2017年4月 2日 (日)

凡夫の自覚

 人間、みな、ちょぼちょぼだ。こういう思想が私にはある。
 
 努力している人間は、いちおう評価はするけれども、その努力の目標が他の人の利益を損なうようなものでは感心できない。名をあげ、財を成したとしても、もともとはその人の欲求に発することである。成功して自分が偉いと思い、鼻高々に振舞っては普通の人以下である。謙虚に振舞っていればまだ敬意を示すこともできる。
 自分は、そもそもが平凡な人間であること。多くの煩悩をかかえた人間であることを覚る必要がある。それで、世の中の問題が解決されるわけではない。しかし、自己主張を抑えて、相手の言うことを聴いてみようと思うことは、民主的な解決への糸口にはなるだろう。
 少なくとも、個人の問題としてとらえた場合、救済の根拠にはなるように思う。

2017年4月 1日 (土)

巡りあわせが運んでくる運もあれば、努力が引き寄せる運もある

 運には二つの種類がある。「巡りあわせが運んでくる運」と「努力が引き寄せる運」である。

 たとえば会社で与えられるポストなどは巡りあわせによることが多い。私が課長から部長に上がったのは、先の部長が病気で戦線離脱し、席が空いたからである。それをきっかけにして短期間に役員にまで駆け上がった。

 一方で努力が引き寄せる運もある。分かりやすい例として高校入試の経験を書こう。私は全国屈指の難関高校を受験しようと決意した。中学時代の成績は中の上ぐらいでとても合格できる水準ではない。中学3年になってから少しやる気が出てきて、少しずつ成績が上がりだした。そして受験3か月前になると絶対に合格すると決意し、早朝5時まで必死の形相で勉強し続けた。さすがにそこまでやると成績はうなぎ登りだ。

 それでも到底合格できるレベルではない。それでも試験日は充実していた。一発やってやろうかという気持ちである。しかし、解けない問題が多い。そもそも覚えていないことも多い。このままでは合格は無理だろう。そこで落ち着くためにトイレに行った。そして戻り、いなおって、じっくり考えていたら不思議なことに解けてくる。選択問題は勘の勝負だ。

 選択問題は、終わってから確かめてみるとほとんどが当たっていた。これはどう考えても実力ではない。運なのである。しかし、運ではあるが、あれだけ勉強したから付いてきた運であろう。

 

 とはいえ、運などに頼るものではない。人生は、自業自得である。

2017年2月26日 (日)

「ほめる」「叱る」の二者択一か?

 人を成長させるには「ほめる」のが有効か、「叱る」のが有効かという議論が今なお続いているようで、それに関する出版物も多い。
 私が疑問に思うのは、なぜその二者択一の議論になってしまうのか、ということである。そうした方が「議論」として分かりやすいということがあるし、経験的にも目に見えやすいということもあるのだろう。
 しかし、現実はそんな単純なものではないだろう。他にもいろいろな見方がある。私は、「励ます」という方法を取り上げたい。相手の立場に寄り添って、押し上げるという感覚である。
 「ほめる」も「叱る」も上から目線ではないだろうか。
 

2016年12月25日 (日)

今年観た映画を振り返ると

①家族はつらいよ...
②ロクヨン前編
③ロクヨン後編
④或る終焉
⑤シン・ゴジラ
⑥栄光のランナー
⑦後妻業の女
⑧★生きる
⑨怒り
⑩白い帽子の女
⑪エル・クラン
⑫★七人の侍
⑬淵に立つ
⑭湯を沸かすほどの熱い愛
⑮人間の値打ち
⑯聖の青春
⑰誰のせいでもない
⑱★砂の器
⑲この世界の片隅に
⑳幸せなひとりぼっち
㉑ミス・シェパードをお手本に

以上ですが、★旧作を除いて自分なりにいいと思った3本を挙げますと、④ある終焉、⑬淵に立つ、⑳幸せなひとりぼっち、です。はっきりした基準があるわけじゃありませんが。おまけにもう一本、⑪エル・クラン。こういうことがあったということがすごく恐ろしい。

2016年12月23日 (金)

