2012年5月20日 (日)

お金があれば幸せか 幸福の条件について

 プレジデント誌の記事に年収と幸福度の関係について書いたものがあった。広告で見ただけなので、記事の中身は見ていないが、見出しに目を引くものがあった。

 その広告を見る範囲で推測するに、年収が多ければそれだけ幸福度が増すわけではないらしい。そもそもプレジデントなどという雑誌は、自分に投資してお金持ちになりましょうというのがコンセプトの雑誌だと思っているので、その割には面白い内容である。もっとも、経済状況がよくないので、年収が低くても仕事があるだけましなので文句を言わず働きましょうと言いたいがためのキャンペーンかもしれない。

 年収が400万円程度の人たちも十分に幸福感を持っている。この層の人たちには家族の団欒があり、身の丈にあった生活をしている。それで十分に幸福だと感じられるのである。
 一方で800万円の人は家計が厳しい。このクラスになると、子どもを私学に通わせるケースが多くなる。背伸びしてしまうので苦しくなるのだ。

 この対照が面白い。家計を苦しくするのは一に住宅ローン、二に教育費である。収入が一定の金額に至ると、借家から持ち家への欲求が生まれる。実は、住み家というものは機能が大事であって、そういう意味では借家も変わらない。都合が悪くなれば気軽に引っ越せる点が借家の利点である。持ち家の場合は売却が容易ではなく、減価する。
 教育費は私学に通わせることで一気に跳ね上がる。中高一貫ならなおさらだ。教育を施すことで子の代まで年収を確保しようとしているのである。子の人数によるが、稼いだお金はほとんどここに注がれて、生活を楽しむことには使われない。蓄えも難しい。意外に貧しいのである。
 所得の少ない家庭に育つと、贅沢を経験せず、金がなくても楽しく時を過ごす生き方が自ずと身に付くのかもしれない。そして社会への不満も少ない。

 所得の高い層の方が現在の教育制度に批判的であるらしい。それは高負担への恨みの表われであろうし、投資に対するリターンが必ずしも保障されないことへの不満でもあるだろう。

 以上は、数少ない断片的な情報からの推測である。根拠は薄いが、少なくとも収入に比例して幸福感が増すのではないようだ。稼げば稼ぐほど吸い上げられるシステムが我々を取り巻いている。

2012年5月19日 (土)

採用は難しい 人事担当の嘆き

 学生たちからの情報だと、今の段階でかなり内定が出ているらしいが、昨年と比べても厳しいという声も聞かれる。

 私の会社は、いつも書いているように小さな会社なので、採用予定人数が少ない。今年は技術系営業系ともに数名であった。会社説明会を経て、応募者は予想に近い人数が集まった。そして絞り込んでいって、最終の面接には、採用予定に若干プラスした人数を残した。ただし、本来はリスクを見てもう少しプラスしたかったのだが、期待する評価に届かなかったので敢えて加えることをしなかった。おそらく、このへんの判断は他社にも共通しているのではないか。あまり無理をしないというスタンスがある。

 さて、その続きだが、まず最終面接への辞退者が出た。先に内定が出た他社へ行くという。参考にどこに決まったのか教えてくれというと、名の知れた企業だった。ただし、業績の良い会社ではない。平均年収も当社よりはるかに低い会社だ。それでも本人が選んだことに注文を付けるわけにはいかない。欲しい人材だったが諦めざるとえない。

 最終面接後に内定を出した数は、予定を下回った。この人ならと納得できる人材は少ない。人件費が重たくなる状況のなかでは冒険はできない。入ってから育てることもできるが、できるだけいい人をと欲が出る。
 内定者からも辞退者が出る。ある学生は3社から内定が出て他社に決めた。決めた会社はだれもが知っている大きな会社だ。業績も給与水準もよい。まともに比べられたら当社は負けてしまう。彼に対する期待感は大いに伝え、こちらの誠意も理解してくれていたが、会社の差を埋めることができなかった。

 学生が持っている尺度と当社の思いとの間にはギャップがある。当社がいいと思う人材は他社でもいいと思う確率は高い。複数の内定からどこを選ぶかというときに、より大きな会社、より有名な会社を選ぼうとするのは世の大勢であろう。これは受験生が、より有名で、難易度の高い大学に入ろうとするのと同じ理屈である。当社も中身では負けない自負があるが、先の固定化された尺度で測られたら勝ち目がないのである。

