく、あくまで個人の競技であり、金メダルをとった選手は称賛されても、国家が褒められるわけではない。日本は金がなかったことを悲観すべきではない。金が欲しかった選手、メダルが欲しかった選手たちは残念であったろうが、お疲れさまと声をかけたいし、再チャレンジする選手には捲土重来を期待したい。
 そういうわけで、スポーツと国家、スポーツと国民との関係を考えさせられたのであった。もっと深い考察は次にしたい。
 

2016年9月18日 (日)

ボディビルダーの体力測定企画

 YouTubeでボディビルダーのポージングを検索していたら、ボディビルダーの体力、身体能力を測定しようというテレビ番組が目に触れたので見てみた。
 
 内容は男性ボディビルダー3名(うち1名はお笑いタレント)女性ボディビルダー1名に、握力測定、背筋力測定、反復横飛び、走り幅跳びをやらせて一般人の平均値と比較しようというものである。
 結果はやる前からおおよそ予想ができた。それは、これまでに似たような企画を見た記憶がかすかにあったし、ビルダーの体の特性から予測できる部分があったからである。握力は一般人を大幅に上回るであろうし、背筋力はそれ以上に上回るであろう。前腕は一般人も普段の生活の中でかなりの程度使う部位であるから、あまり使わない背筋よりも差が出にくいのは道理である。実際、背筋力の測定結果は目を見張るものであった。
 一方で反復横飛びと幅跳びは一般人とさほど変わらないと思われた。ボディビルではそのような動作は行わないことが一つの理由であるし、脚力がある反面体重が重たくなっているので効果は減殺されてしまうからである。結果はほぼそれに近い内容になった。
 もう少し考えてみると、ボディビルを始める人は一般人のカテゴリーに入る人かどうかという問題もある。アスリートがボディビルに転身した場合であれば、おそらく反復横飛びと幅跳びでもよい記録が出るのではないか。しかし、実際は一般人もしくは競技経験の浅い人の割合が多いように思うのである。
 ハンマー投げの世界チャンピオン室伏は、筋骨隆々であり、ボディビルダー顔負けの肉体を誇っていたが、立ち幅跳びでは驚異的な記録を出すと聞いたことがある。彼がボディビルをやってみたら日本でも有数の選手になるのは間違いない。
 ボディビルという競技は、ある意味誰にでもできる競技であり、努力次第で一定のレベルに達するものである。私は、その人の熱意とストイックな精神を測る競技であると思う。
 ボディビルダーの幅跳びの記録が振るわなかとしても、それを笑ってみるのはそうやって熱心にトレーニングを積む者のを愚弄する行為ではないかと考える。
 

2016年9月 4日 (日)

青年の主張 あれはある種の暴力であった

 かつて、成人の日にNHKで青年の主張全国コンクールが放送されていた。これは、新成人にテーマを与え、それについて弁論、主張を行い、順位をつけようとするものであった。
 私が主に聴いたのは、中高生の時代であったように思う。当時はテレビは家族で見るものであり、この番組もそうであり、特に父親が好んで見ていたように思う。
 私の記憶にある主張は二つ。とはいっても、ごく一部の断片であるが。一つは養護施設で働く職員の話、もう一つは酪農を営む青年の話であった。詳しくは覚えていないが、いろいろな困難を抱えながらも、この仕事に誇りをもって打ち込んでいきたいというのが結論だったように思う。
 そういう主張を聴いていた私は、大層重苦しい気分になった。当時思春期にあった私は、心の中に迷いや苦しみがあって、決して楽しい時期ではなかった。そういう気分の時に、ある意味「立派な」主張を聴くと、それと比較して、自分はいかにダメな人間かを感じてしまうのだった。
 今振り返れば、主張した彼らのその後は、それを聴いていた方の若者と特別変わったものになっていないであろうと想像される。「立派な」人間は、それほど多くいるわけではない。彼らも並みの人間であったのだろう。
 一部に彼らやこの番組を揶揄して評論する人たちもいたが、私はそこまでの思いはない。若者に主張の機会を与えることはいいことだ。しかし、予選を通過して全国放送される内容は少し多様性に欠けるもので、それは主催する側の「期待」が色濃く反映したものであったろう。
 自分がどう生きるかという葛藤は、人にさらけ出すものではない。社会的な問題に対して主張し、議論を戦わせることは結構なことだ。それは確かに不足している。
 繰り返すが、立派な人はそんなにいるものではない。心配しなくてよい。

2016年8月28日 (日)

後妻業の女

「後妻業の女」を観てきましたがね、まあ品のない映画ですわね。エロあり、暴力ありで、大阪のおばちゃんの図々しさやだらしなさが誇張されていて、観ていてしんどかったなあ。大竹しのぶは上手いから監督のイメージ通り演じ切っていたのではないかと思う。

何年か前に、実際に4、5人殺した後妻の女がいました。全然色気もないのに騙されるのだから男もよほど阿保なんだと思いましたが、それなりに巧妙な手口があるんでしょうね。

私など財産がないから狙われることはない。安心です。しかし、保険金をかけられたら金にすることはできる。とにかく金が一番怖いんです。

この映画、騙されないようにね、という警鐘にはなっているでしょう。とはいえ、騙されていると分かっていても満足な場合もあるとか・・・。

*遺言状の作り方は勉強しておくほうがよさそうです。

 

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2016年8月21日 (日)

リオオリンピック メダリストベスト5 私の勝手なランキング

まだ終わってはいませんが、私の勝手なメダリストベスト5

1位 金藤・金  競泳女子200m平泳ぎ 諦めずによく続けましたね

2位 吉田・銀  レスリング女子53kg 4個の金は彼女のおかげです

3位 陸上男子100m×4・銀  競争による個のレベルアップとチームワークによる

 バトンリレーのスキルアップ

 
4位 卓球男子団体・銀
  ランキングを上回る成績、チーム力と気力の勝利


5位 原沢・銀
 柔道男子100kg超級  あのリネールと互角の戦い


次点 タカマツペア・金
 バドミントンダブルス  見事な逆転劇。実力通りの結果ですが


次次点 三宅・銅
 重量挙げ  彼女の体はボロボロでした   

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