ボディビルはスポーツではない

 私がボディビルらしきものを始めたのは高校生の時だった。祖母にダンベルを買ってもらい、我流でトレーニングしていた。月刊ボディビルディング誌を購読し、特に須藤孝三さんに注目していた。
 それからずいぶん間をおいて、37歳からボディビルジムに通いだした。約5年間続いた。週に1、2回だったけれども、それなりに効果があって、大胸筋や上腕二頭筋などの発達が目立ってきた。42歳でジムに行かなくなってからは、家で断続的に、すなわちやったりやらなかったりであるが、軽いダンベルで運動をしている。その結果、やっていない人に比べれば、明らかに筋量が豊富で、「脱げば」それと分かる。
 
 そういうわけで、ボディビルには興味を持っている。趣味の一つに挙げてもいいだろう。観る方では、ミスターオリンピアなど世界のトップレベルのビルダーには関心があり、特に好きなビルダーとしては、アーノルド・シュワルツェネッガー、サージ・ヌブレ、フランク・ゼーンの名前を挙げたい。それぞれよく均整がとれており、美しいと思える。気品を感じるほどである。一方日本では、末光健一と須藤孝三の二人が私のなかで抜きんでており、ずいぶん昔の人なのであるが、この二人を凌駕する人が出てこない。末光健一の圧倒的な迫力、須藤孝三の理想的なバランスおよび筋密度の高さは素晴らしい。
 
 これは私の好みによるものだが、知る限り日本人のファンの多くが同じような評価をしているので、日本人の好みだという言い方もできるのではなかと思う。
 ところで、ボディビルにもコンテストがある。審査の基準は、筋肉の量、バランス、カット(脂肪が抜けて凹凸感がある)、全体のプロポーション等であると思われる。(実際の採点表を見たことはない。)また、ポージングの巧拙が審査に影響することもよく言われている。
 
 ボディビルのコンテストは記録を争うものではない。ウエイトリフティングやパワーリフティングとは違う。美、すなわち肉体美、筋肉美を争うものである。と、私は思う。フィギュアースケートや新体操も美を競うが、基本には技がある。ボディビルにも肉体を鍛え上げる過程で使われる技があるが、コンテストは鍛えた結果の披露である。
 
 こういう点を考えると、ボディビルは、スポーツと呼んでいるものとは異質のようである。あえて言えば、筋肉を使ったアートなのではないかと思うのである。したがって、評価に個人的な好みも生じるし、時代による評価の変化も生まれるのである。

2016年9月22日 (木)

「民度」という言葉、そしてそれを使う人

 「民度」という言葉をたまに耳にする。

 
 1 間違った使い方
  この言葉は、一定の数をもった集団に対して使うものである。しかしながら、「民度が低い人」というふうに、個人にむかって使っている場合がある。これは間違いである。例えば、「大阪市民の民度」という使い方が正しい。

 
 2.使う人の傾向
  これは私の見解であるが、この言葉を使う人は、概して「大衆蔑視」の傾向がある。石原慎太郎がそのよい例であろう。表現として、必ず「民度が低い」という言い方になる。


 

2016年9月19日 (月)

パラリンピックのメダル数

 リオパラリンピックも終わろうとしている。日本選手もよく頑張っている。称賛したい。
 ところで、国別にメダルが集計されていて、これは現在の数字だが、中国が金メダル107個、メダル総数では239個と他を圧倒している。これに対し、日本は金がなく、総数で24個である。
 オリンピックは国別対抗戦ではなく、あくまで個人の競技であり、金メダルをとった選手は称賛されても、国家が褒められるわけではない。日本は金がなかったことを悲観すべきではない。金が欲しかった選手、メダルが欲しかった選手たちは残念であったろうが、お疲れさまと声をかけたいし、再チャレンジする選手には捲土重来を期待したい。
 そういうわけで、スポーツと国家、スポーツと国民との関係を考えさせられたのであった。もっと深い考察は次にしたい。
 

2016年9月18日 (日)