 世の中、同じような理屈が循環している。この形成を変えるのは難しいが、採用で言えば、いかに学生の心をつかみ取って離さないか、その方法を考えなければならない。

2012年5月13日 (日)

ドラッカー7 「ブライアン看護師の原則」

 「(ブライアン看護師は)特に優れた看護師でもなく、看護師長をつとめたこともなかった。だが彼女は、自分の病棟で何か新しいことが決まりそうになると、『それは患者さんにとっていちばんよいことでしょうか』と必ず聞くことで有名だった。事実、ブライアン看護師の病棟の患者は回復が早かった。何年か後には、病院全体に『ブライアン看護師の原則』なるものができあがった。みなが『目的とするものに最高の貢献をしているか』を常に考えるようになっていた。」(「経営者の条件」P84)

 仕事をしていると、惰性に流され、その目的を忘れがちである。都度とはいかないまでも、節目節目で目的の再確認が必要である。

 病院は何のためにあるのか。金儲けよりも前に、社会的な使命を担っている。患者を治療し、正常な社会生活に戻すことが使命ならば、すべての意思決定はそこに向かわなければならない。ブライアン看護師は、そのことを常に忘れなかった。

 経営のあるところには経営理念なるものが存在しているが、恰好だけになっていないだろうか。理念通りに経営を進めることは大変困難なことではあるが、判断基準のベースとして持ち続けなければならない。それができているかどうかが、まともな経営者のメルクマールとなる。

2012年5月12日 (土)

ドラッカー6 何が正しいかを知る

 「決定においては何が正しいかを考えなければならない。やがては妥協が必要になるからこそ、誰が正しいか、何が受け入れやすいかという観点からスタートしてはならない。」(「経営者の条件」(P189)

  自社の立場から、何が正しいかを考える。あるいは自分の職位・職責から、何が正しかを考える。原理原則に従い、考え抜く。そのうえで結論を出し、次のステップである社内への徹底であったり、社外との交渉に進むべきである。

 ドラッカーの言う、「誰が正しいか、何が受け入れやすいか」という発想にしばしば陥ることがある。早く解決したい、軋轢なくまとめたいという気持ちが先立って、自分の軸を見失ってしまう。なんらかの結論が出たとしても、妥協したという意識が残らない。よい交渉ができたという満足感よりも、無難に収まったという安堵感が残るのである。

 重要な指摘であると思う。これはそのまま政治の世界にも通用する話ではなかろうか。

ドラッカー5 強みを生かす

 ●「何よりも成果をあげるエグゼクティブは、・・・・・自分の仕事ぶりと成果を見て、自らのパターンを知ろうとする。『ほかの人には難しいが自分には簡単にやれることは何か』を考える。」

 ●「・・・弱みをなくしたからといって何も生まれはしない。弱みをなくすことにエネルギーを注ぐのではなく、強みを生かすことにエネルギーを費やさなくてはならない。」

 ●「エグゼクティブの任務は人を変えることではない。その任務は『聖書』がタラントの例えでいっているように、人のもつあらゆる強み、活力、意欲を動員することによって全体の能力を増加させることである。」  以上(「経営者の条件」P133,134,135)

 経営にとって、あるいは管理職にとって、なかなか重要なことを言っているのだが、なんと徹底した合理主義かと思うこともある。すべては成果のための手段である。ここは徹底している。

 これは組織を預かるものの責任として、はっきり割り切るべきだが、一瞬でも組織から気持ちを放してみるとやりきれなさを感じてしまう。すべてを手段として考えてしまうのはどうか。それ自体が目的であるような人間の関係があってもよいのではないか・・・と。

2012年5月 6日 (日)

徳川園はいい庭園だった

 用があって名古屋を訪れたが、2年住んだことがあるにもかかわらず市内の名所にまったく行ったことがない。そこで、これを機会に少しばかり回ってみようと思い、名古屋城と徳川園に行ってきた。どちらもそこそこの人出で、賑わっていた。惜しむらくは天気がよければなおよかったのだが。
 名古屋城は遠目には何度となく見ているが、近くでじっくり見るのは正味初めて。天守閣に上がり、展示品を見たが、襖絵などは複製である。戦後消失し、ほとんど無くなってしまった。惜しいことをしたと思う。
 徳川園も近くを車でしばしば通っていたのだが入園は初めて。すばらしい庭だった。名古屋の町中だが、滝があり、野鳥の鳴き声も聞かれた。

 デジカメに収めた写真を何枚か貼り付けておこう。

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進む “地方の衰退・衰弱”

 4月30日付けの日経新聞に書いていたが、早慶上智理大への合格者に占める首都圏の高校生の割合が増えているという数字があるそうだ。その記事によれば、5年前の59%に対し、67%になったという。これは確かに小さい数字ではないだろう。もっとも、これが進学者数ではなく、合格者数であるところが少し引っかかるのだが。(進学者数でも増えているのだろうが、増え方はこれより少ない可能性がある。)

 地方から東京の大学へ進む場合の経済的負担は大きい。親がその多くを負担し、不足する部分を本人がアルバイトで補てんするのが一般的なパターンであろう。一部に、奨学金も利用しながら本人だけでやりくりする場合もあるが、これは非常に負荷のかかる生活である。

 したがって、地方から東京に出ていく気持ちが消沈するのも無理からぬことだ。東京へ行けばこれまでに経験したことのない世界があることは容易に想像できるであろうが、それが叶わぬとなれば、地方には地方のいいところがあると言い聞かせて、地元に残る選択をすることになる。

 やむを得ない選択ならば、今ある条件のなかで精いっぱいやるしかないだろう。しかし失うものは相当大きいのではないか。私の経験からすれば、東京で得たものは大きい。
 全国から学生が集まっていた。育った地域によって考え方や感じ方、気質に違いがあるのかどうか明確には分からなかったが、何もないことはないだろうし、付き合いがきっかけで友人の育った町を尋ねたこともあった。
 東京には先端の文化があった。劇団があり、質はともかく演劇サークルは腐るほどあった。地方では上映の難しいマイナーな映画が観られた。あまり行かなかったが、クラシックの演奏会は頻繁に開かれていた。
 東京には、政治があった。様々な潮流があり、それぞれ徒党を組んでいた。内容はともかくも多様な主張を聞くことができた。マスコミによる大量で一方的な見方に対抗する主張に触れたことは有益であった。

 以上がすべてではないが、東京に住まうことの利点である。地方でこれらのことが皆無であるわけではないが、近年ますます貧しくなっていることは否定できないだろう。それは資本が地方に集まらないことや国による文化政策の貧困が招いているのであろう。
 たしかに、地方にしかできないことがある。先進的なものがすべてではない。地方にも人が暮らしているのだから当然文化というものがある。地方の文化を守り育て、それを中央に発信していくことで過度の集中を排しなければならない。だから余計に、中央から地方を見る経験もあっていいのではないだろうか。

 私は、故郷に帰った時に、何もないことに気が付く。母がいる。子どものときとあまり変わらない海や山がある。しかし、文化がない。活気がない。昔はもっと地方、地域の活力があった。このままでは、中央に完全に切り捨てられる日が来るのではないだろうか。

2012年5月 5日 (土)

日本一の「アイアイラーメン」

 「京阪百貨店守口店」にて開催中の「九州・四国うまいものと物産展」に出かけました。目当ては、日本一の呼び声が高いアイアイラーメンです。アイアイのアイとは「愛」のことで、お客様と地域に愛されるラーメン屋を目指しています。

 今日は家内と一緒だったので、二種類注文しました。スープは豚骨ですが、黒としろがあります。黒の方はとうがらしが利いていて辛いもの好きの私にぴったりです。アイアイの店舗はまだ2店ですが、あまり広げない方が味を保ててよいかもしれません。

 オーナーが真面目な方なので、今後も期待できます。ぜひご贔屓にしてください。

鹿児島新栄店の菊水店長です

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2012年5月 4日 (金)