ボディビルダーの体力測定企画

 YouTubeでボディビルダーのポージングを検索していたら、ボディビルダーの体力、身体能力を測定しようというテレビ番組が目に触れたので見てみた。
 
 内容は男性ボディビルダー3名(うち1名はお笑いタレント)女性ボディビルダー1名に、握力測定、背筋力測定、反復横飛び、走り幅跳びをやらせて一般人の平均値と比較しようというものである。
 結果はやる前からおおよそ予想ができた。それは、これまでに似たような企画を見た記憶がかすかにあったし、ビルダーの体の特性から予測できる部分があったからである。握力は一般人を大幅に上回るであろうし、背筋力はそれ以上に上回るであろう。前腕は一般人も普段の生活の中でかなりの程度使う部位であるから、あまり使わない背筋よりも差が出にくいのは道理である。実際、背筋力の測定結果は目を見張るものであった。
 一方で反復横飛びと幅跳びは一般人とさほど変わらないと思われた。ボディビルではそのような動作は行わないことが一つの理由であるし、脚力がある反面体重が重たくなっているので効果は減殺されてしまうからである。結果はほぼそれに近い内容になった。
 もう少し考えてみると、ボディビルを始める人は一般人のカテゴリーに入る人かどうかという問題もある。アスリートがボディビルに転身した場合であれば、おそらく反復横飛びと幅跳びでもよい記録が出るのではないか。しかし、実際は一般人もしくは競技経験の浅い人の割合が多いように思うのである。
 ハンマー投げの世界チャンピオン室伏は、筋骨隆々であり、ボディビルダー顔負けの肉体を誇っていたが、立ち幅跳びでは驚異的な記録を出すと聞いたことがある。彼がボディビルをやってみたら日本でも有数の選手になるのは間違いない。
 ボディビルという競技は、ある意味誰にでもできる競技であり、努力次第で一定のレベルに達するものである。私は、その人の熱意とストイックな精神を測る競技であると思う。
 ボディビルダーの幅跳びの記録が振るわなかとしても、それを笑ってみるのはそうやって熱心にトレーニングを積む者のを愚弄する行為ではないかと考える。
 

2016年9月 4日 (日)

青年の主張 あれはある種の暴力であった

 かつて、成人の日にNHKで青年の主張全国コンクールが放送されていた。これは、新成人にテーマを与え、それについて弁論、主張を行い、順位をつけようとするものであった。
 私が主に聴いたのは、中高生の時代であったように思う。当時はテレビは家族で見るものであり、この番組もそうであり、特に父親が好んで見ていたように思う。
 私の記憶にある主張は二つ。とはいっても、ごく一部の断片であるが。一つは養護施設で働く職員の話、もう一つは酪農を営む青年の話であった。詳しくは覚えていないが、いろいろな困難を抱えながらも、この仕事に誇りをもって打ち込んでいきたいというのが結論だったように思う。
 そういう主張を聴いていた私は、大層重苦しい気分になった。当時思春期にあった私は、心の中に迷いや苦しみがあって、決して楽しい時期ではなかった。そういう気分の時に、ある意味「立派な」主張を聴くと、それと比較して、自分はいかにダメな人間かを感じてしまうのだった。
 今振り返れば、主張した彼らのその後は、それを聴いていた方の若者と特別変わったものになっていないであろうと想像される。「立派な」人間は、それほど多くいるわけではない。彼らも並みの人間であったのだろう。
 一部に彼らやこの番組を揶揄して評論する人たちもいたが、私はそこまでの思いはない。若者に主張の機会を与えることはいいことだ。しかし、予選を通過して全国放送される内容は少し多様性に欠けるもので、それは主催する側の「期待」が色濃く反映したものであったろう。
 自分がどう生きるかという葛藤は、人にさらけ出すものではない。社会的な問題に対して主張し、議論を戦わせることは結構なことだ。それは確かに不足している。
 繰り返すが、立派な人はそんなにいるものではない。心配しなくてよい。

2016年8月28日 (日)

後妻業の女

「後妻業の女」を観てきましたがね、まあ品のない映画ですわね。エロあり、暴力ありで、大阪のおばちゃんの図々しさやだらしなさが誇張されていて、観ていてしんどかったなあ。大竹しのぶは上手いから監督のイメージ通り演じ切っていたのではないかと思う。