ドラッカー4 仕事を人間関係の中心に置く

 「しかし、仕事を客観的かつ非属人的に構築しなければならないということは、もう一ついわく言いがたい理由がある。すなわちそれこそが組織が多様な人間を確保する唯一の道だからである。人の気質や個性の違いを認め、かつ助長するために唯一の方法だからである。組織における多様性を確保するには、人間関係を人ではなく仕事を中心に構築しなければならない。業績は、貢献や成果という客観基準によって評価しなければならない。しかし、それは仕事を非属人的に規定し構築して初めて可能となる。さもなければ、『何が正しいか』ではなく『誰が正しいか』を重視するようになる。・・・」(「経営者の条件」P109。下線は天谷。)

 これは評価制度にかかわる重要な視点を提供している。人間が集まる集団であるから、人間的な付き合いが支配的になってしまう。これでは、各人が持つ多様な才能、可能j性を殺してしまうことになる。組織が必要とする役割や能力を明確に規定することによって、各人の才能や可能性に合わせて適材適所を進めれば、人が活きることになり、組織の力が増すのである。

2012年5月 3日 (木)

もっとも美しい肉体 須藤孝三

 1975年のミスターユニバースで優勝した須藤孝三選手。当時のボディビルディング誌が掲載した写真をデジカメで撮って添付することにした。(個人のブログなのでお許しを)

 これほど美しい肉体は他に見たことがない。この後、さらに筋肉の量は増しただろうが、あまり増えすぎるとバランスを崩し、美を損なう。また年齢とともに肌の美しさも損なわれるので、この時期に最高の仕上がりを見せたのだと思う。

 昨今はボディビルダーも高年齢化し、40代で日本チャンピオンになる選手がいる。それに比べると昔のビルダーは若い時期から活躍していた。

 その中でも須藤選手は別格である。今後もこのような選手は出ないだろう。

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2012年4月30日 (月)

春の長谷寺を訪れる

 昨日はよいお天気で、じっとしていてはなんとも勿体ないと思い、牡丹で有名な長谷寺へ行ってきました。評判に違わず様々な色の牡丹が咲き誇っていました。何枚か写真を貼っておきます。牡丹以外にも国宝である本堂で観音さんの木像を観てきました。なかなか充実した一日でした。

 ところで、参道には土産物屋や食べ物屋がたくさんありました。焼きたての草もちを売っている店がありまして、一個90円でした。ここから先は皆100円だよと売り込まれ一個だけ買ったのですが、確かにそこから先は100円に間違いはなかったものの、大きさが違いました。嘘は言っていないけれど、ペテンのような話ですよね。

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2012年4月29日 (日)

ドラッカー3 成果を大幅に改善する方法

 「人類の歴史は、いかなる分野においても、豊富にいるのは無能な人のほうであることを示している。われわれはせいぜい、一つの分野に優れた能力をもつ人を組織に入れられるだけである。一つの分野に優れた能力をもつ人といえども、他の分野については並みの能力しかもたない。したがって、われわれは、一つの重要な分野で強みをもつ人が、その強みをもとに仕事を行えるよう組織をつくることを学ばなければならない。仕事ぶりの向上は、万能な者をリクルートしたり要求水準を上げたりすることによって図られるものではない。それは人間の能力の飛躍ではなく、仕事の方法の改善によって図らなければならない。」(「経営者の条件」P37,38。下線は天谷。)

 特別な能力を持った者は数少ない。経営に参画してもらう従業員の多くは並みの人間である。そういう人たちには得意とする分野を伸ばしてもらう必要がある。弱みを克服することで生まれるアウトプットは少ない。各人の得意とするところを組織化できれば力が増すであろう。加えて、個人の才能に頼るのではなく、仕事のやり方を生産的なものに変えることで、誰もが生産性の高い仕事を行うことができるのである。

2012年4月28日 (土)

未だあなどれない、テレビの影響力

 大衆に情報を伝える媒体として、テレビと新聞の果たした役割は大きい。もちろん功罪ともにあるわけだが。

 その影響力は年々低下していると言われており、それで間違いないと思うが、媒体を個々に見ると、テレビと新聞は相対的に強い力を維持している。特に、上から下への一方的な情報伝達においてはこれに勝るものはないだろう。