何年か前に、実際に4、5人殺した後妻の女がいました。全然色気もないのに騙されるのだから男もよほど阿保なんだと思いましたが、それなりに巧妙な手口があるんでしょうね。

私など財産がないから狙われることはない。安心です。しかし、保険金をかけられたら金にすることはできる。とにかく金が一番怖いんです。

この映画、騙されないようにね、という警鐘にはなっているでしょう。とはいえ、騙されていると分かっていても満足な場合もあるとか・・・。

*遺言状の作り方は勉強しておくほうがよさそうです。

 

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2016年8月21日 (日)

リオオリンピック メダリストベスト5 私の勝手なランキング

まだ終わってはいませんが、私の勝手なメダリストベスト5

1位 金藤・金  競泳女子200m平泳ぎ 諦めずによく続けましたね

2位 吉田・銀  レスリング女子53kg 4個の金は彼女のおかげです

3位 陸上男子100m×4・銀  競争による個のレベルアップとチームワークによる

 バトンリレーのスキルアップ

 
4位 卓球男子団体・銀
  ランキングを上回る成績、チーム力と気力の勝利


5位 原沢・銀
 柔道男子100kg超級  あのリネールと互角の戦い


次点 タカマツペア・金
 バドミントンダブルス  見事な逆転劇。実力通りの結果ですが


次次点 三宅・銅
 重量挙げ  彼女の体はボロボロでした   

2016年8月20日 (土)

コンビニ人間

 「コンビニ人間」を読んだ。マニュアル化されたコンビニ内の仕事。そこに自分の居場所を感じる主人公。とはいえ、誰もができる仕事ではない。顧客に、欲しいものを余計な手間をかけずに買い物をさせて気持ち良く帰らせるのが仕事である。そういう仕事に適性のない人間もいる。
 
 コンビニ店員の大半はアルバイトである。それを、正社員になれず30代半ばまで来てしまった男性が負け組だと軽蔑する。自分自身がそういう体制で落ちこぼれたにもかかわらず、落ちこぼれた人への共感はない。そういうことって結構ありそうだ。
 
 主人公は負け組とか落ちこぼれだという意識はない。コンビニが心地よいのである。「部品」となっていることへの心地よさである。しかし、多くの顧客に必要とされる店であり、仕事なのである。仕事が機械的になってもやはり血の通った人間なのである。
...
 そういう人間が蔑視され(30代半ばになる女性が結婚もせず、コンビニのバイトだけを十数年も続けていることがまともでないと世間から見られる)、決してよいとはいえない待遇にあるということをどう見るのか。
 
 必要とされる仕事はみな尊いのだと思う。私はこの小説の意図とは違うのかもしれないが、そう読み取ったのである。

100m×4リレー 驚異の進化

 リオオリンピック陸上競技男子100m×4リレーで日本チームが2着となり、銀メダルを獲得した。予選で2番目の記録を出していたが、他国がメンバーチェンジをしてくることから、メダルが取れるかどうかが焦点だった。
 結果は37秒60という、予選で作ったアジア記録(当然日本記録)をさらに上回る好記録で2着となり、予想以上の銀メダルを獲得した。1着はアンカーのボルトの力でジャマイカ。3着はアメリカだったが失格し、カナダとなった。日本とアメリカ、カナダとは僅差だった。
 私が驚かされたのはタイムである。これまで日本チームは38秒を切ることができなかった。ほとんどの大会で38秒台半ばの記録であった。したがって、走者一人当たりコンマ2秒縮めていることになる。それだけ個の力が上がってきたといえるし、バトンリレーのスキルアップも加わっている。アメリカ、カナダとの差は小さかったので両チームの走り次第では4着もありえたが、メダルの取れる確率はずいぶん上がっていたのだと、終わってみて改めて感じるのである。
 チームワークの勝利だったと言えるが、私としては桐生選手が特によい走りをしたと思っている。100mは不本意であったが、それを忘れてチームの勝利のために「がむしゃら」に走ったそうである。この先数年を考えると、桐生とケンブリッジの時代になるだろう。9秒台は必ず出る。競い合って、東京での銀以上の基礎を作ってほしい。
 
 

不運を引き受けた吉田沙保里 君悲しみたまふことなかれ

 リオオリンピック女子レスリング競技において金メダル4個を獲得するという大活躍を見せた。特に初日は奇跡的な逆転劇もあり、3選手がすべて金という予想を上回る結果であった。
 私はレスリング競技に特に詳しいわけではないが、女子については世界のトップに君臨しており、マスコミでの露出も多く、情報が入ってくる。私の戦前の予想では、伊調選手と吉田選手の金はかなり厳しいのではないかと考えていた。この過酷な競技において加齢にともなう体力低下の影響は大きいであろうし、年々攻め方も研究されているだろうから、最後まで勝ち続ける可能性は前回よりも大きく低下していると考えていた。
 伊調選手は逆転で金をつかんだ。もちろん、地力があっての勝利ではあるが、薄氷を踏んだ。これは日本選手の初日のよい「流れ」、「運の流れ」がもたらしたものだと思う。しかし、流れはいつまでも続くものではない。幸運の総量には限りがある。
 不運を引き受けたのは吉田沙保里選手だった。決勝戦での点数の差はわずかだったから、展開によっては金もありえたかもしれないが、もはや流れは残っていなかった。吉田選手はチームの、あるいはそこを超えて日本選手団のリーダー的役割を担い、その部分にも気を使わざるをえなかった。いろいろなことがマイナスの要因になったに違いない。しかし、その分、他の選手の結果になって現れたに違いない。私はそう解釈する。
 吉田選手は、悔しいだろうが、一戦の勝ち負けやメダルの色にこだわらず、自分の役割とこれまでのレスリング人生を誇ればいいのだと思う。観ていた人々は、だれも失望などせず、奮闘を称賛するに違いないのだ。
 米国の新聞は、この一戦の結果を、今大会最大の番狂わせだと報じた。世界が認めるレスリングの女王であった。

2016年8月17日 (水)

熊野に進歩的伝統は生きているのか

 私が生まれた町の出身者に崎久保誓一という人がいる。かの大逆事件に連座して死刑もしくは無期懲役に処せられた「新宮グループ」の一人である。崎久保氏は刑期途中で仮釈放され、1955年まで生きた。氏は、紀南新報や牟婁新報などに記事を書いていたジャーナリストだった。彼ら6名の罪は冤罪であったが、社会主義者であったり自由思想の持ち主であったりで、かの地域には進歩的な気風があったと思われる。ところが最近は、新宮市議会が2001年に6名の名誉回復決議を行ったという動きがあるものの、進歩的伝統がかの地域に広く受け継がれているとは思えない。
 
 私の同郷の友人1名が郷土史に興味があり、崎久保誓一氏についても彼から教わったのだが、それもごく最近の話であって、それまで町の人たちからも、あるいは学校の授業でも一度も聞いたことがなかった。それはただ忘却されていたのか、地域の「恥」として無視され続けていたのか分からない。
 
 ところで、なぜこの件に触れたかというと、恒例で夏休みに実家に帰った時に、母が購読している(実際はほとんど読んでいないと思うが)吉野熊野新聞というローカル紙を読んで、その内容を嘆かわしく思ったからである。記事の中身のほとんどが、当地域の出来事であるのは当然で、それが面白くないと思ったのではなく、わずかにある時評的な記事の内容があまりに稚拙だからである。ここにその全文を打ち込めば分かっていただけると思うが、それも大変骨が折れるのでやめておく。進歩的だとか保守的だとかいう以前に主張が支離滅裂である。どうも、人間は叱られたり罰せられたりしてまともになっていくものなのに、最近はそういう教育がなされないので、リンチ殺人が起こったり、会社をすぐに辞めてしまったりするのだ、ということを言いたそうなのである。それはそれで根拠を示したうえで論理的に書いてもらえれば一考に値する主張になるかもしれないが、そうでは全くない。思いついたこと、どこかで聞きかじったようなことを、ただ書き並べているだけである。 