 特に注意しなければならないのは、受け手による選択の幅が非常に狭いことである。テレビ局によって、新聞社によって、その取り扱う情報の種類に多少の違いはあっても大差はない。そして、その報じ方も似通っている。昔あった「論調」の違いというものが薄くなっていることは間違いないだろう。これは、政治で言えば、政党間の主張の違いがなくなっていることと符合すると思われるが、報ずる側も評価する基軸を失っているし、その力量が低下していることも意味していると思う。

 インターネットの普及によって、情報が世界を駆け巡るスピードが脅威的に速くなった。どこで何が起こったか、断片的ではあるが素早く知ることができる。もっとも、その真偽に保証はないし、与えられた範囲から選択せざるをえないという限界もある。また、事実を伝えていると言っても言葉の使い方で意味が変わってしまうことも考えなくてはならない。

 いわゆる「ジャスミン革命」においてインターネットの果たした役割が強調されていた。行動を呼びかける手段としては口コミに勝るものである。もともと民主化の遅れている国では民衆の組織化が進んでいないので蜂起も一揆的なものになりがちだが、そのきっかけを作るに効果的な手段となるだろう。中国における反日運動などに火を点けるのにもネットが一役買っている。出所の分かりにくい情報は制限もしにくい。これが特定の政治組織から流れているとなれば、既存の法律を適応して封鎖してしまう可能性がある。

 さて、本題はテレビであった。政治に関して言えば、情報の出どころは限られる。政府が発表する情報が圧倒的に多い。政党では政権党が多い。地方でも専ら首長の発言が取り上げられる。何度も繰り返し聞かされていると、それが当たり前のように意識に定着してしまう。なかには批判的に聞く姿勢を持った人もいるが、よほど注意していないと無批判的な受容に傾いている。

 テレビは、食事しながら見たり、体を横にして休息しながら、場合によっては居眠りしながら見る場合も多いだろう。そういう時は特に無防備である。新聞よりもそういう傾向が強い。老若男女を問わずそうである。これは、見る側に責任を負いかぶせるのは無理なことかもしれない。基本は発する側の信条、ポリシーの問題であろう。状況に流されてはいけない。

 受ける側も、騙されてはいけない。生き延びるために判断が必要である。近ごろ、飛ぶ鳥を落とす勢いのHさんのしたり顔が目に浮かぶ。

2012年4月22日 (日)

青い空は青いままで子どもらに伝えたい

 久しぶりにサークルのOB会が開かれるという。30年あまり前に大学の校舎の地下で活動していた仲間が集う。残念ながら私は仕事のある日なので東京まで出かけることができない。

 
1年先輩のKさんが歌集を作ってくれた。そのなかから二つセレクトしてここに掲載しておきたい。

 
平和への願いが立ち込めてくる。若いこころがよみがえる。


【青い空は】

1 青い空は青いままで 子どもらに伝えたい 燃える八月の朝 影まで燃え尽きた

  父の母の 兄弟たちの 命の重みを 肩に背負って 胸に抱いて

2 青い空は青いままで 子どもらに伝えたい あの夜 星は黙って 連れ去って行った

  父の母の 兄弟たちの 命の重みを 今流す灯籠の 光に込めて

3 青い空は青いままで 子どもらに伝えたい 全ての国から 戦(いくさ)の火を消して

  平和と愛と 友情の 命の輝きを この堅い握手と うたごえに込めて

【たんぽぽ】

1 雪の下の 故郷(ふるさと)の夜 冷たい風と 土の中で

  青い空を 夢に見ながら 野原に咲いた 花だから

  どんな花より たんぽぽの 花をあなたに おくりましょう(この行繰り返し)

2 高い工場の 壁の下で どれだけ春を 待つのでしょう

  数えた指を 優しく開き 空き地に咲いた 花だから

  どんな花より たんぽぽの 花をあなたに おくりましょう(この行繰り返し)

3 ガラスの部屋の ばらの花より 嵐の空を 見つめつづける

  あなたの胸の 想いのように 心に咲いた 花だから

  どんな花より たんぽぽの 花をあなたに おくりましょう(この行繰り返し)

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2012年4月21日 (土)