 そもそもそういうものに期待をしてはいけないのかもしれない。優秀な人間の大半は都会に出て行ってしまう。残って地域を盛り上げようという固い志の人もいるとは思えない。くにを捨てた私がこんなことを書いていること自体、大変失礼なことかもしれないのだが。
 

 わが故郷が経済成長から取り残されたのは、地理的な不利さが最も大きな要因であると思うが、次に重要なものは「人」の問題であった。経済の衰退が人を流出させた面は否めないが、人がその流れを止められなかった側面も大いにあると思う。

 郷土史に興味を持つ友人が言った。大逆事件がなければ、この地はもっと発展していたかもしれない。ずっと冷や飯を食わされてきたのであると。

2016年8月 6日 (土)

都知事選につぶやく

 小池百合子の勝負勘はすごいね。
 細川もりのぶが、「絶妙のタイミング」と言ったね。
 あそこでほぼ決まりだったよ。
 自民は誰を立てても最早手遅れだった。
 「野党4党」は参院選の流れから共闘を維持することが最優先だった。
 準備不足がたたったし、候補者もベストではなかったね。
 鳥越さんは、女性問題は置いておくにしても、年齢面・体力面で不安が隠せなかったし、主張に切れ味がなかった。
 蓮舫が出ていればどうだったか。
 一番に出馬表明していたら間違いなく勝っていただろうね。
 そういう意味じゃ、小池に勝機を与えたのは蓮舫だった。
 蓮舫は国政に活躍の場を求めた。
 目標は首相になることだね。
 そうに違いない。
 小池、蓮舫のしたたかさは大したものだよ。

2016年7月24日 (日)

寄席を楽しむ 浅草、上野

 東京へ。浅草演芸ホールの夜席と上野鈴本の昼席を楽しみました。小屋によって、雰囲気が違いますね。浅草は小屋が古い。浅草観光のついでといった団体客がいて途中で帰ったりします。飲んだり食べたりしている人も多い。一方、鈴本はビルになっているのできれいだし、寄席を聴きに来ている感じがあって客は高座に集中してる。
    
 主な出演者は、浅草が、柳家喬太郎、三遊亭圓丈、柳家三三。鈴本が、柳家さん喬、三遊亭歌之介、古今亭菊太楼。面白いことに、師匠のさん喬と弟子の喬太郎が、同じ「そば清」をやった。どちらがいいとは言いがたいが、さん喬の方が細やかですね。三三は「蛙茶番」をやったが、とりといえども持ち時間が30分なのでせわしない。ゆったりやればもっと笑えるのだが。寄席でやる噺ではないね。

 写真は携帯電話で撮った不忍池です。

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2016年7月16日 (土)

都知事選挙候補者 増田寛也氏 その他について

 不勉強で詳しいことは知りませんでしたが、この人は原子力損害賠償(廃炉等)支援機構の運営委員だったんですね。そこから東電ホールディングスの社外取締役になっている。
 
 原子力侵害賠償支援機構は政府50%民間50%の出資で成り立っています。東電ホールディングスの筆頭株主で、自己株を除く出資比率は54.74%です。機構の収入の多くは政府からの交付によるものですが、東電以外の電力会社も毎年一般負担金を拠出しています。ちなみに2番目の関電で315億円ほど。
 
 この人は社外取締役として取締役会に30回中29回出席。指名委員会へは9回中9回出席しています。開催日は同じ日だと思いますが。一般の会社より回数が多いのは問題を抱えているから当然でしょう。報酬は社外6名で62百万円ですから、この人が多少多めでも千数百万円でしょう。出席回数を考慮すると、他社と比較して著しく高いとは言えません。
 
 東電はこの人を社外取締役に置くことによって何を期待したのでしょうか。建前としては、行政にかかわった幅広い経験ということのようです。(株主総会決議案による)しかし、具体的には事故後(まだ終わっていませんが)の損害賠償処理において行政とのつなぎを期待したのではないでしょうか。
 