ドラッカーの言葉 その2

  間関係のあるべき姿

対人関係の能力をもつことによってよい人間関係がもてるわけではない。自らの仕事や他との関係において、貢献に焦点を合わせることによってよい人間関係がもてる。そうして人間関係が生産的となる。生産的であることが、よい人間関係の唯一の定義である

仕事上の関係において成果がなければ、温やかな会話も感情も無意味である。貧しい関係のとりつくろいにすぎない。逆に関係者全員に成果をもたらす関係であれば、失礼な言葉があっても人間関係を壊すことはない。
(ダイアモンド社刊「経営者の条件」p91~92)

 この文章を目にしたとき、ちょうど会社でパワハラの問題を考えていたので符合するものがありました。目的・目標の共有が相互理解の土台となり、よい人間関係を発展させます。そこに言葉遣いなどへの配慮があれば、パワハラのない職場になります。

ドラッカーの考えは、きわめて目的合理的です。プラグマティズムの立場にあると言えるのでしょうか。経営は科学ではありません。社会や顧客への貢献を目的とするならば、正しいことよりも有用であることが求められます。真よりも善です。人の役に立つことが善なのです。経営とは本質的にプラグマチックなものです。

2012年4月15日 (日)

入った会社が一番いい会社

 昨日も書いたが、新卒採用に関わっている。今は二次面接の段階で、程なく最終の役員面接に行きつく。その過程で、多くの学生がふるい落とされる。私の会社でさえ、採用される人は応募者15人に1人の割合でしかない。

 大企業に比べれば少ないだろうが、それでも結構な人数の学生と話をしてきた。その傾向については昨日書いたところだ。選考外になった学生のなかにも気になる学生が何人かいる。元気のある人は、他で何とかなるだろうと思えるのだが、大人しくて口下手で自己表現の苦手な人はどこかで採用になるのだろうかと心配してしまう。

 社会に余裕があれば、すなわち雇用が十分にあれば、だれでもどこかに収まる場所があるのだが、今は厳しい。経済に成長がないうえに労働力の流動性に乏しいから、なかなか空きが巡ってこないのである。大学を出ても、あるいは大学院を出ても受け皿がなく、学生時代のアルバイトを続けなければならない。

 選別しておいて勝手な言い草だが、私の会社を受けてくれた学生が皆就職活動を成就させてくれることを願いたい。私が会って、これはどこへ行っても厳しいなと思った人は数名で、他は各々一定の理解力があり、努力すれば水準以上の社員になれる素材だと思われた。息子と同じ年代の若者たちなので、なおさら気になるのだと思う。

 とにかく、採ってもらえるならどんな企業であっても贅沢は言わず、入ることである。入った会社が一番いい会社なのである。人の価値は入った会社の名前で決まるのではない。入ってどんな仕事をしたかで決まるのである。そのことを彼らに伝えたい。

 私の人事ブログを見て、「ぜひこの人と一緒に仕事がしたいと思った。」と言ってくれた関東の学生がいた。大変ありがたい言葉である。彼と最終的に縁があるかどうか分からないが、これも人生における出会いの一つに違いない。彼に幸多からんことを切に願いたい。

2012年4月14日 (土)

ユダヤ人大富豪の教え

 本田健著「ユダヤ人大富豪の教え」はミリオンセラーを記録した名著(有名なという意味で)である。

 私が勤める会社のある営業所長が、愛読書として紹介していたので、読んでみることにした。この本は、たまたま出会ったユダヤ人の大富豪から様々な教えを受けるというストーリーになっている。実話のように書かれているが、本当なのかどうかは分からない。あえて言えば、これだけのことを直に教わったのであれば、本田健はもっと偉くなっていてもいいのではないかと思う。

 それはともかく、書かれてある内容の中には、面白いものがある。しかし、私自身が大富豪になりたいと思っているわけでもないし、小富豪にでさえなろうと考えていない。だから、前提としているところに違いがある。先日、久しぶりにドラッカーの本を読んだが、今自身が置かれている立場からすれば、その方がよほど共感できる内容である。

 という前提で、本田健の著書を見てみよう。

 ●好きなことに熱中できる人は成功する ⇔ 医者や弁護士は、得意なこと(周りから褒められること)ばかりやってきた連中 → 報酬に気を奪われている

 ●成功するのに必要なのは、流れを読む力だ。物事の奥深くを見通す力だ。

 ●多くの成功者は、みんな自分の思いや考え、感情やビジョンを紙に書いている。

 ●いい加減なことを口走ってはいけない。本当にその気がないことは言わないことだ。

 ●つき合う人の多くを味方にできれば、君の成功は何倍も早くなるだろう。

 ●人は人を喜ばせた分だけお金を受け取れるようになっている。

 ●それを考えただけでワクワクするような目標でなければ、うまくいかないのだよ。

 こういう中身である。それぞれ大事ことを言っている。ただし、個人がどう生きるべきかという問題に焦点が当たっている。だからスケールは小さい。小さいけれども、自分を律するうえで必要なことではあるだろう。

 ドラッカーの「経営者の条件」を読むと、組織において重責を担う者が為すべきことを取り上げている。ここではやりたいことについてではなく、為すべきことなのだ。ユダヤ人大富豪に言わせれば、やりたいことに高い優先順位を置くべきなのだが、企業の運営に責任を持つ者はそのような意図で行動してはならない。個人のレベルと根本的に違うのである。

 ドラッカーをビジネス書として読むのが普通だが、これは組織論の集大成のような本である。だからスケールの大きさに驚く。本田健も悪くはないし、まだビジネスについての経験が少なく、知識も持たない人にとっては理解しやすいだろう。まずはこれから読み始めればよいのだが、ビジネスの世界で長く生きてきた人間はドラッカーを読むべきである。

新卒採用入門 

 新卒の採用で、数多くの面接を経験させていただいた。来年度の採用予定者は技術系と営業系ともに数名である。この経験のなかから感じたことをいくつか書いてみたい。

 1 今の若者は「正直」である。

 エントリーシートに、志望する企業を行きたいと思う順に5社書いてもらっている。第一番に当社を書いてもらっている学生が多いが、かなりの人数2番目以下に書いている学生がいる。「正直に」書いているのだろう。私であれば、嘘でも一番に書くだろうが。

 2 尊敬する人は身近な人

 尊敬する人を聞いたら、父親や先生が多かった。たまたま立派な親を持つ学生が多かったのだろうか。私は息子から尊敬などされていないと思っているのだが。歴史上の人物や現代の政治家や経営者や文学者などの名前は全然出てこなかった。本を読まなくなったことが影響しているのだろうか。それとも意識が内向きになっているからだろうか。

 3 本を読んでいない

 2のところでも触れたが、本は読んでいないようだ。特に子どものころに読んでいない。学生になってからは、ミステリーや恋愛小説などを読む人が何割かいる。私の年代は、娯楽がなかったせいもあるだろうが、図書室で借りたりなどして月に数冊は読んでいたのではなかろうか。
 記憶に残る本を聞いても、何も出てこないか、図鑑だったり怪傑ゾロリのような子供向けの本だったりした。したがって、名作に心を揺さぶられてというような経験をしていない。

 4 少しピントを外している場合がある

 これはどこにでもあるような話かもしれないが、面白いことがある。ある学生は学歴に「河合塾卒業」と書いていた。予備校の卒業とは何を意味するのだろうか。
 別の学生は、特技に「円周率を20ケタまで暗唱できる」と書いてあった。それぐらい誰でも覚えられると思うのだが。その点について聞いてみると、もとは70ケタまで覚えていたのだが忘れてしまい、今は20ケタなのだそうだ。興味を引かせるために意識的に書いたのなら、それも作戦のうちか。

 5 何かを成し遂げたかどうか

 サークルで運営に苦労したというような経験はほとんどの学生が持っている。これだけでは決め手にならない。何かの資格を取るために勉強したという学生は、それなりに努力をしているから考え方がしっかりいるし、当然知識も身についている。これは強みである。遊んでいた学生とは差が出てしまう。

 6 成績表がものを言う

 成績だけで測ることはできないのは承知しているが、判断に迷った場合は成績表が頼りになる。「優」が並んでいると安心できる。努力した証であるし、いろいろな分野を幅広く勉強していることは仕事をしていてもプラスになる。成績を見てもらえないと頑張った甲斐がないというものだ。