 ところで、かなりイメージ的な選択になってしまいますが、私が都民だったらこの人には入れませんね。小池さんにも入れない。宇都宮さんが出ていれば最も信頼できる候補者になっていたと思います。それじゃ、マック氏に入れるはずもないから、鳥越氏となる。政策の立案と議会での立ち回りで心配な面があります。
 好き嫌いで言ってはいけませんが、ジャーナリストとして、筑紫哲也さん、鳥越俊太郎さんには強く惹かれたことはありませんでした。仮に当選したとすれば、野党4党と都民の支持者が必死になって支えなければ行き詰まる恐れがあると思います。

2016年7月13日 (水)

古寺の衰退を防ぐ

 古寺巡りが趣味の一つとなっていますが、それぞれのお寺によって様子の違いがあります。広い境内で建物も立派なお寺もあるし、こぢんまりしたお寺もあります。手入れが行き届いたお寺もあれば、やや荒れた感じのお寺もあります。拝観料、入山料は、まれに無料もしくは寄付形式のところもありますが、大半は有料で、額はさほど高くはありません。大半が5百円程度です。別途、宝物館の入場料を取るお寺もあります。それでも5百円ぐらいですね。

  しばしば感じるのは維持費がたいそうかかるだろうということです。特に傷んだ建物の修繕には半端でないお金がかかります。時々大規模改修とかいって数年がかりでやっていますが、大きなものになると億円単位でかかるでしょう。そのお金はどこから来るのか。行政からの補助は限りがありますから信者の寄付に頼るのでしょうか。そこで、大事になるのが、拝観料収入だったり、祈祷料、御朱印料、お守りなどの物品(というと失礼か)販売収入となります。 その前に、そもそも参拝者が集まらなければどうにもなりませんね。人が来ないところは自ずと衰退します。

 貴重な文化財がすたれていくのは残念です。だからそれぞれの工夫が必要になってきます。たとえば、西国三十三箇所に入っているお寺だとある程度人は来ます。加えて、植物を植えて花の名所にすると開花の時期に大そうな人出が期待できます。梅、ぼたん、さつき、紫陽花など。数百万円から多いところで数千万円はあるでしょう。それから、物品販売ですね。そこでしか買えない商品(?)の企画です。外部からの売り込みもあるのでしょうが、独自の企画が必要です。あまりビジネス的になってもよくありませんが、生き残るための知恵です。なかには、「幸福になる○○」とか銘打っているものがあり、詐欺まがいではないかと思われるものもありますが、高額ではないし、買う人が満足ならそれもよしでしょう。

  最後に、お寺ですから、職員の方々は礼儀正しく、優しいのが当たりまえだと思うのですが、たまにそうでない場合があります。こういうところはそのうち消滅するわ、と思ってしまうのですが、信心が足りないのでしょうか。

2016年7月11日 (月)

追悼 永六輔

 2011年6月19日のブログより
「下を向いて歩こう」
 坂本九の「上を向いて歩こう」は1961年に発売され、内外で大ヒットした。私が3歳の時である。したがって、物心ついた時にはすでに誰もが口ずさむほどに親しまれていたに違いない。私自身も子どものころからよく歌っていたように思う。どの程度かは分からないが、日本の国民に希望を与えたのではなかろうか。私はこの曲を日本の国歌にすればよいという考えを持っている。

 ところで、タイトルの「下を向いて歩こう」だが、これはうな垂れて生きようという意味ではない。組織や社会の底辺に視線を向けようという趣旨である。
 社会のレベルで言えば、職に就けない若者たちであり、障害等の理由で生活に困窮する人々であり、大地震で被災した人々も加えなければならない。組織で言えば、現場で働く労働者のことであろうし、上司から見れば部下の社員のことを表わすだろう。

 上を目指すのはよいが、上昇志向が強すぎると、自分から下へは視線を向けなくなる。上ばかり気にして生きていくことになるのである。けっきょく、下からの支持を失い、上昇もほどほどのところで止まってしまう。それはそれでその人のなした業であるから仕方がないのだが、そういう傾向があることを承知して事に当たりたい。

 これは処世訓というよりは、ポリシーの問題かもしれない。自分の利益を優先したら、自ずと下に目が行かなくなる。

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