 7 総じて女性の方がしっかりしている

 これは昨今の一般的傾向であるらしいが、受け答えや表情や声において女性が勝っている。就職の環境・条件が厳しいから必死さが出るという面があるし、勉強量は女性が多いのであろう。

 8 採用の合否はある意味「理不尽」である

 就職には入試のような客観的な基準がない。テストだけで決めるなら、基準は公明正大である。しかし、採用は、技術系は試験結果もかなり考慮されるが、全体に採りたい人物像に近いかどうかが基準の一つとなり、最後はそこで判断することになる。ここでは面接者の経験や価値観が結果を左右する。そこで面接者に存在感を与えることも実力であるという捉え方はできるが、多分に主観的であることは否めない。

 9 内定が出る学生は集中するというが、なるほどと思う

 会社説明会で質問に来て、見どころがあると思った学生がいたが、一次面接を当日にキャンセルされてしまった。断定はできないが、他に引っ張られた可能性がある。まだ時期は早いが、優秀な人材は多少のリスクは承知で囲ってしまうことも必要だ。

 10 正味の体育会系は厳しい

 企業によっては営業職に体育会系を優先して採っている。体力勝負、根性勝負の営業ならそれもありだが、一般的には考える力が要求されるから、条件的には厳しい。
 当然ながら時間の大半を練習に費やしているから、勉強はしていない。質問しても期待する答えが返ってこない。

2012年4月 8日 (日)

川口裕選手 3ラウンドKO勝ちで16勝目(5敗)

 今日は家内と万博公園へ花見にいきましたが、そのあとは一人でボクシングの試合を観戦に。グリーンツダジムの川口裕選手が目当てです。

 彼とは同郷なので応援しています。今はバンタム級で、日本のランク11位。今日は格下の相手に3ラウンドKO勝ちです。以前に比べると顔つきが鋭くなり、体も締まってきました。

 これで通算16勝(6KO)5敗となり、次は上のランカーとやってタイトル戦に進みたいところです。ただし、バンタム級は層の厚いクラスで、チャンピオンになるのは簡単なことではありません。頑張れ川口。

 それにしても今日の試合、7試合のうち最初だけが判定で、他はすべて3ラウンドまでのKOで決まりました。あっという間に終わりました。スリリングなのはよいのですが、見ごたえがありませんでした。

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ドラッカーの言葉 その1

 「組織の中に成果は存在しない。すべての成果は外にある。」

 ドラッカーの「経営者の条件」という本を読み返す。棒線を引いていたり、付箋を貼っていたりで、時間をかけて読んだことがうかがえる。

 ドラッカーが活動したのはもう何十年も前のことだが、彼が唱えた内容は全く陳腐化することなく、その後出版された経営に関する著作が安っぽく感じるほど輝きを放っている。
 

 それは、数多くの組織活動を観察し分析するなかから、組織社会において国を超えて存在する普遍性を導き出したからに他ならない。

 以下、優れた観察のなかから、特に心を動かされた主張を抜き出してみた。組織は自らが目的となりがちであるが、その戒めと読むと同時に、永続する企業の条件として読むことも大事である。

 ただし、注意したいのは、企業における「人」をコストとしてのみ見ることの偏りである。人は単なる手段ではない。生きることはそれ自体目的である。人を雇用することも、企業の責任の一つである。

 ●組織のなかに生じるものは努力とコストだけである。プロフィットセンタ-なるものは言葉のあやにすぎない。内部にはコストセンターがあるだけである

 ●外の世界への奉仕という組織にとっての唯一の存在理由からして、人は少ないほど、組織は小さいほど、組織の中の活動は少ないほど、組織は完全に近づく。 

  ●組織は存在することが目的ではない。組織は社会の機関である。外の環境に対する貢献が目的である

 ●根本的な問題は、、組織にとって重要な意味をもつ外部の出来事が、多くの場合、定性的であって定量化できないところにある。それらはまだ事実になっていない

 ●意識的に外の世界を知覚すべく努力しなければ、やがて内部の力によって外の世界が見えなくなる

 

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